さ み し い。

10月16日(火曜日) 人工呼吸器3日目。

 

 この日も朝から病室にいた。

父の様子は、初日の夜に比べたら見た目には動きも少なく、

落ち着いて眠っているように見えた。ときどき咳込む以外には、あまり険しそうな

顔も見せない。もしかして、少しずつよくなっているんじゃないか?と

兄弟へ「なんか昨日より落ち着いてる気がする」とLINEを送った。

 

しかし、それは素人の思い込みだった。

午後になって、主治医が病室へやって来た。

「こんなに静かに眠ってるし、きっと回復に向かっているはず」と期待して

その言葉を待ったが、主治医の口から出たのは真逆の言葉だった。

 

「うーん・・・。あまり状態は改善されていませんね。」

 

父の様子を見たり、人工呼吸器の装置をいろいろチェックするそぶりを見せたが

それ以上の次の言葉が主治医から出てこない。

わたしは、「あまり改善されていない」の言葉に大きなショックを受けて

今後父に起こりうることについては、怖くて何も聞けなかった。

「そうですか・・・」と言うのが精いっぱいだった。

 

主治医は、わたしの目を見て話すことはなかった。

この状況を家族に説明するのをイヤがっているのが見て取れた。

別にそのことを、失礼だとか誠意がないとか、そんなふうには思わなかった。

ハッキリ言って、そんなことまで気が回らなかった。

 

主治医は父を見つめながら

 

「まあ・・・なんとか・・・頑張ってくれるのを祈るしかないですね・・・」

 

と、途切れ途切れにつぶやくように言って、そのまま静かに病室を出て行った。

主治医はこの日、たった2言を発しただけだった。

わたしと目を合わせようとしないままに。

 

てっきり、少しは良くなっているのかと思っていた。

そうじゃなかった。

もしかしたら、このまま・・・

眠ったまま、わたしは父と別れることになるんだろうか?

 

人工呼吸器の話をされたときよりも、この日の主治医の分かりやすい態度のほうが

わたしには衝撃として大きく、

しばらく呆然としていた。

 

呆然としたところから、「しっかりしなきゃだめだ」という気持ちに切り替わるのは

そんなに時間のかかることではなかった。

今自分にできることをしなければいけないと思った。

 

父に残された時間が少ないのであれば、

わたしはもっと父と話しておかなければいけないと思い、

人工呼吸器をつけてから、父に話しかけようとしなかった自分を反省した。

もしもこれが最後になるのであれば、声をかけないまま逝かせることになってしまう。

それはあまりにも心残りだし、父がかわいそうだと思った。

そこから父に何度も話しかけることにした。

 

「おとうさーん、わかる?わたし。わかる?」

 

と勇気を出して声をかけると、父は目を開いてこちらをぼんやりと見て

何か言葉を発するが、ほとんど聞き取れるようなことはなかったし

おそらく、寝言のような状態で、意味のある言葉を発するようなことはなかった。

わたしのことを理解しているのかすら、わからない。

 

それでも話しかけた。

「今日はね、朝がすごく寒かったよ。でもだいぶ昼間は温かくなったけどね。」

「夜は雨が降るかもしれない」

「お兄ちゃんと弟も会いにきたんだよ?覚えてる?」

「お父さん、〇〇さんて人から携帯に電話入ってたよ。これ、誰かなあ?」

 

など、たわいもない・・・・目につくこと、頭に思いつくことを、

その都度一方的に話しかけた。

父は、わたしが大きな声で話しかけるたびに、目を開いてこちらに視線を向けるが

基本的にはぼんやりとし、反応は薄い。

「わたしのことがわかる?」と聞いても、反応はない。

そして、わたしが話しかけている間は目を開いてこちらを見ていても、

話すのをやめるとまたすぐに眠りについた。

 

そうして、この日も午後6時が近くなってきた。外も暗い。

早く家に帰って、夫が帰るまでに急いで夕飯を作らなければならないため、

病室を後にしなければならなかった。

 

「おとうさーん、わたし、もう帰るね。明日またくるからね~」

 

と、耳元で大きな声で呼びかけた。

すると、父は例によって目をぼんやりを開いて私を見た。

 

「わたし、帰るから。バイバイ」

 

と、もう一度言った。

すると、父が何かを言った。

 

「ひゃ・・・び・・・ひ・・・い」

 

まさかと思った。一瞬耳を疑った。え?

 

「ひゃ・・・び・・・ひ・・・い」

 

間違いなく、同じフレーズをまた言った。

 

「お父さん・・・・。もしかして、”さみしい”って言ったの?」

 

と、思わず聞くと

 

父はうつろな目でわたしを見つめながら、小さくうなづいた。

 

それは、うわごとだったのかもしれない。

本人はたぶん、無意識だったと思う。

でも、間違いなくその言葉は「さみしい」だった。

 

そのとき。

わたしは父が生死をさまよう状況になってから、

 

初めて声をあげて泣いた。

 

それまで「自分がしっかりしなきゃ」と張りつめて

頑張らせていた心の壁が、崩壊した瞬間だった。