小春日和。

※ただの日記です。

 

父は現在、介護申請中という中途半端な状態にあることから

入浴見守りを兼ねて、月・水・金という週3日の訪問看護を受けている。

看護師さんは当然祝日にはやってこないので、

昨日(金曜日)の勤労感謝の日は看護師さんは来ないことになっていた。

・・・ということは、必然的に「看護師さん見守りによるお風呂」もない。

 

前日、木曜日の朝に父を訪ねた時には

「お風呂はひとりで入れるから問題ないし」と、言っていた父だったが

今日(土曜日)に再び父を訪ねてみると、

廊下に置いてある洗濯カゴが空のままになっていて

(↑父が脱いだ衣服を入れるカゴ。わたしが来るたびに中身を持ち帰って

洗濯してくることになっている)

水曜日に入ったきり、まだお風呂に入っていないことがすぐにわかった。

 

私「お父さん、お風呂入ってないの?(ひとりで入れるって言ってたくせに)」

父「ああ。今から入ろうかな?」

 

いつもお湯の支度からお湯を抜いて流す後始末まで、

看護師さんにしてもらっているせいだろうと思った。

お風呂自体はひとりで入れても、そういう準備や後始末が億劫だったのだろう。

まあ、わたしもそんなことだろうと思っていたし

今日は看護師さんに代わってお風呂の世話をしてやるつもりで来たので驚かない。

いつも週末にお風呂掃除をしているので、

父をお風呂に入れた後、掃除して帰るつもりだった。

 

「お風呂に入る前に、散歩に行ってきたら?

そのほうがお風呂がより気持ちよく感じると思うよ。」

 

と言うと、父も「おおそうだな。じゃあ行ってこようかな」と、

柔和な笑顔になってパジャマから洋服に着替え、支度を整えて出かけて行った。

このごろは自分でも暖かい昼間の時間帯に散歩に行っているらしく、

ホっと胸をなでおろしている。

距離はせいぜい600~800m程度が精いっぱいなので多くはないが、

外に出ること、歩くことを習慣にできるようになったきたことは

本当に良かった。

 

父を散歩に行かせている間に、わたしはいつもどおり部屋に掃除機をかけて

ゴミを回収し、トイレとキッチンの掃除。

掃除機をかけながら、ふとリビングの窓から父の姿が見えないだろうか?と外を見ると

遠くに小さく父の歩いている姿が見えた。

父の家の周りは田舎で田畑しかないため、遠くまでよく見通せるのだ(笑)。

 

2週間前の・・・あの、散歩途中で険悪になったときとは見違えるくらいに

足取り軽く見えた。あのときはヨタヨタとしか足が前に出なかったが

今日の父は、普通の高齢者くらいのペースでは歩けているように見えた。

今のうちにお風呂のお湯を張ろうか?とも考えたが、

たぶん散歩から帰ってきたときには息が切れているだろうし、それを落ち着けてから

お風呂に入ったほうがいいし・・・と、お湯は張らないでおいた。

 

案の定、それからしばらくして父はハァハァと息を切らして帰って来た。

遠目には足取りこそ軽く見えたが、近くで見る父は、体全体で呼吸している勢いだ。

分かりやすく言うと、父はただゆっくり散歩してくるだけで、

普通の人がジョギングしてきたくらいな荒い呼吸になるという感じ。

 

酸素飽和濃度の数値が下がりすぎないように気をつけながら歩かないといけないけれど

歩かないでじっとしていると、それはそれで足腰はもちろん、心肺機能を弱めて

しまうので、父の病気には運動がとても重要。

本当にやっかいな病気だと思う・・・。

 

 

「お父さんが歩いてるのを見てたけど、ずいぶんと速く歩けるようになったね。」

 

と、わたしが言うと、父はひときわ表情明るく

 

「ほんと?うれしいなあ。」

とニコニコと笑った。

 

決して、父を喜ばせようと思って言ったわけではなくて、本当にそう感じたから

思わず出た言葉だったが、

早く以前のようにどこへでも行けるような体力をつけたい・・・と

焦っているようにもみえる父には、そんな言葉も励みになったようだ。

 

父がソファに座って呼吸を落ち着かせている間に、

脱衣所の暖房をONにして暖め、お風呂のお湯を張り準備を整える。

父はゆっくりと時間をかけてお風呂を堪能した様子。

30分ほど経ったあと、

身体からほんわりと湯気を立たせて父がお風呂から上がって来たので、

背中に乾燥肌用のかゆみ止めのクリームを塗ってやり、

脇に湿布を貼ってやる。(本人いわく、筋を違えたようで痛いのだそう)

 

その後、お風呂のお湯を抜いて、窓を開け、掃除を済ませてスッキリ。

この日のミッションクリア。

 

以前も書いたとおり、父は在宅酸素になったことをきっかけに、

10年ぶりくらいに家のお風呂に入ることになったのだが、

 

「家のお風呂が一番だなあ。家のお風呂が一番温かいし気持ちがいいよ。

お前のおかげだよ。ホントにありがとう」

 

と、この日も何度もうれしそうにわたしに言った。

 

わたしがしていることは、ただのお手伝いさんレベルなので

こんなわたしが偉そうに親の介護について語ったら怒られてしまいそうだけど

父の世話を通して思うのは、

「親の介護って、どことなく子育てと共通するところがあるなあ」

ということ。

 

子供の成長は、同時に自分にとっても未経験の連続であることが多く

そのたびに、戸惑ったり悩んだり、ときに子供にイライラさせられることも

多いのだけど、

子供がとびきりの笑顔を見せてくれたり、

「お母さん、大好き」「お母さん、ありがとう」何て言われてしまうだけで

それまでの苦労やイライラが、うそみたいにパーーーッと吹き飛んで

「頑張ってよかった」なんて単純に幸せを感じてしまう・・・

そしてまた「お母さん業」を頑張ることができる。

 

そういうところがとっても似てる。

 

親の面倒を見ることもそう。

「あ~あ。行きたくないけど行かなくちゃなぁ・・・」

と、心の中でため息をつきつつ、親の元を訪ねたり、

親からわがままを言われたり、ときに逆ギレされるようなことがあっても

 

満面の笑みで「ありがとう」と言われると

 

いいんだよ、いいんだよ。そんなこと全然いいんだよ。

 

と、負の感情が一度に吹き飛んでしまう瞬間がある。

 

今日はまさにそんな日だった。

朝、理由もなく「行くのめんどくさいな」と思ってしまった自分がいた。

やはり週3日”必ず行かなければ”という生活ペースは

これまでの自分の生活サイクルの中にはなかったものなので、

気持ちが付いてこなくて、ため息が出てしまうこともあるのは事実。

 

 

けれど、父が終始笑顔で

まだ一人で自由にどこへも行けない状態だというのにご機嫌で・・・

頑張って散歩にも行ってくれて、

お風呂を「ありがとう」と言ってくれて。

 

なんだか今日はいつもとは違って、とても満たされた気持ちになった。

 

 

来週もまた頑張れそうだぞ。