さあ、人生の最終ステージへ。

痛み止めの注射を打つ・打たない、

整形外科を変える・変えない

・・・の、スッタモンダからのギクシャクした空気は

とりあえず土曜日に注射に連れていくことができたことで、一時的には去った。

しかし、その後父に様子を聞いてみると、数時間ほど楽になっただけで

痛みはすぐにぶり返してきたという。

どうやら今回は期待したほどの効果は得られなかったようだ。

 

そして、直近一番の気がかりだった定期検診の日を今日迎えた。

気がかりだった理由は、

先週の記事にも書いた通り、父が突然「ほかの整形外科への紹介状を書いてもらう」

などと言い出した問題への対処と・・・

もうひとつには、やはりガンの進行度が気がかりだったこと。

 

そして診察室でのやりとりはこんな感じ。

 

主治医「どうですか?体の調子は?息苦しさはないですか?」

 

父「息苦しさはないですねえ。調子はいいです。
ただ背中が・・・・痛くて痛くて夜眠れないんですわ。」

 

主治医「うーん・・・。そうですか。」

 

父「背中だけじゃなくて、右手にも力が入らなくて、何か持つとか、
マウスを握るだけでもだるいというか、痛いというか・・・つらいんです。」

 

ここでわたしはすかさず、でもさりげなく父を遮るように口を開いた。

 

私「整形外科で痛み止めをもらっているのですが、それが効かないみたいで。

できれば先生のほうで別の薬に変えていただけないでしょうか・・・?」

 

主治医が「今どんな薬が出されてますか?」と言うのでお薬手帳を見せた。

 

よしっ。いい感じだ。

 

・・・というのも、

実はわたしは父の「紹介状の話」を阻止する気マンマンだったのだ。

どう考えても的はずれだし、

わたしとしては、先月の診察時にも疑問に思った通り、

ガンの痛みのコントロールを整形外科で・・・という今の状況に

どうやっても納得がいっていなかった。

あくまでも、この痛みは呼吸器の主治医の元でコントロールしてほしい

という気持ちがやはり強かったのだ。

それが一番自然な形なはずだと思ったし。

 

そんなわけで・・・父が「紹介状」の話をする前に

「整形ではなく、あなたに鎮痛剤を処方してほしい」

という主旨の話にもっていくつもりでいたというわけ。

 

主治医「(お薬手帳をみながら)これは副作用も効果もおだやかな、一般的な痛み止めなんですね。うーん・・・。」

 

と少し考えるようなそぶりを見せて、主治医が言葉を続けた。

 

主治医「そうですね。眠れないほど痛いのはつらいでしょうから・・・。

麻薬系のお薬を使ってみましょうか?

それだけの痛みが出るのは当然のことなので。

(画像を指さしながら)
この肋骨の上の部分の骨が溶けてますから。

 

 

は?骨が溶けてる?!

 

 

父のとなりに立って会話を聞いていたわたしは

驚きをもって主治医の言葉を聞いた。

驚いた理由は、父の病気がそこまで進行していたという事実に・・・ではない。

次の言葉にだった。

 

主治医「このCT画像見てもらうとわかると思うんですけど、この部分ですね、これ。

ここは肋骨の上部、わかりますか?これは骨が溶けている状態なんですね。

で、この骨はもともとの腫瘍だろうと言われていた肺の底の部分の骨ではなく、

もっと上の・・・このあたり(肋骨上部)の骨なんですね。

確定診断はしていませんが、

状況からしても、元のガンが転移したものと考えていいと思います。」

 

「このCT画像を見ると・・・」と、平然と主治医は言ったけれど

 

おいこら、そのCT画像いつのだよっ!と、

わたしは心の中でずいぶんと失礼なツッコミをいれていた。

 

 だって・・・

 

前回CTを撮ったのは確か3月だぞ?

