心折れた出来事。

先週末の土曜日。

退院してから毎日当たり前のようにパジャマで1日を過ごしている父を

外へ連れ出さねばと思って

「お昼、どこかに食べにいこう」

と、父を誘った。父は特に嫌がる様子もなく出掛けることに同意して、

久しぶりに私服に着替えた。

父が行きたいと言ったうどん屋さんへ行き、おいしいうどんを堪能。

帰り道にはスーパーへ寄って、果物やおやつなど・・・

自分で何か欲しいものがあれば買い物させてあげるつもりでいた。

ところが、スーパーへ着くと

「俺は車の中で待っているからお前が買ってきてくれ」と言う父。

 

スーパーへ寄るのは口実で、父をもう少し歩かせたいのが目的だったのに・・・。

酸素のリュックを背負ってスーパーの中を歩くのが嫌なのか?

それとも久しぶりの外出で、外食だけで疲れてしまったのか?

よくわからなかったが、無理強いはできないので

父を車に残してひとりで買い物を済ませた。

 

帰宅すると、父は当たり前のように再び私服からパジャマへと着替えてしまった。

 

こんなことでは本当にダメだ。

 

と、その姿を見ていて不安を感じつつ、その日はわたしもそれで帰宅した。

 

そして翌日の日曜日のお昼ごろ。

また、父を訪ねた。

父はポカポカと温かい日差しが差し込む南の掃き出し窓の近くのソファに座り

相変わらずのパジャマ姿でNHKの「のど自慢」を見ているところだった。

「お父さん、体調はどう?」と恐る恐る尋ねるわたし。

「うん、今日はすごく体調がいいよ」と父。

これはいい感じ!と思ったわたしは

「今日はすごくいい天気だし、外も暖かいし、散歩にでも行ってみる?」

と誘ってみた。すると、父は

「そうだな。散歩にでも行ってみるか」

と意外にも快くその気になってくれた。

 

なんだ。誘えばちゃんと外に出てくれるんだ、とわたしは内心少し安堵。

父は、例によってヨタヨタとおぼつかない片足立ちでズボンに履き替え

(だからイスを使えというのに、意地を張って使おうとしない)

酸素を携帯酸素の入ったリュックに切り替えて、それを背負って外へ出た。

 

わたしにとっては散歩するには暑いくらいの気候だったが、

寒がりの父にとってはこのくらいがちょうどいい様子だった。

しかし、家の中にこもりきりな生活をしているせいで、

退院後1週間近く経とうというのに、

父の歩行は、弱々しく1歩1歩ゆっくりとした歩みだった。

散歩とはいっても、いきなりあまりたくさん歩かせてはいけないと思い

「あの角(自宅から約100m)まで行ったらUターンしてこようか。」

と父に提案したのだが、父は

「いや、グルっと一回り(約800m)してこよう。」と言う。

「え?いきなりそんなに・・・大丈夫?無理しなくていいよ?」とわたし。

「大丈夫だ」と父。

 

それから歩きながら、いい機会だと思って通所リハビリの話を振ってみた。

「お父さん、やっぱりリハビリ(←デイサービスという言葉はあえて使わない)

に行ってみない?週2回くらい、リハビリだけしてくれるサービスがあるんだって。

きっと体力も戻りやすいと思うよ。」

すると、父は

「うん、まあ・・・・。おいおいな。また考えるわ。」

と返事を濁した。これは意訳すると「まっぴらごめん」という意味である。

これ以上深追いすると(わたしが)痛い目に遭うことはわかっていたので、

それ以上は何も言わずに、その話題は早々に打ち切った。

 

意地を張って800mの道を周回すると言った父だが、案の定つらそうだった。

わたしは「酸素が重いんじゃない?わたしが持ってあげるよ。」

父の背中にぶらさがっているボンベの入ったリュックを持ち上げるが、

「いや、いい。大丈夫だ。」と、ここでも意地を張る父。

 

それからさらにしばらくトボトボと歩く。

ますます足が前に出なくなってきている父。

見かねて、

「ちょっと休憩したほうがいいんじゃない?」と再び声をかけるも

「いや、必要ない」と突っぱねる父。

 

しまったなぁ・・・ポータブルのイスでも持ってくるべきだったなあ・・・

(途中で座って休憩できるように)

と後悔していたが、ここまで来たらもう歩いて帰る以外にない。

しかし、父が本当につらそうで見ていられなくなってきたため、

「お父さん、足元ヨタヨタしちゃって危ないから、ホントに一回休憩しようよ。」

と言った次の瞬間だった。

 

「うるさい!!!

お前はさっきから

クドクドクドクドとうるさいんじゃ!」

 

と、父が怒鳴った・・・・。

わたしはあまりのことに、呆然としてしまい完全に言葉を失って、

その場にしばらく立ち尽くしていた。

ヨロヨロとした足取りの父は、そんなわたしを振り向くこともなく、

黙々と歩き続けた。

 

なんなんだこれは?

なんなの?

 

 

たぶん、日頃から日常的にケンカをしている親子の場合は、このくらいのことは

なんでもないのかもしれない。けれど、

わたしは子供のころから父に怒られたことや、まして怒鳴られたことがないので、

情けないけれど、そういう暴言に対する心の耐性がない。

もちろん、それでも父が不機嫌そうな態度をとることは多々あったので、

父の地雷を踏まないように、いつも気を使って言葉や態度を選んで接してきた

つもりだった。

この日もそうして接していたつもりだった。

それなのに・・・・。

突然吐き捨てられた言葉に、ショックと怒りと悔しさで頭が真っ白になったわたし。

 

この1か月、父のことを最優先にして奔走して自分はいったい何だったのか?

