残り20年をどう生きるか。

なんだかとっても大げさなタイトルをつけましたが、別に人生を語ろうとか

そんな大げさな気持ちの記事ではありません。

 

実は1か月くらい前になるかと思いますが、遠方で暮らす兄から

「3月で退職するから。」

と、思わぬ報告を受けたのです。

 

「転職」ではありません。働くことをやめる「退職」のほう・・・・。

 

それを聞いた時は、冗談でも誇張でもなく本当に全身の血の気が引きました。

真っ先に頭に思い浮かんだのは「父」のこと。

兄はわたしより2つ年上ですが、真面目で責任感が強く、そして妹のわたしが言うのも

なんですが非常に優秀な兄です。

長男としての責任感の強さから、

父の世話を他家へ嫁いだわたしひとりに任せていることに、

ものすごく負い目を感じているのは会話の節々からも以前から感じていました。

 

わたしは、自分が父親のことでLINE越しに愚痴を言いすぎたせいだ・・・と思い 

それはもう自分を責めたし、とっくに退職願を出しているだろうはずの兄に

「わたしのせいだよね?」「辞めないで」としつこくお願いしてしまったほどには

わたしは兄からの突然の「退職宣言」に動揺していました。

そして、「退職を思いとどまってほしい」と強く思ったのです。

 

兄からは、

「お前は絶対にそうやって自分のせいとか言い出すと思ったから、
本当は5年くらい黙っていようと思った」

と苦笑いされました。

兄は「父親と妹のため」と思われると説明がめんどくさいと思ったので

当初、家族には言わずに働いているフリを続けるつもりでいたそう。

 

けれど、去年秋の父の入院~介護認定~在宅酸素・・・という一連の大きな状況の

変化があったことで、

逆に「辞めることはちゃんと言っておこう」と気持ちが変わったとか。

 

その気持ちの変化・・・というのは、父の通い介護を続けているわたしに対する

罪悪感だったそうで、これから自由に好きなことをして生きるために

月に1週間程度は(実家に戻って)わたしに代わって父の面倒を見ることをしなければ

と思ったのだそう。

そのためには、「会社を辞めた」とわたしに言わないわけにはいかないな・・・と。

そういうことらしいです。

 

わたしの負担を減らすために退職を決めたのではないか?と兄に聞いても

「それは絶対に違うし、関係ない。」と全否定。

 

兄は

「この退職は急に思い立ったわけではなくて、

10年前から考えていたことで、お金のことも含めてこの10年で準備してきた

ことなんだ。たまたまこういうタイミングになってしまっただけで、

お父さんがああいう状態にならなかったとしても今年で退職するつもりだった。」

と、説得力のある言葉でわたしの不安を一掃してきました。

 

そういえば、去年の春にはマンションも購入していた兄。

「いつまでも家賃を払えるわけじゃないからね。」

とそのとき笑って話していた兄のこと、

あのときは「へえ~」とあまり気にも留めなかったけれど、

今思うと、あのマンション購入も退職準備のひとつだったわけです。

 

たぶん、家賃が払えるかどうかの話ではなく

無職になったら新たに賃貸を借りること(引っ越しなど)難しくなる・・・と

見越してのことだったんだろうなあと。

 

兄は誰でも名前を知っている大企業に勤めていて高年収、しかも独身。

物欲が少ないようで生活ぶりはいたって質素。

けれど家族のためには惜しまずお金を出してくれる優しい人です。

石橋を叩いて渡る人なので、きっと

自分一人くらい十分食べていけるくらいの老後の蓄えは確保しての退職なのでしょう。

 

最近は「セミリタイア」や「早期リタイア」という言葉もよく聞くので

実際こういう人は珍しくない世の中になってきているのかもしれないけれど

わたし個人の中では早期リタイアというイメージがあまりよくなかったんですね。

それはたぶん、早期リタイアとしている人が書いているブログの中には

どうも「早期リタイアしている人は人生の勝ち組」であるかのように

真面目にコツコツ働く人のことを下に見る人が一定数いるせいだと思います。

(もちろん、すべての人がそうだとは思いません)

 

だから、父の問題とは切り離しても、

そういう、自分があまりいい印象を持っていない早期リタイアという選択を

実の兄がすると聞かされたことにショックを受けたというのもあったのかも。

 

けれど、兄の話を聞くとその思いは変わりました。

兄は

「あと10年働いたところで、今より貯金が増えるだけ。
独身の自分がそんなに増やしたってしょうがない。
今はお金よりも自由な時間が欲しいんだ」

と言いました。

その「自由な時間が欲しい」という言葉が重く響いてきたのです。

 

兄は自分の仕事のことはほとんど話すことがないので、兄の気持ちを深く探ろうと

したことはありませんでしたが、その言葉の裏には

就職してからの30年弱のその間・・・・

わたしが知らないだけで、仕事をする上で大変なこともストレスも悩みも

たくさんあったのだろうなあ・・・苦労も葛藤も多かったのだろうなあ・・・

そして「自由な時間が欲しい」と思うほどに、激務だったのだろうなぁ・・・・と、

これまでおそらく一人で耐えて生きてきた兄を思うと

退職を聞かされたときには「思いとどまって」と思ったはずのわたしの気持ちも、

今は「お疲れ様」という言葉しか浮かばない気持ちに変わってきました。

 

長期休暇のときには、毎年毎回、実家に帰って来ていた兄。

母想いだった兄が、母のいない実家に帰ってきていたのは、

たぶん、わたしと父のためという「義務感」であったはず。

その帰省で長期休暇がつぶれるから、個人的に旅行にいくタイミングもなかったかも。

 

有給をとって旅行に行ったなんて話もそういえば聞いたことがない。

学生のときには片道分の航空券だけ買い、ノープランで中国やアメリカへ

バックパック旅行に行くくらいには実は行動的だった兄なのに。

 

 

兄との会話のあとで、そんなふうに

これまでひとりで生きてきた兄のことを、ひとり考えていました。

 

60歳まで勤めても、その先「アクティブ」に暮らせる人生はそんなに長くはない。

個人差はあってもだいたい70歳くらいまでが「アクティブ」でいられるボーダー

ではないだろうか。

それはわたしだって同じです。兄の言葉で気づかされました。

わたしだってもう50歳を超えました。

アクティブで何事にも意欲的で健康で体力もあり、「こうなりたい」だなんていう

夢を見られるのは、決して悲観的になっているわけではなく、

やっぱり現実的に70歳くらいまでかもしれないな・・・と思ったら、

実はそんなに長くないことにハっとします。 

もちろん、その前に人生が終わる可能性だって十分あるわけだし。

 

そうやって考えると50歳って本当に人生の節目なのかも。

結婚している人もしていない人にも、子供がいる人もいない人にも・・・

それぞれに何らかの形で人生がひと段落を迎える世代。

ふと見上げて人生の残り年数を数える瞬間が、一度はある時期。

それは目の前のことに、明日のことに必死だった40歳頃にはなかった感覚。

 

 今まで仕事一筋でやってきた兄はここからようやく

人生を楽しむ時間を迎えようとしているのかもと思えました。

 

 実は10年くらいまえからマラソンを趣味にしている兄。

兄の名前をネットで検索すると、あちこちの市民マラソンの参加者リストが

ヒットします(笑)こんなにマラソン大会に出てたのかーと驚かされますが

東京マラソンは、毎年応募しているのに1度も当たったことがないと言っていました。

 

英語も堪能な兄。

会社をやめたら、東京とびこえてホノルルマラソンに行ってるかもしれません(笑)

 

そして、そんなキラキラした第二の人生であってほしいなと願ってやみません。