父とわたし。

このところ、ネガティブ前回な記事が続いていて、読んでくれるみなさんを

うんざりさせてしまっているのではないかと、

そこもまた胸を痛めながらブログを書いていますが、

もう少しだけお付き合いください。

今、ようやくなんとか迷路から抜け出すヒントを自分なりに見つけたところなので

あれこれ模索しているところです。

 

「親の介護、つらいこともブログの中で面白おかしく書こう!」という才能は

これっぽっちもない凡人ですので、

いつも自分の揺れ動く自分の気持ちをありのままに書くことしかできません。

 

「あのときはあんなに前向きだったのに」どうして今はこんなに後ろ向きなんだろう?

と、過去記事を読みかえして自分で自己嫌悪にもなったりしています。

でも、年老いた親と向き合うってそういうことなんだな、と

今、ようやく本当の意味で老親との距離感の難しさが

わかってきたところかもしれません。

 

もともと本質的には「仲良し父子」だったわけではありません。

わたしは父に「自分について」を一切語ったことがありません。

「自分について」ってすごく大げさに聞こえますが、

自分が好きな食べ物、自分が好きなこと、

昨日こんなバカなことしちゃってさーなんて緩い話から、

息子のこと、大学のこと、就職のことも、

海外ドラマが大好きなことも、

この歳で必死に英語を勉強していることも、語ったことがありません。

「えー?話してあげたらいいのに~」と思った方はきっと

いたって健全な父子関係の中で育った方なのだと思います。うらやましい・・・(泣)

 

うちはそうではありませんでした。昔から。

父は、ものすごく狭い視野の中の、自分の価値観でしか意見を言わないので、

よく知りもしないことも「決めつけて」話す傾向が強いです。

なので、何か話しても、「わたしのことを何も知らない父親」から

自分についてコメントされたくないという防御本能で、

父に自分のことを話さない癖が身についたのだと思います。

 

そもそも、父も「わたし」を知ろうとすることもありません。

父は常に「自分」にしか興味がない人なのです。

その証拠に、この2か月間、わたしの家庭や夫のことを

「お前、仕事のほうは休んでばかりで大丈夫なのか?」とか

(↑父にはまだ仕事をしていると信じさせているので)

「〇〇(夫)さんに迷惑がかかっていないか」など、気遣ってくれたことは

1度もありません。

入院中から含めても、普通だったら一番気にしてもらってもいいはずのことを。

 

たった一人の孫である、息子のことすら聞いてきたりしません。

興味がないのです。人の気持ちを察するとか、人の立場に立って考える、とかが

悲しいけれど生まれつき欠如している人なので・・・。

父が孫の話をするときは、

それは誰か他人に対して自慢するための材料にするときだけです。

「うちの孫は背が高くて男前で、優秀だから大学で○○の勉強をしているらしい」

と。(※別に息子は男前でもなければ、特別優秀でもありませんよ)

 

 

自分の身を守るために・・・自分がストレスを抱えないために・・・と

とりあえず父がご機嫌にしておけば、自分も安泰である・・・というそんな理由で

父のために自分を殺してあれこれ尽くしてきたわたしにとって、

今こうやって週に3度4度と顔を突き合わせる状態は、

まさに自分に負荷をかけすぎている状況で、

わたしの心がオーバーヒートを起こしているに近いんだろうなあと思っています。

 

わたしはここから・・・・

これまで「頑張らなければ」と自分が思い込んで、進めようとしてきたことを

ひとつずつ消していき、「父のため」という考え方を捨てて

「自分を守る」ための物の考え方、物事の進め方にシフトして行くべきだと

思い始めています。

そうでないと、このぎくしゃくした父子関係の中で、そう遠くないうちに自分の

心が本当に壊れてしまいそうな危険を感じているからです。

なぜなら、このところずっと・・・・本当に起きている時間中・・・1日中

常に「父のことどうしよう?」で頭が支配されて、

ほかのことを心から楽しめない状況に陥っているからです。

我ながらさすがにこれはマズイ、と思いました。

 

最終的にそういう気持ちになるきっかけとなった「さらなるダンジョン」の話は

後ほど書くので、よろしければまた読んでください。

 

とりあえず・・・煮詰まったものを発散すべく、

今日はこれから週に1度の英会話スクールで、リフレッシュしてきます!