人工呼吸器を使うことになった(その1)

10月14日、日曜日の朝。

父に不審がられないように…との配慮から、兄と弟は朝一で病室へは行かず、

まずはいつもどおりに私ひとりで朝、病室を訪ね、

兄と弟は「今来たよ」という顔で、昼頃病室へやって来るという計画にした。

朝8時ごろ病室に入ると、

体を半分起こし、まるで赤ちゃんのようにビニールの使い捨てエプロンを

首からかけられた父が、朝食を食べようとしているところだった。

父は私の顔を見ると、パッと笑顔になり

「ああ…来てくれたのか? 今日はこないと思ってたよ。

うれしいよ。お前が来てくれてうれしい。」

と、ひときわ嬉しそうに言った。

私は特に何も言っていなかったのに、日曜日だからかなのか?なぜかわからないが、

父は今日は私が来ないと思っていたらしい。それだけにうれしかったようだ。

 

だが、父の体調は・・・というと、

昨日の夜、別れた時から明らかに悪化しているように見えた。

食事をするにも、酸素マスクを外すと、とたんに数値が下がり息苦しくがなるので、

動作も緩慢になっている今の父の状態ではなかなか食事が進まなかった。

今までの入院時、食事は当たり前に自分で食べていた父だったが、

今回は、それが困難に見えた。

そこで「食べさせてあげるから」と、私が片手で酸素マスクをずらし、

もう一方の手でスプーンでおかゆをひとさじ口の中に入れる。

そして、すばやく酸素マスクを戻してモグモグさせる…という方法で食事を進めた。

 

私「ふりかけもついてるよ?”おかか”だって。おかゆにふりかけかける?」

父「うん、そうだな」

私「梅干しはどうする?」

父「食べる」

私「じゃあ1個口に入れるからね。種をちゃんと出してね」

父「牛乳は栄養があるか?1本飲んだらごはん1杯食べたのと同じになるかな?」

私「100キロカロリーくらいかなあ?でも病気のときは牛乳よりお米のほうが

エネルギーになるから今はおかゆのほうがたぶん力がつくよ。」

父「そうか。じゃあおかゆを頑張って食べるかな。」

・・・と、そんな会話をしながら、ひとさじひとさじ、父の口へおかゆを運んだ。

 

どうしてこんなにも弱弱しくなってしまったのか?

こんなにも急激に…。

それでもあまり食事の進まない父に

「何かほかに食べたいものない?買ってくるよ?」と言ってみると

 

「何にもいらない。お前が来てくれたからそれだけで幸せなんだ。

オレは本当に幸せ者だよ。ああ・・・幸せだなあ。」

 

まるで感動ドラマのセリフのように

何度も何度も、「幸せだよ」と柔和な笑顔で繰り返す父。

 

やめてよ。

どうしてそんなこと言うの?

いつもみたいに、わがまま言いなよ。

自己中なお父さんでいてよ。

私がストレス溜めて、早く病室から帰りたくなるような、イヤなお父さんでいてよ。

ひとり残していけなくなるようなこと、言わないで。

 

父は終始ごきげんだった。

しかし、体調のほうは素人の私が見てもハッキリわかるくらいに悪くなっていた。

15Lの酸素を吸入していても、血中酸素濃度は85~88をやっと行ったり来たりしている

レベル。しかも簡易マスクはゴム1本で軽く固定しているだけなので、

顔を動かしたり、話したりするだけで簡単にズレてくる。

そのたびに数値が落ちてアラームが鳴る、慌ててつけ直す…の繰り返しだった。

しばらくするとそこに「今日の担当です」と、その日の当直の先生がやってきた。

 

入院したのが金曜日の夜だったため、

実は入院3日目にして、まだ主治医には会えていなかった。

昨日(土曜日)は女医さん、今日(日曜日)は若い男性内科医が担当だった。

「すみません、私は呼吸器は専門ではないのですが」と、誠実に前置きしながらも、

別の呼吸器の先生に電話で相談しながら

その日一日、父を診てくださると言ってくださった。

状況が相変わらず厳しいことは、その内科医師にもカンファレンスルームへ連れて

行かれたことで理解した。

前日の女医さんから

「今のリザーバーマスク15Lで呼吸を維持できない場合は人工呼吸器を使うか決めなければならない」

と説明をすでに受けている旨を伝えると、この日の内科医師も同じことを言った。

 

