誰のための介護か。

話は月曜日にさかのぼって・・・。

先週のミーティング後、すぐにケアマネKさんがヘルパーさんの

手配をしてくれたので早速今週からヘルパーさんに入ってもらいましょう~

という手はずだった。

 

ただ、初回なので「顔合わせ」とお願いする作業の確認もかねて

ヘルパーさんが通常はいる時間の30分前に

ケアマネさん、ヘルパーさん、そして訪問看護師さんが父の家に集合することになり

話をすることになっていた。

 

約束の時間の15分くらい前に、わたしは実家に到着したのだけれど

家の中に入って、真っ先に目に飛び込んできたのは

いつも父が脱いだものなど、汚れ物を入れておく洗濯カゴだった。

(↑この中身を週3回回収して自宅で洗濯してくるシステム)

 

(あれ?どうして洗濯カゴに脱いだ服が・・・?昨日日曜日だったし、

金曜日の訪問看護師さんの入浴の洗濯物は土曜日にわたしが持ち帰ったはずなのに?)

 

と、若干イヤーな予感を感じながら、まさかと思って父に尋ねると

 

「ああ。昨日自分で風呂に入った。」

 

と、何食わぬ顔で言う。

 

はあーーーーー?!

風呂に入っただとぉーーーー?

今からヘルパーさんが来るのにぃ?

退院してからずっと、お風呂は看護師さんが来たときに入っていたじゃないか。

看護師さんが来れない祝日は、わたしが来て支度してやったじゃないか。

 

それをなぜ突然一人で入る?このタイミングで!

 

ヘルパーさんにお風呂介助を頼んだ

わたしの立場 isドコ?

 

「え?何言ってるの?月曜日、ヘルパーさんが来るって言ったよね?

今日今からお風呂入れてもらうことになってるのになんで入っちゃうの?」

 

 

と、思わず聞き返すと

「今日は顔合わせだけだって言ってたじゃないか。(←言ってません!)

だから入っただけだ。」

と、わたしの・・・隠しきれない苛立ち感が伝わったのか、ふてくされて答える父。

 

この日のわたしは、まだ先週~土曜日の「スタバおでかけ事件」までに至る、

父のやりたい放題による精神的なダメージのど真ん中にいて・・・

言ってみれば

「近寄るな危険。ささいな刺激で爆発します。」

という張り紙を背中に貼って歩いているようなものだった。

だから、わたしが準備してきたことを無にする父のことがどうしても許せないと

思ってしまった。

 

注:)今は、振り返りながら気持ちも整理してこれを書いているので

もっとやわらか頭で冷静に考えていますが、このときは

「お風呂が大変だからといってヘルパーさんお願いしているのに

初日から”自分で入ったからお風呂要らないっす”だなんて、わたしの立場がない!」

・・・と、とにかくその思いでいっぱいいっぱいで怒りしか感じなかったのです

 

 

困ったなぁ・・・と思っているところへまずケアマネさんがやってきたので

「お風呂自分で入っちゃったらしいんですよ」と、事情を話し、

「・・・ということで、今日はお風呂はいいみたいです・・・。」

と丁重にお断りした。

 

優しいケアマネさんは、

「あら~~~自分で頑張っちゃったんですね~」なんて笑ってくれたけれど

 

このあたりから、なんだかもう

 

「ヘルパーさんに来てもらう意味あるのか?」

 

という自問自答が頭の中をぐるぐるし始めていた。

 

その後、訪問看護師さんとヘルパーさんも到着したので、

改めて向かい合ってあれこれ話をしたのだけど・・・・

ここでまた父のトンデモ発言が飛び出す。

 

現在の生活状況についてケアマネさんがあれこれ質問をしていたのだけど

その中で「現在、酸素は何リットル吸ってますか?」の話から

「寝るときは何リットルにしてますか?」と聞かれたときのことだった。

 

 

「いや、寝るときは吸ってませんから。

酸素外して寝てるんで。」

 

と、平然と答えたのだ。

 

ケアマネさんだけでなく、看護師さんもいるところで、よくもまあそんなことを

堂々と言えたものだわ・・・と、

わたしは完全に傍観者になりきって呆れて父の言葉を聞いていた。

 

「エエッ?!外してるんですか?

