人生の第3ステージ。

「いよいよ人生の第3ステージが始まるという感じだなあ」

 

というのは、障害者手帳を手渡した時の父の言葉だった。

わたしの父は、極貧家庭に育ったので中卒で学歴こそないものの、

字はとてもきれいだし

(※父の書く字を見て育ったので子供のころは男の人でも大人になればみんな達筆になると思い込んでいた・笑)

読書家で芸術を愛しているせいか、ときどきハっとさせられるような表現や語彙を

使うことが多い。

「人生の第3ステージ」

という、父のその言葉のチョイスにわたしはとても惹きつけられた。

 

父は・・・内心はわからないが表向きには「障害者手帳」に気落ちするどころか 

「日本は本当に福祉に手厚い国だなぁ。」と感謝の言葉を何度も何度も口にするなど

表情はとても明るかった。

 

父とも話したが、実際に日本は全般的には福祉に手厚い国だと思う。

もちろん、「困っていることの種類と重さ」は千差万別なので、すべての人にとって

満足に行くほど制度が充実し、隅々まで行き届いた国だとは言えないかもしれない。

けれどきっとそれは外国も同じだろう。

だからどこかの国の「いい面」だけを取り上げて「日本も見習ったらいいのに」と

日本批判が好きな人がいうほどには、悪くないと思う。

 

79歳の父ですら、介護サービスや訪問看護、そして障害者手帳のことなど指して

「今まで自分には関係のないことだと思ってきたから全くわからなかったが、

こんなにありがたい制度がたくさんあるとは知らなかった。

本当に日本はいい国だなぁ」

と何度も繰り返すくらいである。もちろんわたしもその言葉にうなづいた。

 

話を戻して・・・・

父は障害者3級と認定されたので、今後は在宅酸素を含めた医療費の自己負担が

なくなること、どこで障害者の割引を受けられるかわからないので

常に障害者手帳は携帯すること、市からタクシー券が支給されるので

「今後は積極的にタクシーを使いましょうね」ということなどを説明して聞かせた。

 

前記事にも書いた通り、わたしは父の完全な「運転卒業」を目指しているので、

特にタクシーについては

毎年15,000円分のタクシー券がもらえるから使わなきゃソンだし、

(※ただしこれは市内のタクシー会社を使用したときだけ)

全国のタクシーに乗ったときには、障害者手帳を見せると1割引きになるんだってよ?

など、全面的にタクシー利用を推した(笑)

 

市内でどこかへ行きたいときはタクシー使えばいいし、

タクシー代が高くなりそうな距離なら娘が連れてってくれるし・・・

という具合に、父が「もう自分で運転する必要ないかも?」と自分で気づいて

自分から運転卒業する気になる方向へ、少しずつ誘導していきたいと思っている。

 

そんな障害者手帳を活用する話の中で特に父が目を輝かせたのは、

「新幹線代も乗車券が半額になるんだって」というメリットだった。

 

旅行好きの父は、「来年は日本中あちこちに出かけたいなあ」と口にした。

〇〇にも行きたい、〇〇一周をしたい、など夢は膨らんでいたが、わたしは

「それはさすがに無理なんじゃない」と思う部分はあえて大きく反応せず、

うっすらと・・・・笑顔だけで流しておいた。

現実離れした夢の話を、あまり無責任に膨らませて、本気になられても困るし

わたしが同行するにしても1泊程度がいろんな意味で限界だから。

 

以前も書いたけれど、現実問題として父の旅行はそんなに簡単ではなく、

「酸素ボンベ」という荷物が一つ増えること、宿泊先への酸素の手配などの諸手続き、

その「酸素ボンベ」の残量を計算した旅行計画を立てなければいけないことなど

今までのように「気ままな一人旅」は無理だと言わざるを得ない。

  

norako-hideaway.hatenablog.com

 

ただひとつだけ「またいろんな絵を見に行きたい」と美術館好きの父が言ったとき、

このときは大きな反応を返してあげることができた。

「うん、美術館はいいと思うよ。

どこの美術館でも車椅子を無料で貸し出してくれてるから、

それを借りて見たらいいんじゃない?それなら疲れないし。」

 

