老々介護。

父が退院してから約1か月。

今日は通院日だったので父を迎えに行き、病院の診察に付き合う。

 

経過は「低空飛行ですが安定してますね」

という、いつもながら絶妙なニュアンスのお墨付きをいただいた。

 

父の主治医はいつも率直で、患者を励ましたりむやみに喜ばせることは言わない。

笑顔も少なく、いつも淡々と・・・というかひょうひょうとしている。

たぶん患者の性格によっては「冷たい先生」と感じる人もいるかも?だけれど

父はその率直さをたいそう気に入っており、会うたびに

「いい先生だ、いい先生だ」と嬉しそうに言うので何の問題もない。

 

父は医学的には「気腫合併肺線維症」という病名がついている。

これは「肺気腫」「間質性肺炎」「肺線維症」が混在している状態を指すらしい。

治る病気ではなく、少しずつ確実に悪化していずれは死に至る病気であることは

避けようのない事実なので、「安定」こそが最高の状態。

とにかく「現状維持」が最大目標で、「悪化」していなければいいのだ。

  

あまり待たされることなく予約時間どおりに病院の診察を終えたあと、

ちょうどお昼だったので、いつも配食サービスのお弁当ばかり食べている父を誘って

近くのお店でランチを食べた。

 

そこで父から、ある話を聞かされた。

それは、推定84歳になる父の友人の話。

同じく80代の奥さんと二人暮らしなのだけれど、

その奥さんは1~2年ほど前に脳出血で倒れ、

以後、身体が不自由になってしまい、自分で排泄もできなくなってしまったため

ご主人が下の世話をし、身の回りの世話や家事をし、

その84歳のご主人が、病院への送り迎え、買い物までしていると。

 

その友人→父→わたし・・・経由での”また聞き”の話なので、

奥さんの身体の不自由度が寝たきりなのか?車椅子か?杖なのか?

認知症があるのか?など、正確な情報はわからない。

けれどおむつをつけているという時点で、それは日々のお世話が大変だろうなと

察することができる。

  

79歳の父は自分のことを棚に上げて、その友人のことを以前から

 

「あのヨボヨボの足取りでは、

そろそろ免許証は返上したほうがいいと思うんだが・・・ヨボヨボだからこそ

田舎では車がないと不便だろうから気の毒だし、奥さんの面倒を見るのに

車は必要だろうからあまり強くも言えない。」

 

とよく話してくれていた。

  

車の問題はもちろん、社会的には「気の毒」で済む問題ではない。

けれど、家族でもなければなかなか踏み込んで強く言えないのが現実だと思う。

 

その友人から最近久しぶりに電話がかかってきて

「お茶でもどうか?いつもの喫茶店で。迎えにきてくれないか?」

誘われたという父。

父は残念ながら自分が在宅酸素になって車を運転できないので行けない、と

やんわり誘いを断ったらしいが

 代わりに電話で、お互いの近況をいろいろ話したという。 

父はその会話の内容をわたしに話して聞かせてくれた。

 

「自分もこうなるまでは、介護保険のこととか何も知らなかったし、

お前がすべて手続きしてくれたから、不自由のない生活ができているけれど、

これまでに、その友人の口から

奥さんが介護認定で要介護になったという話を聞いたこともなければ

”介護サービス”とか”ヘルパーさん”が来ているというような話を

一度も聞いたことがないんだよ。

もしかしたら彼はそういうサービスがあることすら、知らないんじゃないだろうか?と

とても気になってね」

 

父はとてもその老いた友人を心配していた。

 

まさかそんなことがあるわけ・・・・と、一瞬思ったけれど

ひょっとして?という気持ちにもなった。

「お子さんはいないの?」と聞くと、

「いるにはいるが、他人同然で子供とはほとんど付き合いがないらしい」

という、淋しい言葉が返って来たからだ。

 

普通は、親に知識や行動力がなくても、仮に子供が遠距離に住んでいたとしても、

なんらかの形で親の生活をサポートしようと動くはずなので、

介護認定を受けないということはまずありえないはず。

けれど、子供との付き合いがほとんどなく、

さらに不運にも周りにそういうことを教えてくれるほどに踏み込んでくれる人が

いなかったら?

