ユウウツの正体。

先週1週間は、父の定期検診から始まって、

介護認定結果に基づいてのケアマネさんとのミーティングなど、予定盛りだくさんで

そのうえ父の言動に振り回されて、精神をすり減らしていたわたし。

 

金曜日のミーティングの後、父から

「明日、スタバに行きたいんだけど連れてってくれるか?」と聞かれたときは

正直、

「もう今週は休ませてくれ」と思った。

けれど、父の車の運転をやめさせたいと思っている以上、こういう「連れてって」の

お願いにはいつでも快く、笑顔で、そして二つ返事で「もちろん!いいよ!」

言わないとダメだと思っているので、本音を殺してそう答えた。

 

田舎なので、スタバといえば大抵ショッピングモールに入ってるスタバしかない。

父の自宅から車で15分ほどいったところに行きつけのショッピングモールがあり

その中にテナントとして入っているスタバが、父のお気に入り。

店員さんからも「〇〇さん、こんにちは~」と名前で呼ばれ、

オーダーも「いつもの」で通ってしまうほど常連だと本人から以前聞かされていた。

 そのくらい、父はスタバが好きである。

 

土曜日の朝、約束した時間に父を迎えに行くと

なんと父はまだ、パジャマ姿のままでだらしなくソファに座ってテレビを見ていた。

「お父さん、まだそんな恰好してるの?」

わたしに言われると、「もうそんな時間か?」と、のんきに言って

ようやくノソノソと支度を始めたのだが・・・

やはり、鼻には酸素のチューブがついていない。

例の「座っている時は酸素は要らないんだ」という困った自己判断だ。

 

酸素なしで、動き回って着替をしたりバッグの中身を確かめたり・・・と

しているので、さすがに気になって

「お父さん、酸素を先につけてからに支度したほうがいいよ。」

とやんわり言ったが、父はわたしのほうをチラリと見ただけで

「大丈夫だ。」

と、短く答えて注意を無視し、酸素なしで動き続けていた。

 

そうして身支度を整えて

(※この間15分くらい立って動き続けていたけれど当然酸素吸入なし)

ようやく玄関まで来て、玄関先においてある外出用の酸素カートのチューブを

鼻につける父。

しかし、チューブをつけなければいけないというのに先にマスクをしてしまい、

マスクの上からチューブを耳に掛けようとしているものの、当然うまくいかず

モタモタしているものだから

「お父さん、一旦マスクは外して先に酸素つけてからにしないと・・・」

と横から声をかけたそのとき、

 

「お前はいちいちうるさいッ」

 

キッとわたしをにらみつけて、父がまた逆ギレした。

 

 

 

あーーーーーーー・・・・そうですか・・・・。

 

以前、散歩のときに受けたようなショック状態にならなかったのは、

この2か月間で少しはわたしも成長したと言えるのかも。 

norako-hideaway.hatenablog.com

 まったく悲しくはなかったけれど、

人の好意を簡単に無にする父の態度を「スルー」できるほど

寛容な心は持ち合わせていないので、怒りはしっかり湧き上がった。

疲労困憊なのをグっと抑えてわざわざ来たのに、

出かける前からこんなことを言われ方されるとは予想もしなかったよ。

わたしの顔色がサっと変わり、知らん顔をして車に先に乗り込んだことを

父がどう感じたかはわからない。

「しまった」とくらい、思ったのだろうか?

わからない。 

 

当初、一緒に行くのだから・・・気は進まないけど(ひとりになりたいけど)

スタバも一緒に行ってあげないといけないかなぁ・・・と

考えていたけれど、それも父の態度で見事に吹っ飛んだ。

とてもじゃないけれど、向き合ってコーヒーを飲むだなんて無理だ。

ショッピングモールに着いた時、

父は何事もなかったかのように「お前も一緒にスタバに行かないか?」

誘ってきたけれど、どの口が言う?である。

「ごめん、わたしは買い物したいものがあるから」と、

父と目線を合わせることもなく、やんわり拒否した。

 

父がスタバでくつろいでいる間・・・・

本当は特に買いたいものがあるわけでもないわたしは

スタバから離れたところにある通路脇にあるベンチに座って、

気持ちを整理しながらぼんやり父を待っていた。

 

もう、どうしたらいいのかわからないや。

  

自分でハッキリ自覚できていたことは、

父の介護度と自分の精神的なつらさがイコール関係にないことだった。

 

世間的にみたら全然介護度はたいしたことじゃないのに、

どうしてこんなにつらいんだろう?・・・って。

(たぶん、このブログを読んでいる人からもそう思われているかもしれない)

 

わたしは「通い介護」自体がつらいわけじゃない。

買い物・掃除・洗濯・ゴミ捨てを週3回。めんどくさいとは思うけれど

精神的な重荷になるようなことではない。

つらいのは、父との対話なのだ。父と同じ方向を向いていないこと。

でもそれってつまり・・・・介護は全然関係なくて

 

実は単純に「親子関係」の問題なのでは?