と、思い切ってここで「車椅子」というワードを出してみた。

これはつい先日の記事でも書いた通り「父は車椅子を拒絶しそう」だという思いが

あったので、その反応を見たかったのもあった。

ところが

 

「おお!そうだな!車椅子を使えばいいのか!」

 

と、ここで予想外の好意的な反応が返ってきてびっくりした。

 

 

父はガチな美術館・博物館好きな人なので一緒に作品を見て回るととてつもなく長い

時間、館内に滞在することになる。

初めて一緒に東京の博物館へ行ったときは、ちょうど父にとっての「ド直球」な

特別展があったせいで、1作品につき3~5分も見入る・・・という状態だったほど。

 

なんか有名な展示があるらしいよ~?行ってみようか?というライト美術ファンには

それほど体力は必要ないだろうが、マニアな父には美術館を見て回るにも

相当な体力が必要となる。

当初・・・酸素ボンベを携帯することになったからもうどこへでも行ける!という

期待に包まれていた父だったが、いざ退院してみると、

入院前よりもガクンと心肺機能が低下しているため長時間は歩けない現実があった。

それはわたしの目から見て明らかだったのと同時に

本人も「入院前よりも一段身体が弱ったことを実感している」と吐露していて

 

おそらくあちこちへ出かけたい気持ちはあるものの、一方で「長時間歩くのは無理」

と自分で自覚するもどかしさもあり、外出に自信をなくしかけていたのだろう。

 

そんな父には、わたしの「車いすを使えば」という言葉は

「なるほどその手があったか!」というくらいの提案だったようだ。

 

そして一段と目を輝かせて「いいなあ!車椅子!」と食いついてきたのだった。

 

「今までは見た目には”普通”だったから、息切れ苦しくても車椅子を使うのに

抵抗があった。”あの人どこも悪くなさそうなのにどうして車椅子?”と

周りからヘンな目で見られそうだと思ったからね。

でも今はこんな酸素を引きずってる状態だから、この見た目で車椅子に乗っても

誰もなんとも思わないよな?」

 

と笑う父。

わたしはてっきり、「自分は車椅子を頼りにするほど弱っていない!」と

そういう意地で車椅子を敬遠したがるかと思っていたらそうではなく、

「どこも悪そうにないのに」と周囲から見られることをイヤがっていたのかとわかり

案ずることなかったな・・・と思った。

こんなことなら紅葉にも連れて行ってあげればよかった・・・(汗)

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

 

「うんうん、そうだよ。全然おかしくないし、誰もなんとも思わないよ。

堂々と車椅子に乗ったらいいんだよ!」

 

と、声を弾ませて返すわたし。

本当にそうなのだ。

見た目を気にして家にひきこもるようになるよりか、

車椅子で堂々と外出したらいい。

美術館巡りだって、

歩けないというわけではないので、よく見たいところは立って見て、

疲れたりフロアの移動のときには車椅子で・・・でいいと思う。

酸素ボンベだって、カート型もリュック型も、どちらもそれなりに重さがあって

歩くときにはそれ相当の負担がかかる。

そういったボンベ問題も、車椅子に乗ればカートの重さも感じなくて済むわけだし。

(※もちろん、わたしが車椅子を押すことになる)

 

・・・と、車椅子バンザイ!な気持ちに一瞬なったものの・・・

あれほどプライドが高く強情なはずの父が、

あっさりと車椅子利用に前向きになるということは・・・

父本人が自分で否定しきれないくらいに、体が弱ったことを実感しているという

ことなんだなぁ・・・と、そこは少し切ない気持ちになった。

 

ともあれ・・・この先のことを考えると、

介護認定の結果が出て介護保険が利用できるようになったら、

マイ車椅子の購入も考えてもいいかもしれない。

 

車で出掛けられる範囲の日帰り旅行だったりは、

目的地に車椅子の貸し出しがあるかどうか?を確認するよりも、

軽くて小回りの利くマイ車椅子を購入して、わたしの車に常備しておくほうが

便利そうだし・・・たぶん使い勝手がいいのではないだろうか?

 

父の人生の第3ステージ。

新しいステージなのだから、「今まで通り」じゃなくていいのだ。

使えるものを上手に使って、

新しい形で今まで楽しんでいたことを楽しめばいいのだ。

そこから、もしかしたら違う景色が見られるかもしれない。