自分のことだけ考えて暮らす日は来るのか?

今月いっぱいで、息子の育休も終わるので、

たぶん、当分帰ってくることはないだろう。

出産間近の3月から今日まで、

何度帰ってきて、何度泊まっていったかわからないし、

里帰り出産後は、わたしも何度も育児ヘルプに行かせてもらった。

今月に入ってからは、ヘルプというよりは

一緒に買い物に行ったり・・・を楽しんでいたけれど。

 

来週からは、息子がまた仕事再開だし、

お嫁さんが、忙しくワンオペ育児しているところへ

(といっても息子はテレワークだけど)

わたしが遊びに行く・・・という図はなかなか浮かばない。

 

これまでもそうだったけれど、

わたしは自分から「いついつ行くね」と言ったことはなくて、

毎回、息子から「来週あたり来れる?」と、お願いだったり、

招待されて行っていたので

息子が仕事復帰したら、平日にそういうお呼びがかかることはないと思うし。

次はいつ行くことになるのか?全く未定。

 

ちょっと寂しい気持ちもある一方で、

やっとゆっくりできるかな・・・と、ほっとしている部分も大きい。

なんかちょっと疲れたなあと思う。

お嫁さんのことは、とてもかわいいし大事にしてあげたいけれど

やはり本当の親子ではないから

「いい姑」を頑張ってしまう面はどうしてもあったし、

いろいろしてあげなきゃ、でわたしの心はいっぱいになっていたと思う。

 

でも、ふとした瞬間に、

「そうはいってもしょせんは義母は義母で、実母のほうがいいに決まっているし

何かのときには実家がいいに決まっているし・・・わたしが頑張っても・・・。」

なんだか、急に卑屈な気持ちが沸き上がってきて

自分がしてあげていることをむなしく感じてしまう瞬間が

発作のように沸き上がることもあった。

 

そういうややこしい感情から離れるには、物理的な距離が一番いいのよね。

だから、息子の育休が終わって、

しばらく息子夫婦たちから距離を置くことになる状況にほっとしているのである。

 

 

わたしって、人の世話をして生きる宿命みたいなのを持ってる気がする。

若いころから振り返ってみても、

おばあちゃん、母親、父親、3人の介護&看護を含めて、

人のお世話ばかりしてきたなあって。

(犬の介護もあるけれど、犬は自分が好きで家に迎え入れた存在だからちょっと違うかな)

 

息子のこともそうだ。夫のこともそうだ。

心配性なのと、おせっかいなのと、いろんな気持ちグチャグチャあるけれど

結局は、ほうっておけないのだ。自分のことに集中できなくて

自分で自分の役割を増やして、悩んだりため息ついてしまう、面倒な性格なのだ。

 

でも、お嫁さんのことを気にかけたり、いい姑を頑張ってしまうのは

これって「承認欲求」かなあと思った。

血のつながった家族のお世話をしている時には気が付かなかったけれど

血のつながらない家族となったお嫁さんのために、

あれこれしてやりたくなるのは、きっと承認欲求だ。

自分は役に立ってる、感謝されてる、幸せにしている、って思いたいんだなあと。

でも実は両親の世話もそうだったのかもしれない。

自分の存在意味を見出したかったのかもしれない。

「絶対に必要な娘」と思われたかったのかもなあ・・・・と

わたしなりに大変で、頑張ってきたこの2か月余りを振り返って思う。

 

そんな自分、

確か、子育てが終わった時に

「これからは自分のために時間を使って自分のしたいことだけするんだ」

なんて、張り切っていたはずなのに、一向にそんなことにはなってない現実。

 

おかしいなあ。こんなはずじゃなかったのに。

やっぱり性分だよね、きっと。

 

1人で好きに時間を使って、

一人旅もチャレンジしてみたいし、

1か月くらいのシニア留学っていうのもやってみたい。

なんなら学校に通いたいという夢もある。

 

でも立ちふさがるは、夫の壁。

 

「僕のご飯はどうなるの?」

 

の一言で、膨らんだ夢はあっという間にしぼむ。

でも、本当は・・・・決して夫一人が悪いわけじゃなくて、

夫のことも、息子夫婦のことも、

「あとは好きにやってくださいね!」と、手放す勇気が自分にないだけな気がする。

 

でも、全部放り出したいんだ・・・いつもいつもそう思ってる。

自分以外のことを気にかけたり、心配する生活はストレスもついてくるものね。

 

どうやったら、そんなふうに生きられるんだろう?と

子育て終わったのに、いまだに悩む情けない自分だ。

 

今日は少し凹んでいる。