10月17日(水曜日) 人工呼吸器4日目
この日、目覚めた瞬間から鉛のように体が重かった。
ここへきて、蓄積されてきた疲れが体への症状として一気に噴き出したように
肩に重い砂袋でも乗せられているような感覚と
胃の圧迫感、食道の詰まるような感覚が同時に押し寄せた。
今回に限らず、過去の入院のときも毎回そうだったが
朝起きると同時に「はあ・・・今日も病院か」と、頭に浮かんで気分が憂鬱になる。
それまでわたしは、自分が中心になって父の面倒をみなければいけない立場になった
ことを、長い間ずっと「義務」だと思っていた。すべては義務感だった。
けれど、この日の朝。
ふと「使命」という言葉が浮かんだ。
どちらも「自分がやらなければ」という意味で、大きな差はないのかもしれないが
やらされているのではない。こうなるべくしてこうなって、
父を見送ることは自分の「使命」なのだと。そう思おう・・・と。
そのほうが前向きになれる気がした。
自分を奮い立たせることができた。
実は、父が人工呼吸器を装着してから、現在の父の状況を自分なりに知りたくて
わたしは毎日、人工呼吸器のモニター画面をスマホで撮影していた。
1日に何度も病室を訪れる看護師さんたちに「父の具合はどうなんでしょう?」
と聞くことはできなかったし(看護師さんも困るだろうと)
かといって、主治医もなかなかこちらから質問をしずらいオーラを放っている方で
気になることをあれもこれも聞く・・・ということは、難しかった。
せめて、モニター画面を時間差で撮影することで、
何か自分で理解することができないだろうか?という、浅い考えだった。
初日の画面がこれだった。
最初はこれを見ても、何もわからなかった。
が、看護師さん同士の会話から、上部の数値が現在の父の状態を表し(常時変化する)
下部の数値は、人工呼吸器の設定(変化しない)を示していることを知った。
そして翌日になると、赤丸になっている箇所の数値が変わっていることに気が付いた。
「O2」だから、たぶん酸素のことだろうと思ったが
それが何を示すかはわかっていなかった。
しかし初日の100%から、翌日には60%になっていて、
「人工呼吸器による酸素供給量が減っている=いい傾向」なのでは?と
これまた勝手に想像していた。
前日、主治医がやってきて「改善されていませんね」と言ったそのときは、
この数値は55%だった。
わたしは前日よりも5%下げられているので、よくなっているのかと思ったが
そうは言われなかったのは、この数値はあくまでも状態を判定する材料のひとつでしか
なく、肺炎自体に抗生剤の効果が出ていなければ意味がなかったのだろう。
この日の朝も、病室に来ると
わたしはまず、いつものように最初にその部分の数値をチェックした。
すると、前日帰るときには55%だったそれが、50%になっていた。
おそらく、夜間に看護師さんが数値を下げたのだろうと思った。
さらに午前中、看護師さんがバイタルチェックに来た際、
「これ、下げてもいいよね?」
「そうね。(酸素)97%で5%下げるように言われてるから、いいと思うわ」
と話しているのを聞いた。
看護師さんがその場で45%まで下げた。
看護師さんと入れ代わりに、今度は放射線技師の方が「レントゲンを撮ります」
とやってきた。そして、その後再び看護師さんがやってきて「血液検査をします」
と言った。
今日はいつになく病室が慌ただしかった。
そして、午後になって、主治医が病室にやってきた。
おそらく、午前中のレントゲンと血液検査の結果を受けて、話をされると思い
わたしは緊張で身構えた。昨日の主治医の気まずそうな態度と言葉を思い出していた。
すると主治医は
「ちょっと酸素濃度を落とせてきましたね。」と言った。
やはりわたしが気にしていたあのモニターのO2の数値は下げられる=いい傾向
ということだったようだ。主治医の口が、明らかに前日に比べて滑らかだった。
恐る恐る、あくまでも過度の期待はしていませんけど、という顔をして
「多少はよくなっていますか?」と、わたしが尋ねると
主治医は
「そうですね。熱も下がって来たので。このまま人工呼吸器外せるようになると
いいんですけどね。今日は少し呼吸回数が多いのが気になってますが・・・
まあ、このまま頑張りましょう。」
と言った。
このまま頑張りましょう・・・。
このまま頑張りましょう・・・。
このまま頑張りましょう・・・。
前日は「祈るしかないですね」と言った同じ医師が、
「頑張りましょう」と言っている。
これは・・・・何かが好転したということではないのだろうか?
さらに「もうちょっと下げても大丈夫じゃないかな。」と、
その場でモニターに触れ、O2の値を40%にまで下げた。
一体、この24時間の間に、父の体に何が起こったのだろう??
それでもまだわたしは慎重で・・・とにかく後で落胆するのがイヤだったため
一喜一憂するのを怖がって、主治医に聞くことができなかったが、
もしかしたら父は、足を踏み外せば命を落とすであろう崖っぷちのところから、
少し安全な場所へと引き返すことができたということだろうか・・・?
少なくとも、目の前にあった命の危機はいったん遠ざかったということではないか?
と、考えまいとしても後から後から、回復のイメージが湧いてくる。
わたしはそれを打ち消しながら努めて気持ちをフラットにしようとしていた。
今回の肺炎が、入院後に急変して重症化したという事実もそうだが
回復の兆しを見せていた肺炎ですら、急変してあっけなく命を落とすという話は
よく聞く。それらがわたしの安堵感を慎重にさせた。
その後、夕方やってきた看護師さんが、さらにO2の数値を下げて
35%になった。
わたしはその35%という数値を目に焼き付けて、その日はちいさな希望とともに
帰宅した。
そして、
10月18日木曜日。人工呼吸器5日目。
朝の病室。
O2の数値は、30%になっていた。医療のことは当然何も知らないわたしは
これが0%になったら、
人工呼吸器が取れるんじゃないか?と期待してモニターを見ていた。
しかし、0%ではなかった。
午前9:00ごろ、主治医が朝いちばんに病室にやってきた。
この時間にやってくるなんて、今回の入院中では初めてのことだった。
そして、こう言った。
「状態がよくなってきたので、人工呼吸器を外してみましょう。」
え?
思いもよらぬ急展開と、主治医の突然の言葉にわたしが驚き、
言葉を失っている横で、
医師は丸4日間ずっと継続して投与されていた、鎮静剤の装置を止め、
同時に人工呼吸器も止めた。
父の顔と頭をギュっと締め付けていたヘッドギアのようなマスク型人工呼吸器は
看護師さんたちの手によって手際よくほどかれ、外された。
その日・・・。
父は
秋の日差しがやわらかく降り注ぐ病室で
ついに生還した。