どこかで期待していた・・・。

明日からゴールデンウィーク

遠方で就職した息子も、明日帰省してくるということで・・・

家の中でひとりになる時間が激減することが予想される連休中は、おそらくブログも

書けないと思われるので、

この記事をUPしたら、しばらくブログが途絶えるかも・・・?

 

体中に出たじんましんのために父を急きょ皮膚科へ連れて行ったのは、

前記事のとおり。

一応、GW明けの5月7日に再診の予約を入れられているのだけど、

「薬が効かなかったら(予約なしだけど)土曜日に診せてください」

と言われているので、明日の朝、もう一度診察に連れていくべきかどうか?

見極めが必要でなかなか微妙な感じ。

 

今日は朝に1度、そして夕方5時ごろに1度・・・と、

 

薬を塗るためだけに、父を訪ねた。

父の家まで片道25分かかる。行って帰ってくるだけで50分だ。

これを朝夕2回というのは

精神的にも肉体的にも疲労度がハンパない。

でも自分で背中に塗るなんて不可能なわけで・・・仕方がない。

 

最近ツイてないんだな・・・と思っていたことのトドメとして

なんと、今年のGWは兄が帰ってこないことが判明した。

 

父の皮膚科診察が終わり、「朝夕2回薬を塗らなければ」となったときに、

これは大変だわ。あ、でもお兄ちゃん帰ってくるから頼めばいいか~!と思い

「いつ帰ってくる?」

とLINEを送ったことでわかったのだ。

 

兄からは

「え?もうわざわざGWに帰る必要はないし、帰る予定してなかったよ。」

と、予想外の返事が返って来た。

 

がぁぁぁぁぁ・・・・ん。

そうなのだ・・・。

兄は今年の3月で長年勤めた会社を早期退職したので、現在は無職の身。

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

激務から解放されて、

おそらくこの1か月はのんびりと自分をいたわって過ごしたことだろう。

毎日が日曜日になったのだから、

わざわざ混雑するGWに帰省してくる必要がないのはもっともなことだった。

 

でも、わたしのほうはてっきり例年通り、兄が帰ってくると思い込んでいた。

GWだからといって、わたしのほうに何か特別な予定があるわけではなく、

平常運転だけれど、息子が帰省してきたり夫が休みだったり・・・と、

主婦にとっては、連休というのはむしろ息苦しいことが多い(ですよね?)

 

特にわたしの場合、家族が家にいると趣味の英語の勉強もできなくなるし、

またこうやってブログを書いたりする時間もなかったり・・・で

フラストレーションが毎日少しずつ積みあがることが目に見えている。

大げさでなく、リラックスする居場所がなくなる感じ。

 

せめて、父のことは帰省してくる兄にまかせて、ほんの数日でもラクしたいな~

・・・いや、ラクができるな~~~と、

なんだかんだと心のどこかで兄の帰省をアテにしていた。

 

それが、帰ってこないという・・・(泣)

し・か・も、朝夕、背中に薬を塗らなければいけないというタスクがあるこの状況で!

 

とはいえ・・・兄には到底言えなかった。まさか、

「背中に薬を塗ってほしいから帰ってきてほしい」だなんて。

 

なので、「ああそうなんだ。」という感じでションボリと受け止めたわたし。

 

 

父の通い介護が始まったばかりのころは、父に対して腹の立つことがあると

いつも兄弟にLINEを送って愚痴を聞いてもらっていた。

父の性格を知り尽くしている身内だからこそ、

「あ~わかるわかる」と、大変さを理解してもらえるので、2人に吐き出すことで

ストレス発散できていた。

 

けれど、そういうことがいつしかできなくなってきてしまった。

先日、父と衝突してものすごく険悪になってしまったときも・・・

もうすべてを投げ出して逃げたいくらいの心境に追い込まれていたけれど

それでも兄弟には何も報告しなかった。

 

たぶん、今後も兄弟にSOSは出せないと思う。

 

一度、兄弟の反応が自分の期待したものでなかったときに

「別にわたしひとりが我慢すればいいんだし」と、吐き捨てるように言ってしまい、

兄から「お前にそう言われるとキツい。もう何も言えなくなってしまう」と、

申し訳なささいっぱいの返信がきてしまったことがあり

自分のほうが罪悪感でいっぱいになってしまったことがあったからだった。

 

それ以来、「もうネガティブなことは一切言うまい」と思うようになった。

 

