心の中までひとり時間。

先週の後半ごろだったと思うけれど

ある朝起きたら、背中・・・・右側の肩甲骨の下あたりに激痛が走った。

いわゆる「刺すような痛み」というやつで、

まさしく背中からピンポイントで狙って槍で刺されたかのような痛みだった。

呼吸するだけでも痛いし、歩くと振動で痛いし、

右手で何かを持つと重みで痛い。

とにかく、何をしても痛かった。

 

それも(あ~痛いな~)と心の中でつぶやくレベルじゃなくて

痛みのたびに反射的に「うう~~」と、うめき声が自然に口から洩れるほど。

 

椅子に座るのも痛い。

立つのも痛い。

そして、横になるのも痛い。

 

こんな痛みは初めてで、

割と本気で、「寝ている間に骨にヒビでも入ったのでは?」と思った。

でもまさか、そんなことはあるわけないし、

一晩でそんなことになったので、

病的なものではないと思ったし、

「寝違えたのか?背中って寝違えるのか?」とは思いつつ

とりあえず数日経過観察をすることにした。

 

結果から先に言うと・・・

もう痛みはウソのようになくなった(笑)

 

もちろん、一晩で・・・・じゃなくて、計4日くらいかけて

1日ごとに痛みが軽くなり、今はもう全然。

「あれはなんだったのか?」というくらいつらかったのに

人間の身体って本当に不思議。

 

じゃあ、何でもなかった激痛の話を今わざわざどうして書いているのか?というと

実は「痛み」そのもののことよりも、

 

日常生活に支障をきたすほどの激痛だったのに、

夫には一切言えなかった自分を思い出しているから。

 

以前にも何度か書いたことがあるけれど、わたしは体調不良があっても

ほとんど夫には言わない。

病院への送迎を頼まなければならないほどでなければ

(自分で運転していけないほどでないと)

たぶん、言わない。

「え?そのくらい言ったらいいのに?」と

びっくりされるかもしれないけれど、言えないものは言えない。

 

それは

「本当は言いたいけれど、言いづらくて無理をしている」

という状態なのではなくって、

あくまでも

「言いたくない。別に知ってもらわなくていい」

と思っているから言えないだけなので、

 

夫婦関係がどこかおかしいとか、そういう心配をしてもらう必要はたぶん・・・ない。

 

結構長い間、よその夫婦関係と比べて

わたしはたぶん夫に完全に心を開けていないような自覚があるし、

一般的な価値観であろう「夫婦はお互いの気持ちをわかりあって共有すべき」

という感覚に従って、

そうはなれない自分のことを責めたり、欠陥夫婦のように思えたり

「夫婦はもっと真面目な話ができる関係でなければダメだ」と

思いすぎてしまったりしたこともある。

けれど、そういう世間一般の「理想の夫婦像」に近づけようとすることは

わたしにとって、むしろ心がしんどくなってしまうことだった。

自分はもっと心を開くべきなのに・・・と自己嫌悪に陥ったり

「こうあるべき」に縛られて苦しくなったり。

 

けれどしばらく前に、Twitterで「HSP」というワードを知り、

(フォロワーさんが自身のことを「HSPだから」と言ってたが知ったきっかけ)

HSPってなんだろう?」と気になってネットで検索して、知ったのだけど

これが見事に自分のことを言い当てられているかのようで、

自分の中の隠れた生きづらさのようなものの正体が分かった気がした。

 

HSPってなに?と気になる方は検索してみてください(笑)

簡単に言うと、

生まれつき刺激に敏感で、
周りからの刺激を過度に受け取ってしまう人

・・・のことだそうです。

わたしがチェックテストをやってみた結果は、25の質問に対して20該当・・・。

 

これは別に病気ではないし、また、人によっては

「自分はそういう性質の人間だと思い込まないほうがいいのでは?」

という意見を持つ人もいるかもしれない。

これは「概念」みたいなものなので、

「わたしは該当している!」と思う人にとっては、

そうやって自分を見ることによって、安心感を得られると思うし、

「こんなの多かれ少なかれ誰にでもあることじゃ?」と

思う人にとっては無視すればいい話だと思う。

 

少なくともわたしは、「だから自分は〇〇〇なんだ」と、ホっとできた。

自分が身近であるはずの人に対しても心を開けない理由がわかって、

「別にわたしはこれでいいんだ」と思うことができるようになってきたので、

このフィルターを通して自分を見つめることには意味があると感じている。

 

なんというか、自分にとって心地のいい状態は、

世間一般の価値観とは違うかもしれないけれど、

 

わたしはこの状態こそが幸せだからこれでいいの。

 

と、自信をもって考えられるようになってきたこと・・・・というか。

自分の思考に一番影響を及ぼしているのは、たぶん子供のころの親子関係だと思う。

別に虐待された経験があるわけでもないのに

物心ついた時から常に親の顔色を伺う子供で、反抗期がなかったし

(※親が怖くて反抗できなかっただけ)

親からの反応を過度に恐れて「あれがしたい」「これがしたい」「あれがほしい」

「これがいい」という、自分の希望をほとんど言えなかった。

いつも母親の顔色から

「母親が期待しているだろう答え探して”これでいい”と言うような子供」だった。

記憶にハッキリ残っているのは

「こんなことを言ったらお母さんに何て言われるだろう」

と、反応を気にして言えなかった自分の頭の中。

それが大人になってもずーっと尾を引いていて、

夫に対しても

「自分が期待している反応と違ったときに
言わなきゃよかったなと後悔してしまうこと」を極度に嫌がって、

「だったら言わないでおくほうがラクでいいや」

と、いう選択をしてしまっている感じなのだと思う。

家族に対しても、友達に対しても・・・・。

もうこれは「思考の癖」であって、年齢や環境で変えられるものじゃないと思う。

だから、おそらく

わたしの夫が別の誰かだったとしても、わたしはきっと同じことをすると思う。

つまり、わたしの思考の問題であって、

「夫婦の相性の問題」じゃない・・・ということ。

 

誰に対しても、相手から出てくる反応を極度に気にしてしまう性質だから

それはもう、相手が誰であろうと関係ないのだ。

 

 

背中の痛みは数日で引いた。

夫にバレないように動きが挙動不審になってた時は(痛みでサッサと動けなかった)

「そこまでして痛みを隠す理由は何?」と自分でも失笑したけれど

結果的に言わなくて、めんどくさい思いをしなくてよかったわという気持ち

になっているので、

ああ自分はこういう人だから、コレでいいんだなと再確認した。

 

もちろん、夫が具合が悪いと言えば、あれこれ調べたり薬を買ってきたり

病院へ行くように促したりと、世話しますよ。これでも尽くす妻なので(笑)

 

よく「ひとりが好き」と言うけれど、

わたしの場合はたぶん、物理的にひとりで過ごすだけでなく、頭の中でもひとりで

いたいタイプなんだろうなと思う。相手がいると、相手のことを考えすぎたり、

相手の反応を気にしすぎたりして、疲労が増していくから・・・・。

ひとりで考えて、ひとりで対話する・・・。

そうして、特定の誰かの顔を見て・・・というよりは、

ブログやTwitterという、何もない空間で自分の気持ちを吐き出しているのが

一番ラクチンな自分。

 

他人からみたら、とっても不健康に見えるかもしれないし、

たぶん、割と本気で淋しい人に見えるかもしれないけれど

 

これでも結構楽しんでいるのです。

 

「わたしはこれでいいんだ」と、自分が自分自身の得手不得手を

理解してあげる感覚は、大事だなと思う。