気づきと決意。

金曜日のお昼に父に送ったLINEは、

結局、その日の夜寝るときまでずっと既読が付かなかった。

 

そして、一夜明けて土曜日の朝もう一度確認すると、ようやく既読がついていた。

けれど、返事がない。

父は年寄りなので「既読無視」なんて横着なことはしない。

何か送れば必ず返事をよこす。

なのに今回は返事がない。

 

LINEが未読なのは「気づいていないんだな」で納得できるけれど

既読がついているのに返事がないのは「返事を送れる状態じゃないのでは?」と

不安が増幅してくる。

 

前夜、夫からも「行っておいで」と背中を押されたこともあり、

ごちゃごちゃと考えるのはやめて、

とにかく父のところへ行くことにした。

もちろん、病院につれていくつもりで。

でも、木曜日の朝そうだったようにゴネたりキレたりするなら

もうそのときはしょうがないな・・・と思う覚悟で。

「無駄足だった」「来なきゃなかった」と思わないぞと自分に約束して。

 

そして父の自宅へ到着し、リビングへと足を進めると

小さくメジャーリーグの野球中継の音声がして、

父がとりあえず床に伏せっていないことは確認できてホっとする。

 

今日もやはり、酸素のチューブは床に落ちていて

父もまた、いつものようにソファに沈み込むような姿勢で持たれてウトウト寝ていた。

けれど、どうも様子が少しおかしい。

呼吸が浅くて、ぐったりしている。明らかに酸素が足りていないとわかる。

 

「お父さん」

 

と、声をかけるとぼんやりと目を開けてわたしだと気が付いた。

 

酸素のことを「怒る」と、不機嫌になるのであえて

 

「ほらお父さん、酸素を吸うのを”忘れちゃってる”よ。」

 

と声をかけて、吸うように促すけれど、肝心なチューブから酸素が出ていない。

まさかと思って隣の寝室に設置してある酸素生成装置を見に行くと、

酸素吸入を「ちょっとサボっている」どころが、

父は酸素生成装置の「元」から電源を切っていたことがわかった。

あわててスイッチONして、父に吸わせる。

 

父も素直に従ったところを見ると、息が苦しかったのだと思う。

素数値は怖くて測れなかったけれど、確実に90未満だったと思う。

 

就寝中は元から電源を切って吸っていないことは薄々わかっていたので

少なくとも12時間くらいは・・・・吸ってなかったのではないだろうか?(汗)

 

酸素吸入させて、少し父が落ち着いたところで本題を切り出す。

 

私「背中はまだ痛い?」

 

父「痛い。」

 

ぐったりしているのは、低酸素のせいだけではないとわかった。

たぶん、背中が痛いから何もかも億劫になっているのだろう。

そして、あの注射をゴネた木曜日の朝よりも明らかにつらそうだった。

 

私「注射打ってもらいに行こう。ね?」

 

父「うん・・・・。連れてってくれるか?」

 

私「うん、いいよ。行こう。そのために来たから。」

 

?!?!

まさかの即答だった。

 

驚くほど素直に。なぜだ?

木曜日の朝は「あの整形はヤブだから二度と行かない」とまで言ったのに。

わたしがあれだけ悩んで、迷って迷って、

「無駄足になってもいい」という覚悟で来たのに拍子抜けするほどあっさりと

病院へ行くことに同意した。

 

まあ・・・あの日はああやって抵抗したものの・・・

痛みはその後もっと悪化したのかもしれない。

さすがに我慢できないと思ったのかもしれない。

とにかく、父の気が変わらないうちに・・・

そして、痛みはつらそうなものの、とりあえず機嫌は悪くなかったので

これをキープした状態で連れて行かねば・・・と、

つとめて優しく声をかけ続けた。

 

5月に激痛で急きょ整形へ連れて行ったときには

先生の勧めで「点滴での痛み止め」もしてもらい、痛みをかなり緩和できた。

今回もあのときのレベルくらい痛みはひどそうだったので

 

整形外科へ向かう車中で

 

私「今日は痛みがひどいから、注射だけでなく点滴もしてもらったほうがいいよ。」

 

と父に言うと

 

父「はい。」

 

と、これまた素直に従った。

 

 

点滴は時間がかかるし、患者の数も膨大だったので、

受付してから点滴が終わるまで2時間待たされた。

 

が、点滴を終えてもどってきた父には「まだ痛い」とは言うものの

とりあえず笑顔が戻っていた。

 

病院を後にして、父のリクエストで一緒に買い物にも付き合う。

父はとても楽しそうだった。

痛みはあるけれど、「歩いているときのほうが楽」なんだそう。

 

 

「背中をベッドにつけると痛くて眠れない」という言い方をよくしているので

背中側に張り付くようにガン(推定)がある父はの身体は

横になると肺の重みで圧迫されて激痛を起こすんじゃないだろうか?と

素人考えで思っている。

 

父を実家に送り届けたときには、「まだ痛みが減らない」と言っていたけれど

以前「点滴+注射」の二段構えで痛み止めを注入してもらったときも

時間が経ってから効果が出てきたので

きっと夜までには効いてくるはず・・・・と信じたいところ。

わたしにできることはこうして病院に連れてくることだけなので

あとは祈るしかない。

 

午前中がまるまる病院付き添いで潰れる形にはなったけれど、

様子を見に来てよかったと思ったし、

注射に連れていくことができてよかったと心底思った。

夫が背中を押してくれなかったら、

きっとわたしは父からまたゴネられることを怖がって行かなかったと思う。

本当に夫には感謝しかない。

父に優しくできたこと、病院に連れていくことができたこと、父を笑顔にできたこと。

全部夫のおかげだ。

彼はきっとそんなこと思っていないだろうけど。

 

病院の帰りに寄ったスーパーで、自分の好物をうれしそうに

カゴにいれる父の姿を見ていたら

 

あとたった1年か2年で・・・

この父が消えてなくなるかもしれないだなんて?そんなことあるの?と

なぜだか不覚にも泣きそうになった。

こんなふうに、父のわがままに腹を立てたり傷ついたりしながらも

振り回されながら付き合い続ける日々が

ずっとずっと続くような気がしてしまう。

 

嫌な思いはさんざんさせられたし

わたしを困らせることばかり言うし、

文句は多いし、物事の批判ばかりするし、

自分のことしか考えていない父だけど

 

やっぱり兄弟が言うように「どうでもいい」だなんて思えないのだ。

わたしには。

だって、母が亡くなってからの20年、ずっと近くにいたのだから。

 

この先、どんな展開が待っているか?わからないし

きっと、優しくできる日もあれば

イライラして冷たくしてしまう日もやっぱりあって、

ブログに書く自分の気持ちもコロコロと変わったり

揺れ動くかもしれないけれど

 

それもこれも全部わたしなので

夫からの客観的で冷静な意見に耳を傾けつつ

自分のできること・できないことをちゃんと見極めつつ

 

自分なりの通い介護を続けていこうと思う。