 

現にうちの父親ですら、「家にヘルパーさんに来てもらえるサービスがあるんだよ」

ということに、当初非常に驚いていたくらいだ。

高齢者の視野はそのくらい狭くて情報弱者になりがち。

父は「介護保険」という言葉を聞いたことはあるけれど、

自分が入っていることも知らなかった・・・というレベルだった。

(※強制保険だから入ってないわけがないのだけど)

ちなみに今でも父はあまり理解していない。

父の場合は訪問介護訪問看護障害者手帳申請の話が同時進行したので、

本人の頭の中で3つのサービスの内容が完全に混乱している状態である。

 

実際、その友人のことを話した時も

父「彼も介護申請をすればタクシー券がもらえるだろうに」

私「いや、タクシー券障害者手帳でもらえるヤツだから。介護保険関係ないのよ。」

父「あ?そうなのか?まぎらわしいなあ。」

・・・と、こんな具合だった。

  

 

それが老夫婦となれば、ネットで調べるなんてこともできないし、

誰かが気が付いて教えてくれない限り、知らないままに過ぎていくケースがあっても

おかしくないかもしれない。

 

奥さんが脳出血で入院した際に、当然チャンスはあったと思う。

ただ「何か困ったことがあればいつでも相談に乗りますよ」となどと言われても

「困っていると思われることが恥ずかしい」

「他人の世話になることは恥ずかしい」

という気持ちで「大丈夫です」と、詳しく話を聞かずに頑なに拒絶してしまうと、

そこで救いの手が途切れてしまうこともあると思う。

今の時代の高齢者はプライドが高いせいか?大事になることを嫌うのか?

外部の人から「大丈夫ですか?」と聞かれると、本当は大丈夫じゃないくせに

助けはいらぬ、とばかりに「大丈夫」とやせ我慢をする傾向のある人は

実に多いと思う。(そのくせ家族にはグチグチと体調不良を訴えるのよね)

  

父は

「あの人は自分の弱みを見せたくない人だから、助けを求められないのかもしれない」

と気にかけていた。

(どの口が言う?と一瞬思ったことは内緒)

 

そして父はわたしに

「どうやったらヘルパーさんは来てくれるの?」

具体的なことを聞いてくるので、

 

「うーん、地域包括支援センターって言うところへ行くと、介護保険の申請のこと

教えてくれたり代行してくれたり・・・相談に乗ってもらえるはずなんだけど。」

 

と答えると、父はそれをメモに取り、

「今度電話がかかってきたら、ヘルパーさんが来ているのか?を聞いて、

そこへ行くように言うよ」と言った。

 

父は今までにもその友人の話を聞かせてくれたことはあったけれど、

こんなふうに真剣だったことはなかったと思う。

「こんな人がいてね~」くらいなノリだった。

それが今回は、自分の今の生活と重なっていろいろ思うところがあった様子。

 

「入院中に在宅酸素を使うことが決まったときに、お前は

”お父さんが家に帰っても何もしなくていいように準備するから何の心配もいらない”

と言っていたが、実際に退院してみたら本当にそうだった。

子供にも頼れず、年寄りが年寄りの世話をしている話を聞いていたら

何でもお前が段取りしてくれる自分の生活が

いかに恵まれているかよくわかった。」

 

と父は珍しく感謝の言葉っぽいことを口にした。

父の話を聞いて、わたしもまたその友人のことがとても気がかりになってしまった。

「相談すれば教えてくれるよ」と一口に言っても、

後期高齢者になると、「どこへ行けば?」がわからない。

 

父と話をしながら、そのご友人の住んでいる地域(父と同じ市内ではない)の

地域包括支援センターの場所についてついて調べると・・・

管轄のセンターは、その人の自宅からはかなり離れた不便な場所にあった。

「わからなかったら市役所に・・・」と言いかけたが、市役所も遠かった(汗)

 

「そもそもこの場所にたどり着けないんじゃないだろうか?」となり

 

いっそわたしがその人を相談センターへ連れて行ってあげてやってもいいよ、

と、衝動的に言いたくなったが

 

中途半端な親切心で関わってしまうと、お人よしの自分だから

「かわいそう」「なんとかしてあげたい」と思いすぎて、

手助けは1度で済まなくなるかもしれない・・・

自分で自分の荷物を増やしてしまうに違いない・・・と、そこはあえて冷静になり

その言葉は飲み込んだ。

 

そしてとりあえず、父には

 

「今度その人と会いたくなったら、

わたしが二人をその”いつもの喫茶店”まで送ってあげるからいつでも言ってね。」

 

と言った。

わたしが踏み込めるのはそこまでかな・・・と。

そこまでにすべきかな・・・と。

 

 老々介護が身近にもあったことに、切ない気持ちなった午後だった。