 

酸素を勝手に外してしまうこと、リハビリ、車の運転問題など・・・

俺流を貫こうとする言動が、たとえば「認知症」が原因であったなら、

わたしの受け止め方も違っていたと思う。

そうではなく、父の場合は、そのハッキリとした頭で

「自分の思い込みと気分」だけで自己主張してくるから、質が悪い。

そして、体調のほうが安定しつつあり「自分の身体はもう何の問題もない」と

強気になり始めている父の制御が利かなくなったこと・・・

(弱っている状態のときは助言にも素直に従うのよね)

 

 病気だから、在宅酸素だから、いろいろ不自由になったから・・・と

父をかわいそうに思う気持ちも手伝って、ここまで気を張ってきたけれど

たぶん、自分は「わたしの思い通りにならない父」に苛立っているのだと思う。

 

それこそがわたしを苦しめる「憂鬱の正体」なのだ。

 

もちろんそれは「父のためを思って」という気持ちでやっていることなのだけど

言葉の表面だけをすくい取れば、それはやっぱり

「わたしがいろいろ情報を集めて常にベストな方法を考えてるのだから、

お父さんはわたしの言うとおりにしていればいいの」

という押しつけにしかなっていないのかもしれない。

わたしはそこを改めなければいけないのでは?

つまり「父が拒否することはあっさりあきらめる」ということ。

 

 久しぶりのスタバを満喫した父との帰り道、

例のリハビリの話を・・・(希望のリハビリ・デイは空きがなくて入れないという話)

を父に報告した。

 

今までのわたしだったら、

「・・・ということで他を探さなきゃ、もうひとつのBサービスを試してみない?」

と、リハビリ・デイの話が立ち消えないうちに話を進めるところだけれど

もう完全に思考停止状態に陥っていて、父を説得しようという気力は

もう1ミクロンも残っていなかった。

 

「・・・ということだから。

ほかのリハビリを試してみることもできるけど、

お父さんは行きたくないみたいだから、無理に行かなくていいよ。

別にわたしはそれで構わないから。」

 

と、父に告げた。 

もう、父のやりたいようにやらせよう。

 

正論を通して説得しようとするだけ、自分が疲弊するから。

自分は生活援助をする家政婦さんに徹したほうがいいのでは?

家政婦さんは、「いやこれはこうしたほうがいいですよ」なんて

その人の問題に介入なんてしない。わたしはそうすべきなのでは?という

葛藤の末に出た答えだった。

 

ひねくれ者の父は、わたしがあっさりとリハビリの話を引っ込めたことに

急に慌てたのか、

「年内に待って空きが出なかったら、年が明けてからよそのリハビリを試してみるよ」

と前向きニュアンスを漂わせた返事を返してきたけれど

まあ、そんな言葉は年が明けたら父は忘れているはずなので、意味のない約束だった。

 

父の足腰が・・・なんて、あれほど考えていたのに、

そんな気持ちも放棄してしまった自分に罪悪感も感じている。でも・・・

明らかに弱ってきたら、そのときになって自分から「行く」と言い出すかもしれないし

車椅子に頼るようになったとしたら、そのときはそのとき考えることにする。

自分の猛プッシュでなんとかリハビリに行かせたところで、

不平不満を聞かされるに決まっている。新たなストレスを生み出すだけだ。

 

すごく薄情で冷たい態度かもしれないけれど、

今はただただ、自分の気持ちを楽にしたかった。そして

「こうすべき」という思考から解放することが自分にできる唯一の方法だった。

 

事実、「リハビリ行かなくていいから」と言い切ったあとは

なぜだかものすごく心が軽くなった。

 

「自分が運ばなきゃ」と一人で勝手に思いつめて担ぎ続けていた大きな荷物を

ひとつ下ろした気分だった。

 

けれど、「これを一区切りにひとつ楽になれるかな」と思ったのは

とんでもなく甘かった。

わたしは今、次のダンジョンの中に入り込んで抜け出せなくなっている(泣)

 

(つづく)