兄と弟が実家に戻ってきた。

「娘に来てほしい」と看護師さんに電話を頼んだほど心細い思いをしていただろう父を

後回しにして、女医さんからの現状説明を受けた後、病室の外で兄弟にLINEを送った。

兄弟が1人なら電話したほうが早いが、

2人にまとめて…の場合、LINEのほうが話す内容を整理しながら送ることができるので

大変便利である。「兄弟グループLINE」を作っているので、

報告を1度でまとめて済ますことができるLINEは何かにつけて利用してきた。

 

今回父が入院したことについてはもちろん、その時点で報告していた。

しかし、ブログにも書いた通り、当初は「はあ~また肺炎だって~」というノリで、

その経過を報告していたため、

わたした突然LINEに投下した「延命治療について家族で相談してくれと言われた」の

言葉は、当然のことながら二人を驚かせていた。

 

もちろん、女医さんから言われたことをそのまま同じように二人に詳しく説明した。

そして、

「お父さんは延命治療を望んだりしないと思う。ガンの治療もしないと言った人だし

在宅酸素のタンクを引きずって外を歩くなんて絶対にしたくない、と言ってたくらいの

人だから。そんなお父さんを人工呼吸器につなぐなんてしたくない。」

と、2人の意見を聞く前に自分の気持ちを書いて送信すると、

兄も弟も、口をそろえて同意した。

 

「もう答えは出てるよね」と言ったのは兄。

 

二人が反対するとは最初から思っていなかった。

兄弟みんな父の生き方を理解しているし、「ただ息をしているだけ」の父を見るのは

家族にとってもあまりにもつらすぎることだった。

 

 兄弟の意見がまとまったところで、わたしは病室に戻った。

わたしが家に帰っている間に、急変した炎症による熱が一気に39度を超え、

呼吸状態が一時危険な状態になったという父だったが

わたしが病室に戻ったときには、酸素の吸入量が増えたせいか比較的落ち着いており

 

「さっきは本当に苦しかったよ。もうこれで死ぬんだと思ったね」

と、自ら笑いに変えて話す余裕も戻っていた。

 

「今は大丈夫?」と聞くと

「さっきよりずっと楽になったよ」と父。

 

そして、リザーバーマスクを付けたままではあるものの、

タブレットを取り出して、ネットを見るくらいの気力は戻っていたようだった。

 

ついさっき聞いた、女医さんの「非常に危険な状態」という言葉と

目の前にいる落ち着いた様子の父の様子はギャップがありすぎて現実味がない。

 

(さっきの女医さんの話。あれは”万が一の場合”とか、”最悪の場合”の話であって、

今はその”最悪”ではないってことじゃないのかな?)

 

などと、悪いパターンを打ち消そうとしていた。 

 

兄と弟は・・・というと、わたしが女医さんから「会わせたい人がいれば」という

言葉に危機感を感じたらしく、「とりあえず今から行く」と返事してきた。

 

兄も弟も当然のことながら仕事を持っている。

こういうとき、取るものとりあえず駆け付けるのが当然だろうというイメージだけれど

現実には仕事を持っている男性の場合、そう簡単にはいかないものだと思う。

完全に危篤状態だったらいざ知らず、目の前の父はタブレットをいじっている。

でも女医さんからは「重症」と言われている。

一体どのくらいの重症度かわかりづらい。

遠方に住んでいる場合、何度も簡単に行き来できるわけではないし、

「駆け付けるタイミング」は難しい。

 

このままどんどん悪化の一途をたどるのかもしれないけれど

もしかしたら、兄弟が駆けつけたころには回復に向かって「なあんだ」ってことに

なる可能性だってある。

「まあ、無駄足になったらなったでいいよ。それはいいことなんだから。」

と、一番遠くに住んでいる兄はLINE越しに言った。

本人がそういうので、「それじゃあ待ってる」と返事を送る。

幸い、週末だったのでサラリーマンの兄は簡単だったようだが、

サービス業をしている弟は急きょ休みを取ると言った。

 

以前にもちらりと書いたことがあるが、我が家では母親の話はその最期の思い出が

つらすぎるものばかりなせいで、兄弟の間でもめったに話題にしないのが暗黙の了解

となっている。

そのひとつに、「兄だけが母の最期を看取ることができなかった」というものがある。

兄は間に合わなかったのだ。

こちらへ戻ってくる新幹線の中で母の訃報を聞くことになった。

そのときの兄の、長男として、息子としての気持ちは想像を絶したと思う。

目の前で息絶える親を見送るのは身を引き裂かれる思いだが、

その場に間に合わないというのは、その何倍もつらいことだったはず。

一体どんな気持ちで、ひとり新幹線の中で訃報を聞いただろうか・・・。

今回、兄が真っ先に「今から行く」と言ったのは、あの時と同じ思いをしたくないと

思ったからでは・・・?と、

これはあくまでも私の勝手な想像だけれど、母の時のことはどうしても重なる。

責任感の強い兄だからきっと・・・。

 

ところで

人間、切羽詰まったときには意外と冷静で、そして

「今そんなことどうでもいいだろう?」というようなくだらないことが

妙に気になってしまったりするものだ。

 

兄弟が駆けつけてくれるのはわたしにとっても心強いことだったが、

いや待てよ。今までの入院では駆けつけたことなんてなかった息子達が、

夜も遅くに不自然に駆けつけたら、父は驚くのを通り越して、

「自分はもうダメなのか?」と察して気落ちしてしまわないだろうか?ということが

今になってやたらと気になりはじめた。

 

幸い、悪い状態とはいえ、父の状態はとりあえず安定しているので、

こんな夜に突然遠方から病室へ駆けつけたような形になることは避け、

明日(日曜日)に「今着いたよ」という顔をして病院を見舞うのがいいのではないか?

ということになり、兄弟2人はとりあえずこの日は実家で待機することになった。

 

その後も父は比較的安定状態をキープしていたので、午後7時を回った頃、

 わたしは病院を後にした。

そして、その足で自宅ではなく、実家へ向かった。兄と弟の到着を待つためだ。

 

二人を待っている間、部屋を掃除した。

具合が悪くなってから、私に連絡するまでどのくらいの時間を我慢していたのだろう?

部屋はごみだらけで散らかっているし、台所は生ごみが放置された状態で悪臭が

漂っていた。体はヘトヘトに疲れていたが、臭いに耐えきれず、ゴミは自分の家へ

持ち帰って一緒に捨てることにし、要洗濯の衣類も集め、1階全体に掃除機をかけた。

 

夜9時ごろになってようやく実家に到着した兄と弟、そして私の三人で

改めて今の状況を説明、今後考えられる展開、そのときどうするか?など話し合う。

 

兄は喪服も持参してきていた。

 

「帰ってくるということは、こういうことだろう?」

 

と言って。

 

縁起でもない話だけれど、新幹線ではるばるやってくるのだから、確かにそういうものだよなあ…と納得した。現実ってこういうもの。

 

そうして、話し合いを終えて、私がやっと帰宅したのは前日と同じ午後10時半だった。

 

とてもとても疲れていて

昨日にひきつづいて今日も夕飯を食べていないことに気がついていたが、

とにかく横になりたかった。

お風呂にお湯を張る時間を待つ間にも睡魔に襲われてそうだったので

シャワーで体の汚れだけを落とし、早々にベットに入った。

 

こんなことで疲れていてはダメだ。大変なのは明日からだ。