 

別に感謝の言葉を言ってくれだなんて思わない。

いちいち「ありがとう」とか「お前のおかげ」なんて言ってくれなくてもいい。

でも、こんなふうに怒鳴られるようなことはしていないはずだ。

 

周りが助けてあげられることには限りがあるという現実を理解してほしい。

本当に元気に外出できるようになりたいのだったら、

リハビリという、やりたくない地道な努力は絶対に避けては通れない。

そう、頼めることはすべて娘だのみで、自分は「やりたいことしかやらない」

なんて選り好みをしていたら、体力なんでいつまでたっても戻らないのだ。

 

わたしを怒鳴りつけた後、家の近くに戻ってくるまではお互いにずっと無言だった。

ところが、父は、自宅まであと100mくらい・・・というところまで

やっと戻って来たところで、

「ちょっと」とわたしに声をかけると、もう体力の限界だったのか、

「これ(酸素)を持ってくれ」と、酸素のリュックを今頃わたしに手渡すではないか。

 

さっき「うるさい!」と怒鳴ったその口で?

わたしは黙って酸素を受け取った。

するとそこへ、1台の軽自動車がやってきて、わたしたちの前を通り過ぎて行った。

わたしは気にせず歩き続けようとしたが、父がなぜか動かない。

動けないのかと思い、

「どうしたの?(足が疲れて動かないのなら)車持ってこようか?」

と、さっきのことが許せないわたしはニコリともせず憮然とした表情で尋ねると、

父は驚くことを言った。

 

「さっき通り過ぎた車、あれは二軒となりの〇〇さんだ。

今家へ戻ると、たぶん家の前でバッタリ会って(入院のこと、酸素のこと)

この姿を見られるしいろいろ聞かれるだろうから、ちょっと時間をずらして帰る。」

・・・と。

 

そうして、2~3分の間そこに立ち尽くし、その後ゆっくりとまた歩き

建物の影から、そーっと覗くかのように、

ご近所さんがすでに家の中に入ってその場にいないことを確認してから

自分も家へ戻った。

 

なんて情けない・・・・。

 

酸素を吸いながら歩いていることよりも、それを人に見られたくないと

コソコソ物陰から様子をうかがっているその姿のほうが、

何倍もカッコ悪いということに気付けない父。

 

 

こうやって、近所の目をさけてコソコソと散歩をするのがイヤなら

なおのこと、誰も知っている人のいないデイサービスへ通って、

運動するほうがいいはずなのに 。

しかも周りは介護度の差はあっても、介護認定受けてる人しか来ないのだから、

「弱ってないフリ」をして見栄を張る必要だってないのに。

 

父とわたしはまた無言で家の中に戻った。

わたしはずーーっと、父の暴言に腹を立てていた。

この気持ちをどうやって処理したらいいのか?考え込んでいた。

 

父が怒った理由はちゃんとわかっている。

それは、自分の思い通りに動かない自分自身の身体へのイラ立ち、

24時間酸素を連れてしか動けない自分への落胆した気持ち

そういう消化しきれない欝々とした気持ちでいる自分に

娘が「大丈夫か」「大丈夫か」と、執拗に心配したり

「ああしたら?」「こうしたら?」と言ってくるので、うっとーしくて

たまらなかったのだろうと思う。

 

父は自分のイライラをわたしにぶつけたのだ。

それはわかっていた。

 

「病気なんだから仕方がない」「怒っても受け流すべき」という考えも浮かんだ。

けれど、本当にそれでいいのかな?とも。

この先ずっとずっと、こういう生活は続く。

良くなる可能性は少なくて、むしろじわじわと心身は悪い方向へ進んでいくと思う。

もうすでに寝たきりだとか、認知症が進んでいるとかなら仕方がないだろうけれど

今は最低限の身の回りのこともできて、話も通る状態なのだ。

そういう父に対して、

いつでもどんなときも、父の暴言やわがままを許して、「ハイハイごめんなさいね」と

わたしが飲み込んで譲歩していくのが、本当に正しい形なんだろうか?

いつでも介護者は温かく包み込まなければいけないの?

と、考えると答えはNOだった。

 

むしろ、今まで言いたい放題、やりたい放題で来た父に、このあたりで

1度ガツンと「怒らないと思っていた娘が怒った」姿を

見せて、ハっとさせておくべきじゃないのか?と思った。

 

わたしは意を決して父に言った。

 

「おとうさん、わたしもう帰るからっ。

わたしがいても、うるさいだけみたいだし!いないほうがいいよね?

お父さんにとっては、わたしは口うるさい娘でしょうよ。

でも、お父さんのことを心配して言ってるんだからね?

それだけはわかってよね!」

 

もっともっとほかに、理路整然としたことを言いたかったのだけど

途中から涙声になってしまい、言えなくなってしまったのだった。

父に反論の隙を与えず、一方的にそれだけ吐き捨てると、すぐに家を出た。

もう何も話したくなかったし、冷静な言葉が見つからなかったから。

チラリと一瞬見た父の顔は、驚いて呆然としていた。

まさにわたしが期待した通り、突然半泣きで逆襲してきた娘に

なんと言葉を返していいかわからずに戸惑っている様子だった。

 

そのまま泣きながら車を運転して帰った。

前回泣いたのは、人工呼吸器をつけた父がうわごとでわたしに「さみしい」と

言ったときだった。

それなのに今は、その父親に対する怒りと悔しさで泣いているなんて・・・。

 

どうしてこんなことになってしまったんだろう?

 

ともかく、わたしは自分も冷静になるべきだし、

父にも自分を見つめなおしてほしいと思うので、

しばらくは最低限の家事サポートのみで、父とは距離を持つことにしようと思う。

 

わたしは心が狭い人間なので、簡単には気持ちをリセットできないから。