弱音。

ここ2~3日どうも日に日に精神面が落ちて行っている気がする。

 

退院後、初めて散歩に出てた時のように父が逆ギレしたときのような

何か決定的に心折れることがあったわけではないけれど

少しずついろんなことが重なって蓄積してきた感じ。

 

世間的に言えば・・・認知症の親御さんを抱えている人に比べたら、

わたしなんてまだ全然楽なはずなのに、

「このくらいのこと」を頑張れない自分を情けないと思ってしまう悪循環。

 

ただ、「頭のしっかりしている親」の面倒を見るのもまた・・・

精神をすり減らしてしまって本当につらいのだ。

特に父は特異な人格の持ち主なので、取扱注意なことが多すぎるのも原因。

 

つい最近・・・・父が前向きに生きようとしている様子を書いたばかりで

わたしのほうがこんなところで弱音を吐いてるのは恥ずかしいけど

このごろは朝起きた瞬間から気持ちがズーンと沈んでしまって

いろんなことから逃げ出したい思いに駆られてしまう。

 

父の言動には一定のルーティンがあって・・・

 

①父が体調不良や漠然とした将来への悲観でウツモードになる。

②いかに自分が不幸でつらいかをわたしに延々訴えてくる。

③わたしの超ポジティブな励ましによって父のメンタルが復活する

④前向き思考に加速がつき、明るくなる

⑤前向き思考に歯止めが利かなくなり、根拠のない自信で傲慢な言動をとり始める。

⑥行き過ぎをやんわり制しようとすると、こちらの些細な言葉にキレる。

⑦わたし、ストレスと怒りを溜め込む。

⑧そのうちまた父がウツモードになり、①にもどる。

 

・・・と、こんな感じ。

 

 

そして今まさに、 ちょうど⑤のあたりにいて、

父が言いたい放題、やりたい放題になってきて制御できなくなってしまっていて

わたしのメンタルのほうがそろそろ限界に達しつつある感じ。

特に頭の痛い問題が3つ。

 

①酸素チューブを外すようになった。

この1週間くらいに始まったことなのだけど・・・

実は父が鼻の酸素チューブを自己判断で勝手に外すことを覚えてしまった。

先日、月曜日に定期検診へ行った帰り、一緒にランチをした・・・と書いたけれど

そのときも、病院からお店へ入るまでは酸素チューブをつけていたのに、

席に着くと何食わぬ顔でチューブを外してカートの中にしまい込んでしまった。

 

あれはおそらく、すぐ隣の席に3人組の若い女性がいたのが理由だと思う。

父はもともと「酸素をつけた姿を人に見られたくない」という自意識がすごく強い。

だからそんな至近距離で鼻チューブの姿を見られるのが耐えられなかったのだろう。

すぐそばに他人がいるのが理由で外したに違いなかった。

その状況で「つけなきゃだめだよ」とわたしが言うのは、

父にとっては、人のいるところで恥をかかされる許しがたい行為になり、地雷である。

だからわたしはそのときは、仕方ないな・・・と、あえて見て見ぬふりをした。

 

ところが、その後も、朝、父を訪ねると

毎回当たり前のように酸素をはずしてソファに座っているのを見るようになり、

さすがにそれは「つけなきゃだめだよ」と指摘するのだけど

「座っている時はつけなくてもいいんだ。全く息苦しくないし、

血中酸素飽和度は85くらいまで”しか”下がらないから何の問題もない。」

という謎の自己診断をして、聞く耳を持たなくなってしまった。

 

今日は新しいケアマネさんとの打ち合わせがあったのだけど(※その話は次回)

なんと、その打ち合わせの場でも父は平然と酸素チューブを外して席についていた。

・・・というか、わたしもバカだと思うけれど

話し合いが始まって30分くらい経過するまで、

わたしは父がチューブをつけていないことに気が付かなかったし、

その場にいた、前ケアマネのTさんと、新ケアマネさんも誰も気が付かなかった(笑)

 

わたしとケアマネさん2人が「あっ!」と気が付いたあとに、

3人そろって「つけなきゃだめですよ!」と声をそろえて言ったので

父はしぶしぶ付けたが

「いや、別に座っているときは外してたってかまわないんだ。苦しくないから。」

と、ここでも悪びれる様子がない。

 

わたしは医療従事者ではないので、ネットで調べた知識しか持ち合わせていないが

在宅酸素を使わなければいけない理由は、単に息苦しさを改善するためだけではなく

「血液の中の酸素量が不足すると、肺はもちろん、

心臓やほかの臓器に十分な酸素がいきわたらなくなり、臓器に大きな負担をかける。

よって、自己判断で酸素を付けたり外したり繰り返す行為は、寿命を縮める行為。

場合によってはそれ自体が心筋梗塞脳卒中の原因になることもある」

らしいのだ。

まして、父のように低酸素状態に慣れてしまい

体感的に息苦しさを感じにくい体になってしまっていると、

本人が「低酸素」に気付きにくく、とても危険なのだ。

現にこの日も、どこまで本当の話かわからないけれど

「たまに瞬間的に血中酸素飽和度が60くらいになることもあるけど

息苦しくもなんともない。」

などと、何の自慢にもならないような話を誇らしげに話していた父だった。

 

 