「厳しいですが、

お父様は15Lの酸素ではすでに酸素濃度が90に満たない状態になっています。

このままでは命に関わる状態で、本来であればすぐにでも人工呼吸器の挿管に値する

くらいの悪い状態です。」

ところが、ここから先が違った。

「しかし挿管タイプではなく、マスク型の人工呼吸器を使うことも可能です。」

と。

これは前日の女医さんからは説明されていない話だった。

内科医師から説明されたところによると

現在は「人工呼吸器」といっても、従来の挿管型マスク型の2種類があるらしい。

挿管タイプが、前記事にも書いた通りいったん挿管したら回復しないかぎり

絶対に外すことができないのに対し、

マスク型というのは、体の中に管を入れないため、

いつでも途中でやめることが可能なのだそう。

挿管タイプのように患者を眠らせずに使えるので会話もできるらしい。

同じような症例の患者&家族の多くは、まずはこれを試すケースが多いらしい。

ただし、これまでゴム1本で耳に引っ掛けて使えていた簡易マスクと違い、

がっちりと口から頭まで固定するタイプなので、その締め付け感に患者には苦痛で

不快な思いをすることや拒絶することも多いと言われた。

しかしその場合はウトウトさせる鎮静剤を投与しながら使うということもできると。

また、人工的に肺に大きな圧をかけるので、その圧力によって肺が破れる、いわゆる

気胸」を引き起こすリスクも稀にあるとの説明も受けた。

 

それを聞いてマスク型の人工呼吸器を選ばない理由はなかった。

早速、それを装着してもらうようにお願いした。

「他のご家族に相談されなくて大丈夫ですか?」と心配する内科医師に

「もうすぐ兄と弟が来ますが、二人も同じ意向ですので。」と話すと

「わかりました。それではマスク型の準備をすることにします」と医師は答え

父はマスク型の人工呼吸器を装着することになった。

 

急に事情が変わったので、私はあわてて実家待機している兄に電話を入れて

「マスク型人工呼吸器を使うことになったので、予定を早めてすぐに来てくれ」

と告げた。

 

 内科医師の説明から15分ほど病室で待っただろうか。

医師や看護師、あわせて4~5人くらいがドヤドヤと人工呼吸器の装置とともに

やってきた。

医師「〇〇さーん、これからね、こっちのマスクに変えますね。

こっちのほうがたくさん酸素を吸えるから。

ちょっと慣れるまで苦しいかもしれないけど、慣れたらこっちのほうが

呼吸が楽になりますからね~。いい?」

と、大きな声でゆっくりと説明すると、父は(おそらく難しい話は理解していないが)

「はいわかりました」と、素直に答えた。

 

わたしは作業の邪魔になりそうだったので、廊下へ出て待っていた。

ドアの向こうから、看護師さんと医師が大きな声で話しかけているのが聞こえてくる。

マスクを嫌がって、つけるのを拒んでいる父をなだめようとしている様子だった。

 

「ごめんなさいね~。ちょっとだけ我慢してくださいね~」

「ああ、ダメダメ、取らないで。取ったらダメなの。ごめんね~。」

 

そのうち、父の声が聞こえてきた。

「どうしてこんなものをつけなきゃならんのだ!」

「理由を説明しろ!」

 

まずい。かなり興奮している?

わたしは慌てて病室へ入った。

 

すると、ヘッドギアに頑丈なマスクが装着されたような形状の人工呼吸器を

看護師の制止を振り切って外そうとしている父の姿がそこにあった。

どこにそんな力が残っていたのか?というくらい、ベッドの上で暴れて

起き上り、足を床についてベッドから降りようとしている。

 

このままだと酸素はおろか、点滴のチューブまですべて外しそうな勢いだ。 

慌てて看護師さんが「もうすぐね、息子さんがみえるって。だから待ってようね」

と言って、父を落ち着かせようとした。

わたしはこの段階で父には兄弟が来ることを知らせてなかったので、

父はそれを聞いて一瞬驚いた。

(まずい、事態の深刻さが伝わってしまうのでは?)

と、わたしは焦ったがこうなったらもうしょうがない。

 

父「(私に向かって)A男が来るのか?どうして?」

私「うん、あのね。日曜日で仕事も休みだからお父さんの様子見に来るって。」

父「ふーん、そうなのか。そうかそうか。」

 

と、予想に反して父はあまり不審に感じなかったようだ。しかしその直後

 

父「じゃあ、どこかでうまいものが食いたいな。どこに行こうか?

  お前はもう行けるか?支度はできたか?」

 

と、ゼーゼーと浅い呼吸を繰り返しながらも

ニコニコしてそんなことを言い始めたので、わたしはサーっと血の気が引き

言葉を失った。

 

ほんの1~2時間ほど前まで、

わたしと普通に会話しながら朝食を摂っていたはずだった父は

今はもう、自分の置かれている状況がわからなくなっていたのだ。