(CT検査は3~4か月に1度しかやらない)

つまり、3月の時点で主治医だけはすでに骨転移があることを知ってたってことだ。

3月、4月、5月・・・いくらでも説明する機会はあっただろうに・・・。

 

「治療やこれ以上の検査はしません」という前提だったから

わざわざ知らせなかった・・・ということかもしれない。

まあそういうことなのだろう。

 

・・・と、そっちのことにモヤモヤしてしまったが・・・

 

過ぎたことをワーワー言ってもしょうがないな・・・とすぐに思いなおした。

大事なのは今だから。ここから先だから。 

 

これまで、確定診断がないことから

「限りなくガン」「おそらくガン」と、言葉を選んで

ブログにも説明を書いてきたけれど、

ある意味、これで「99.9%ガンである」ということが確定したと思う。

そのくらい「骨が溶けている」という状況証拠はインパクトがあった。

 

しかも肺の底にある原発巣から浸潤したのではなく、別の場所の骨への転移。

主治医に説明されたその画像は、素人の私が見てもわかるほどだった。

 

 

主治医から詳しい現状の話や、余命を予想する話等は一切なかったし、

こちらからも、あえて聞かなかった。

父はどんな思いでその話を聞いていたかわからないけれど、

 

少なくともわたしにとっては、余命を知ることにあまり意味はないと思えた。

今日初めてガンの存在を知らされたなら、きっと激しく動揺したと思う。

 

けれど2年前に推定告知を受けた時点で覚悟はできていたし、

ガンだけでなく、肺気腫など・・・肺自体がボロボロなわけで・・・

もう何を聞かされても驚かないというくらいには、落ち着いていた。

 

それに、原発巣のガンのある場所から、離れた部位へ遠隔転移したら、

それはもう原発ガンの大きさに関わらずステージ4という認定になる・・・と

ネット情報で事前に調べて知っていたから。

(遠隔転移している=全身にがん細胞が散らばっている・・・と考えるからだそう)

 

「そうか、そういうことか。」

 

と、骨転移の状況だけで、置かれた状況の厳しさは十分理解できた。

余命は1年あればいいほう・・・と思ったほうがよさそうだ。

現実的なところでは、年内もつかどうか・・・という段階にあるかもしれない。

いや、その前に肺気腫の急性憎悪を起こす可能性だってある・・・。

(今の父は風邪を引いたら100%肺炎に至るので、常に命の危険はある)

 

しかし、そんな見通しの中にあって、今こうしてブログを書いている自分は

驚くほど冷静で落ち着いている。

 

わたしは、この主治医の話を聞いて、

むしろどんどん明るい気持ちになり、自然と笑顔になっていくのが自分でわかった。

それは「ホッと安堵した」という感情からくるものだった。

 

 

 

 どうしてそんなふうに予想外に明るい気持ちになったかというと・・・

それはシンプルに

 

主治医から痛みの原因を「骨転移が原因」と認定してくれたことで

 

「骨転移じゃないのか?と、もうひとりで悶々としなくていいんだ。

 

とホっとした気持ちがひとつ。

 

そして

 

その主治医が麻薬系の薬を使うと言ってくれたことで

「もう、場違いでは?という思いを抱えながら整形外科へ連れて行かなくてもいい」

「これでようやく、父を痛みのない状態にしてやることができる」

 

という体制が整ったことへの安堵感だった。

 

 

 

家族が重い病気にかかったときに、一番不安を掻き立てるのは

 

「わからない」ことだ。主治医の対応、治療方針、そして本人の気持ち。

 

「わからない」という状況は、頭を疲労させて

人をどんどん負のエネルギーの詰まった場所へと連れていく。 

 

そこがクリアになりさえすれば、

あとは余分なことは考えず、「自分ができること」だけに集中すればいいだけ。

 

 

後ろは見ない。悩まない。疑問を持たない。ただ前へ進むだけでいい。

 

 

向かう場所は、父の人生の最終ステージだ。

 

 

 

主治医の説明を聞きながら、わたしの頭の中にはそんな言葉が浮かんでいた。

 

 (つづきます)