ダメですよ、それは・・・!(;゚Д゚)」

 

ケアマネさんと訪問看護師さんが慌てながら父に言うのだけれど

父は当然、全く耳を貸すわけがない。

 

「寝ている間に酸素のチューブが腕に絡まって

”チューブが折れています”ってアラームが鳴って夜中に起こされるから、

うるさくて眠れないし、外すことにした。

寝る前に酸素濃度を測るとちゃんと90はあるから何の問題もない (フンッ)。」

 

と、ここでも持論を展開。

ケアマネさんと看護師さんは、言葉を選びながらも「酸素を外すのはよくないですよ」

ということを口々に訴えていたけれど、わたしはあえてその説得の輪に加わらず、

何も言わずに3人のやりとりをただ黙って聞いていた。

これ、相手がわたしだけだったら父は逆上していただろうなあと思いながら。

 

一応、相手がケアマネさんや看護師さんだから、多少は自制が利いてたようだけれど

それでもしつこく言われるものだから、

「酸素外したって何にも苦しくないんだから、何の問題もない。

自分の身体は自分で一番わかってる!」

と、ついには声を荒げ始めた。

それでも、彼女たちの助言を聞き入れる気は一切なかった。

 

もちろん、以前のわたしだったら「ダメだよお父さん!」と真っ先に声を上げたはず。

でも、もうそんな不毛なやりとりに疲れ果ててしまったのよ・・・・。

リハビリを父に勧めるのを金輪際やめようと決めた時、

酸素の使い方にも一切関与せず、注意することもやめるとも決めていたから。

どんなに「それが体のためだから」と説得を試みたところで、

父は聞く耳を持たないし、わたしの声は「うるさいハエ」のようなもの。

 

 

先週からずーーーーっと、ストレスを感じながら「どうやって向き合ったらいいのか」

を自分なりに考えているうちに、見えてきたのは

わたしの苛立ちの元は

「わたしの言うこと正しいのに、父が全く言うことを聞いてくれない」

というフラストレーションだということだった。

言ってることは正しくても、それは自由でいたい父にとっては、

「正論や善意のおしつけ」でしかないんだろうなあ・・・と、

客観的に自分を見つめなおすことができたつもり。

 

わたしは父の通い介護が始まってから・・・・

「父のため」といいつつ、

「自分がいかに安心できるか」を最優先にしてきていたのだと思う。

それはもちろん、とても大事なことなのだけど

自分が「これが最善なのよ」と作り上げた介護プランの枠の中に、

誰が見ても形の違う「父」というピースを

無理矢理はめ込もうとギュウギュウ押し込んでいたのだ。

少しずつ気力体力を取り戻した父はだんだんと硬化して、

わたしが作り上げた枠にはまることを明確に拒否しはじめてきたのだろう。

 

この先の余命がどのくらい残っているか・・・

あとどのくらい、肺がもってくれるのか・・・?まったくわからないけれど

決して長くはないと思う。

要介護3~4で認知症だけど体の中は健康そのもの、という人よりは

要支援2だけど、肺はすでにボロボロ・・・な父のほうがどう考えても余命は短い。

別に悲観的になってるわけでもなく、

肺状態の悪化からしても、あと5年生きられればいいほう、最悪の場合は

次の風邪→肺炎であっさり命を落とすことだってあり得ると思っている。

(だからこそ酸素吸入は大事なのだけど本人が認識していないのだからお手上げ)

 

そんな現実からすると、 わたしばかりがひとりで熱くなったところで、

あと数年しかないであろう父の余命は、

父にやりたいようにやらせても、そんなに変わらない気がしてきたのだ。

 

だったら・・・・その間、いつも父に腹を立てて、父も逆ギレを繰り返して、

表面上だけでも、なんとかうまくやってきた親子関係を険悪なものにしたり、

わたしが自分を保てなくなってしまうことを避けるためにも

「いかにわたしがストレスを感じないで過ごせるか?優しくいられるか?」

という視点を大事にするべきかな・・・と考え方を変えてみることにした。

 

そうやってたどり着いた答えがまず、

「リハビリ」と「酸素問題」には自分はもう口出ししないこと・・・だった。

(ケアマネさんや訪問看護師さんから働きかけてもらえるだろうし)

 

そして、さらに・・・

この話し合いの場に参加しながら、湧き上がってきたのが

訪問介護そのものに対する疑問符なのだけど、

いつもどおり、話が長くなってしまったのでまた次回。(つづく)