自立に向かって・・・?

担当者会議での、もうひとつのモヤモヤの話。

この日の担当者会議の目的は、新しくリハビリに通い始めるということで、

父の現状確認と

訪問看護師さんから理学療法士さんへ”リハビリをする上で
注意することがなどを伝えてもらう”などあるので、全員に集まっていただきます」

・・・と、ケアマネさんから聞かされていた。

 

ところが、実際に全員がダイニングテーブルを囲んで話し始めた時、

進行役のケアマネさんが訪問看護師さんに

「何か注意することなどありますか?」

と、意見を求めた時に、その場にいた訪問看護師さんは

あきらかに戸惑いの表情で

 

「え?別に何もありませんけど・・・?」

 

と、フッ鼻で笑ってそっけなく答えただけだったのだ。

わたしは人の表情やその言葉のトーン、それが活字の会話であっても

その人の感情だったり、「本当はこう思っている」という本音の部分を

敏感すぎるくらいに察してしまう傾向にある。

(これはストレスを増やすだけでちっともいいことはない)

このときの、看護師さんの反応は明らかにおかしかった。

それは

「もう〇〇さんは、元気になったし、どこも悪くないじゃないですか」

と言われているように、わたしには感じ取れたのだ。

 

なんだかひっかかるものを感じながらも、その場は受け流そうとしたわたし。

けれど、ミーティングが終わり、

来てくださった担当者のみなさんを、玄関先まで見送るときに

わたしが感じていた違和感が気のせいじゃなかったとわかる出来事が。

 

訪問看護師さんから

「お父様ですけど、体調のほうも安定してますし、酸素の管理もご自分でできて

いますし、訪問看護といっても今は健康状態をチェックしにきているだけですから

一旦、訪問看護をやめてもいいんじゃないかと思いますよ。

1度訪問看護を受けたら、死ぬまでずっと・・・というものではないですから。

こうして、リハビリにも通われるわけで、自立した生活ができるように

なってきているわけなので、訪問看護の必要はないかと・・・。

と、言われたのだ。

 

看護師さんの説明は、訪問看護という立場から見たら、

きっと何も間違ったことは言っていなかったと思う。

 

けれど、そのとき突然そんなことを言われたわたしは、

なんだかよくわからないけれど、とにかくショックだった。

突然のことに戸惑っていて、「どうしてそんなふうに言うんですか?」

という気持ちになっていた。(もちろん思っただけ)

 

たぶん、自分の中で一番モヤモヤしたのは、看護師さんが

 

「自立出来てきている」と父のことを表現したことだったんだろうと思う。

 

でもこのときのわたしは、

この父親のどこが自立できているんだ?という気持ちだった。

父が自立しているなら、どうしてわたしはこんなふうに通っているの?と。

  

看護師さんには「訪問看護師が入るまでもない」と、見えているんだろうな。

けれど、家族には全くそんな風に映っていない・・・という、

決して噛み合うことのない、認識の差があったのかも。

それとも、実際に訪問看護を利用する患者さんというのは、

寝たきりで家から出られないとか、そういう人ばかりなのかもしれない。

 

 

そもそも、父の生活がこの先「自立に向かっていく」なんてイメージは

わたしの中にはひとかけらもない。

よくて現状維持。その現状維持をどのくらい長く続けられるか・・・だけ。

例えばこの先、酸素ボンベが必要でなくなるような日がくるのであれば

それがわたしや父親にとっての「回復」や「自立」になる。

でもそんなことは絶対に起こりえない。一度失った肺機能が戻ることはないから。

だから、常に今が「一番いい状態」であって、ここから一段上がることはなく

滑り台の途中で、それ以上ズルズルと落ちていかないように

両手両足で踏ん張っているような状態でしかないのだ。

 

 

風邪を引いただけで100%の確率で肺炎=入院になることはもちろんのこと、

その、ただの風邪が急性憎悪を起こして命にかかわる状態を引き起こす恐ろしさを

昨年10月の入院で思い知ったばかり。

おそらく、わたしの中であのときの入院で味わった急変が、トラウマのように頭に

こびりついていて不安感になっていて、

それで訪問看護を辞めてほしくない気持ちが強いのだと思う。

わたしの中では父の身体は

「今日は元気だけど、風邪ひとつで命を落とすかもしれない状態」と思ってきた。

 

だから余計に、看護師さんの「自立」というその言葉に引っかかったのだと思う。

 

「もうどこも悪くないから看護師必要ないのでは?」と

遠回しに言われた感じが、突き放されたような感じに受け止めてしまった感じ。

(もちろん看護師さんはそこまで冷たい言い方はしていない)

 

 

ぐるぐると考えると全くわからなくなってしまった。

 

訪問看護師さんの突然の言葉に戸惑っていたそのとき、横で話を聞いていた

ケアマネさんが助け船を出してくれた。

 

「ま、まあ、いきなり訪問看護をなくしてしまうというのも心配でしょうから、

まずは隔週にするとか・・・。

あるいは、4月には半年ごとの介護サービスの見直しで

また担当者会議をすることになりますから、

そのタイミングで終了するということにしてもいいのでは?

お父様もリハビリ始めたばかりで今度は訪問看護をなくす・・・とか、

一度にいろいろ状況が変わりすぎると理解がついていかないかもしれないので。」

 

と。

わたしとしては、訪問看護を受けていることは安心感につながるし、万が一体調が

急変した時に(総合病院でも)予約なしでも早く診察が受けられると聞いているので

できれば続けたいと思っている。

なので、その時いきなり言われて「じゃあやめます。」とは言えず・・・。

ケアマネさんの言葉にのっかるように

「それじゃあとりあえず4月まで続けてもいいですか?」と言ってその場は終わった。

 

たぶん、わたしの中のモヤモヤは、

なんとなく、訪問看護師さんから「必要ないのでは?」なニュアンスのことを

言われたのに、訪問看護を受け続けることに感じる後ろめたさみたいなものだと思う。

まるで「健康なのに病人のようにふるまっているかのよう」で。

いや、病人なんだけど。

うーん・・・。

 

まだモヤモヤしているけれど、あまり考えないようにしなければ。

 

今週は、月曜日にリハビリに付き合い、木曜日は担当者会議に付き合い・・・で

父と過ごす時間が長すぎて、精神的に疲れているので、

今日の訪問は「ちょっと風邪気味だからうつさないようにすぐ帰るわ」とウソをついて

用事だけをすませて15分で帰ってきてしまった。

次は火曜日まで行かないつもり。

 

その間、父のことは考えないで過ごす!