「世の中はわたしに配慮しろ」

前記事で、1年後にディズニーに行くことになったと書いたけれど

「毎日生きるだけで精いっぱい」と息子に言っていたお嫁さんが、

この旅行の話を聞いた日の夜に、

「ディズニーのホテルのこと、スマホでいっぱい調べちゃった」

と言っていたそうで・・・それを聞いてとてもうれしかった。

 

目の前の育児ルーティンのことと睡眠のこと以外考えられない・・・と

言っていた彼女が、「ディズニーについてスマホで調べる」という、

育児以外のことに思考を働かせることができたなんて、よかったなあと。

 

それはともかく・・・

このまだうんと先の旅行の話を息子としていたときに、

新幹線はグリーン車にしようか?という話が出た。

まあスポンサーはジジババなので言い出しっぺはわたしだけど

赤ちゃん連れでもゆったり座れることと、

せっかくの旅行だから贅沢にという気持ちの両方から

そんなことを軽い気持ちで提案してみたものの・・・

 

5~6年前、父を福岡へ相撲観戦に連れて行ったときに

グリーン車を利用した時のことを思い出した。

往路は車内もガラガラでそれは快適だったのだけど、復路のほうは

出張帰り?のちょっと上級国民風のビジネスマンたちに囲まれる形となって、

なんだか家族旅行でグリーン車に乗ってる自分たちは「場違い?」と

感じてしまったのだ。

それを思ったら、赤ちゃん連れの旅行でグリーン車はあり得ないのかなあ・・・と

急に気になって、Twitterで「グリーン車 子連れ」と検索してみると・・・

 

あわわわわ・・・・出るわ出るわ・・・「子連れはグリーン車に乗るな」の

批判ツイートの数々。

やっぱりなあ・・・そんなふうに思うんだよねえ。

 

でも、解せないのは

「高いお金払ってグリーン車に乗ってるのに、
なぜ子連れ客に邪魔されないといけないんだ」的な批判。

 

いやいや。子連れ客だって同じ料金払って乗ってるからそこは違うくない?と思った。

 

つまり、グリーン車は「静かに乗る大人だけのための車両だから子連れは来るな」

と、そういうことだ。

 

 

少子化対策」について政治・政策的にいろいろ議論される今日このごろだけど

こういうふうに社会全体が、子育てに優しくはないせいも大きいのでは?と思った。

 

子育てに限った話ではないけれど、

現代人は、些細なことで周囲に対して腹を立てる人が増えてないだろうか。

寛容さが無くなってきている気がする。

 

ツイッターに流れてくる愚痴や不平不満を読んでいても

 

「へ~・・・・そんなことで腹を立てるんだ?」

「そんなにイライラするようなことだろうか?」

 

と、私は首をかしげることが多々ある。

・・・というか、わたしは基本的に平和主義なので周りの知らない人の行動に

イラつくことってほとんどない気がしている。

 

 

思うに、イライラしやすい人、不平不満の多い人って

 

「世の中はわたし(オレ)に配慮しろ」という思考回路になっているんだなと思う。

そのことに、本人はたぶん気づいてない。

自分が快適で穏やかに暮らすための「当然の権利」と思っているだろうから。

そのために、周囲がもっとこのわたしにに気を配れ、という思考だ。

 

「わたしは忙しいんだ!世の中は忙しいわたしに配慮しろ」

「わたしは静寂を求めているんだ。世の中はそんなわたしに配慮しろ」

 

「このわたしに配慮しろ」って・・・言葉にすると、すっごく傲慢に思えてくる。

でも、イライラの感情の根っこはそれなので、

他人に対するイライラの多い人は、「自分は今そう思ってる」・・・と自覚すると

嫌な人間だなーと思えて、寛容になれないだろうか・・・?いや、無理か・・・笑

 

「配慮しろ」の人たちは、立場を変えて相手を思いやることができないから。

 

わたしは急いでるんだから、モタモタしないでよ。

なんでこうしないの?こっちのほうが絶対効率的なのに。

うるさいな。子供を黙らせろよ。

子どもなんか連れてくるな。

普通はこうでしょう?(←その人が考える常識のおしつけ)

 

ぜーんぶ「このわたしに配慮しろ」が生み出しているイライラだ。

 

グリーン車の話からちょっと飛躍しちゃったけれど、

なんか不寛容な世の中だなあ・・・と思った話。

 

そして

 

社会や世間の人たちが公平に子連れウェルカム!にならないのに

政策だけで子供が増えるわけないな・・・と改めて思うのでした。