ちょうど、先日の父との衝突で精神をやられていたとき、

今や、リアルの生活で唯一介護の愚痴を吐きだせる相手となっている「ダスキンさん」

にこの話を聞いてもらった。

 

ちなみに、このダスキンさんとは同世代で15年くらいの付き合いなのだけど、

偶然にも、今はお互いに実父の通い介護をしていて、ものすごく境遇が似ているため

毎月会うたびに1時間くらいお互いの大変さや悩みを吐き出したり相談しあったり

する、すっかり「同志」と呼べる存在になってしまっている。

 

その彼女に、先日の父とのトラブルの話をしたときに、「兄弟」の話が出て、

兄弟に愚痴を聞いてもらう、兄弟から父親に強く言ってもらう、など、

兄弟の力を借りたほうがいい・・・ということを案の定言われたのだが、

そのときわたしが彼女に対して言ったのは

 

「以前はいろいろと話せたけど、

もう最近では父のことを兄弟に話せなくなってしまった。

別に兄弟に対して不満を持っているわけでもないし、

父のことはわたしが面倒みるんだ!とか、わたしでなきゃダメなんだ!とか

思い込みすぎて、頑なになっているわけではない。

ある時期から・・・わたしが兄弟に父のことで愚痴を言えば言うほど、

兄弟に罪悪感を植え付けるように感じるようになり、言えなくなってきた。

妹ひとりに父のことを任せてしまっているということに、兄弟が責任を感じて

実家に戻ってきて父の面倒をみる、とか言い出すかもしれない。

わたしはそれは望んでないし、兄弟にもしもそんなことをされたら、

わたしのほうがたぶん、罪悪感にさいなまれてしまう。

そうなるくらいなら、自分が我慢するほうがずっといいと思ってしまう。

自分が父のことで愚痴をこぼすことによって、兄弟の生活を壊したくない。

だからもう困っているとは言えなくなってしまった。

 

と。まさにこんなふうにわたしは正直に彼女に言った。

”介護同志”である彼女は、わたしのその発言を聞くと、目を見開いてこう言った。

 

「NORAKOさん、それって・・・

NORAKOさんは兄弟にとってのお母さんになっちゃってませんか?

それって母親の思考ですよ!

お父さんにとっての”妻”になってしまっていて、兄弟にとっての”お母さん”に

なっちゃってるんですよ!」

 

ズバリと言われて、自分でもハっとした。

父がときどきわたしに母の面影を重ねて

(ハッキリ言って、わたしの顔は母にそっくりだし)

わたしのことを娘というより「妻」のように頼っている面があるなあということは

自分でも薄々感じていたけれど、

わたしが兄弟に対して「母親」のようにふるまってしまっているというのは

全く考えたことがなかったので、言われて驚いたのだ。

でも、指摘されて・・・・確かにそうかもしれないと思った。

 

母が亡くなったとき、わたしはまだ32歳だった。

家族の中で唯一の女性となったわたし。

母の闘病中、余命宣告に取り乱して泣く父を励ましたのはわたしだった。

泣きたいのは、まだ若いわたしのほうだった。

でも父を支えなければいけない立場にならざるを得なかった。

父の前では明るく振る舞い、誰もいないところでこっそり泣いた。

母の死後は、兄弟からは「お前の言うことならお父さんも素直に聞くから」と

父をうまく操縦する役目を任されて、いろいろ経て20年。

 

積み重なったさまざまな状況が、

今のこんな思考の自分を作り上げてしまったんだろうなあと思う。

だから、「母親的存在」になってしまい、

自分もまた「母親的思考」になってしまってるのかも。

 

 なんだか本当にめんどくさい性格だなあと自分でも思う。

 

もっと深く考えずに、重荷を手放せたらどんなに楽だろう。

 

ともかく、兄は帰ってこないわけなので自分だけで対処するしかない。

父のじんましんが、塗り薬が必要ない程度までおさまってくれることを願うのみ。

 

抗アレルギー薬とステロイドの塗り薬で、猛烈なかゆみは治まったと言っているので

それなりに効いているっぽいけれど

じんましんだろうと言われているのに全く湿疹が減らないのが気になるなあ。

本当にじんましんなのかなあ?とか、考え出すとモヤモヤしてくる。

 

いつになったらわたしは落ち着けるんだろうなー。

 

うーん。ネガティブが押し寄せてきて良くない兆候だ。

 

 自分のことだけ考えてお気楽に暮らしたい・・・。