けれど、わたしがそうやって「酸素を外してはいけない理由」を言っても、

素人がネットで調べたことを言ってるだけだとバカにして取り合おうとしない。

聞く耳を持たないのだ。

「息苦しくなければOK」と信じ切っているから。

そして、「いずれ自分は回復して酸素をまた外せるようになる」と信じているから。

 

あまり考えたくないことだけれど、たぶんこのごろは・・・・

おそらくひとりで家にいる時間は酸素を外していると思う・・・。

そうして自分が「息苦しいな」と思った時だけ吸ってるのだろう。

そんなことでいいはずがないのに。

 

②リハビリ拒否

これも今日の新ケアマネさんとの話し合いの中でも話題に出たけれど・・・

通常の「レクリエーション中心のデイサービス」には

行きたくないのは仕方ないとしても

半日コースの「リハビリ特化型デイサービス」には、

足腰や心肺機能を劣化させないためにもどうしても行かせたいわたし。

 

父は「リハビリだけなら行ってやってもいい」と、

そこまで頑なな態度ではないものの、その言い方が本当に腹立たしい。

「意味があるリハビリかどうかは俺が判断する。

入院中のリハビリはまったく意味のないものだった。

意味がある内容なら、通ってやってもいいけどな。

そうでなければ通う意味はないな。」

と、ここでも俺様流を貫くつもり。

”通ってやってもいい”って、どこから目線だよ・・・本当に・・・(泣)

 

どうして・・・・

専門的な知識を経験を持っている理学療法士さんや作業療法士さんが、

各高齢者それぞれのコンディションを目的に合わせて考えてくれるメニューを

信頼しようとしないの?

入院中のリハビリは確かに内容は薄かったかもしれない。

けれどあのときの父は、酸素を吸入しながらでも簡単に数値が下がる状態だったので、

理学療法士としては負荷のかかるメニューはさせられなかっただけなのだ。

 

それを「理学療法士が無能」といわんばかりの失礼な態度をとり続けて

今また、「俺様が評価してやろう。」という横柄な態度になることが

本当にケアマネさんを前に、わたしはこんな父が恥ずかしくてたまらない。

   

そのくせ、ケアマネさん達にむかって、

「1日5000歩散歩できるようになって、また海外旅行へ行くのが目標だ」

大きな目標を、自慢げに話しては悦に入っている父。

わたしは何も言わずにこの話題は無表情で聞こえないふりをした。

以前にも書いたけれど、海外旅行は酸素の手配以前に、

飛行機に乗る際に酸素の扱いに慣れた同行者の同乗が条件になっている。

(航空会社へ書類提出が必要)

わたしに同行する気がない以上、事実上飛行機に乗るのは無理なのだ。

 

③運転免許問題

リハビリなどのデイサービスを使う時は、必ず施設側からの「送迎」がついてくる。

中には家族による送迎を認めている施設もあるけれど、

原則は、施設側が責任をもって「送迎」をする・・・というスタイルを

取っているところが多い様子。 

嫌な予感はしたが、父はケアマネさんとの話し合いの場で

やっぱり予想通りのことを言った。

「別に送迎なんて必要ない。近いのだから自分で車を運転して行く。」と。

 

通常、自分で車を乗り入れてデイサービスに来る利用者はいない。

(施設側がそれを許可していないから)

新旧ケアマネさん2人とわたしの3人が、一斉に「えっ・・・それは・・・」

返事をためらったものだから、父はそのリアクションで

自分の運転が歓迎されていないことを察知し、

「別に主治医は運転してもいいと言ったんだから問題ない」と、怒りをにじませて

反論してきたが、それでもわたしたちは「OK」は出さなかった。

すると逆ギレモードになり、

「だったらタクシーで行くからいい!」と言い放つ父。

いやだから、タクシー使わなくても送迎してもらえるんだってば・・・・(汗)

 

もう半分、自分で運転することはあきらめつつあるのかと思っていたけれど

まだそうではなかった・・・。まだまだ運転する気マンマンだった・・・。

  

なんだもう、ちょっと疲れてしまった。

別にわたしは「いつもありがとう」とか「お前のおかげだよ」とか

感謝の言葉を言ってもらいたいわけじゃない。

そんなことを言ってくれなくていい代わりに

娘がよく考えて、よく調べて、

父の身体を思って勧めることを、拒絶しないでほしいだけ。

 

けれど父は・・・というと

生活面で自分の依存したいところは、どっぷりと甘えるけれど

自分のやりたくないことはしたくない、スケジュールを決められたくない、

管理されたくない、口出しされたくない、の自己主張が人の何倍も強い。

 

掃除に洗濯、ゴミ捨てに買い物、さまざまな事務的な手続きにこれまで奔走してきた。

父の生活が快適になるように、不自由することがないようにと

あれこれ時間を割いて尽くしているつもりなのに

自分の気に入らない助言には耳をふさぎ不平不満を言い出すのは耐えられない。

 

むなしい気持ちしか湧いてこない。

 

もう考えるのやめてしまおうかな。

酸素のチューブ、本人が外したいならそうさせればいいのかな。

リハビリやりたくないなら無理に行かせなくてもいいのかな。

この先の余命だって、正直・・・

今の肺の状態を考えたら5年生きられたらいいほうだと思う。

だったらもう、本人の好きにさせて放っておけばいいのかな。

 

良かれと思って言ってることが、本人にはうるさがられるし

わたしの話をバカにして聞こうとしない父にイラ立ってしまうし

何一ついいことがない気がしてきた。

 

 

もう何がベストなのか、わからないよ。