高齢者の運転問題。

突然何の話かと思われるかもだけれど、

今だから言える話。

実はわたしの父は6月ごろまでは車を運転していた。

約1年前に介護認定(当時は要支援2)を受けた以降は、

ブログ中で、運転についての話を書くことはあえてしなかった。

それはやっぱり、

そういうことを書くと、必ず正義感あふれる常識を説く人が現れて

「今すぐ運転やめさせてください!事故が起きたらどうするんですか!
家族の責任になりますよ!」

と責め立ててくるであろうことは容易に想像できたので、

罪悪感は感じつつも、そこはふんわりとオブラートに包んだまま

あいまいにしてきた。

 

そのくらい・・・昨今は高齢者の運転には冷たい視線が注がれる。

 

もちろん、野放しにしていたわけじゃないし、

なんとかやめさせたいとは思っていた。

が、この問題は「やめさせたい家族」にしかわからない・・・

世間の人(まだ親も若くて関係ない人・あるいは説得するまでもなく親の方から免許返

納してくれた人)にはおそらく想像できない難しさがある。

 

世間で一番良く言われるのは、

「田舎だから車の運転ができないと生活できない」

と言う問題。

正直なところ、「限界集落」など言われるほどの超田舎でない限りは

「買い物」「通院」などの問題はそこまで深刻ではない気がする。

 

年寄りの1~2人暮らし。毎日買い物が必要なわけではないし

通院も特に頻繁な治療が必要な病気でなければ

せいぜい週に1度、月に2度くらいの話だろうと思う。

 

そのくらいであれば、子供のうち一人が近くに住んでいれば

(例えば我が家で言うとわたしのように)

必要な時に「足」となって、外出に付き合ってやることはできるし、

また、子供が近くに住んでいなくても、週に1~2度程度の外出だけであれば

タクシーを使ってもそこまで経済的な負担にはならないと思う。

(マイカーの維持費と相殺できるだろうという意味で)

 

実際、わたしは父になるべく運転をさせたくなかったので、

「車に乗るのは近所のスーパーとコンビニだけにしようね。」

と約束させた。どちらも父の家から2キロ以内にある店舗だった。

 

病院や別のショッピングセンターなど、

2キロ以上離れたところにある場所へ行きたいときは、

わたしが乗せていくからいつでも言って、と言って

自分では行かないように・・・とお願いした。

 

が、もともと縛られることが嫌いな父、自分の運転に自信を持っている父が

言うことを聞くわけはなく・・・

わたしには「わかったよ」と言いつつ、こっそり運転して出掛けていた。

そして、わたし自身、それを見て見ぬふりしていた。

 

そのときは、批判が怖くてブログには書けなかったので

今こうして書いているわけだが

当時、高齢運転者の当事者家族となって

ひしひしと感じたのは

高齢の親の運転をやめさせられない一番の理由は、

生活が不便になるからではなく(それらは上記のようになんとでもなる)

車を運転できなくするということは

親の「出かける楽しみ」そのものを奪ってしまうこと

だという点だった。

 

わたしたちだって、

必ずしも「出かけなければ」という理由で車に乗っているときばかりではない。

「ちょっと行ってようかな」というふわっとした思い付きで

本屋に行ってみたり、カフェに行ってみたり・・・ということはある。

 

1日暇を持て余している年金生活の高齢者にとって、

しかも徒歩や公共交通機関を使って移動するほどの体力はない高齢者にとって

ドアtoドアで出かけられる自動車は、

それ自体がささやかな娯楽につながっている存在なのだと思う。

父の場合は、喫茶店やスタバに行くのが大好きだった。

おそらく介護認定を受けて以降も、週3日は行っていたと思う。

 

そんな生活から車を取り上げたらどうなっていただろう?

1杯数百円のコーヒーを飲むために、

1000円、2000円とタクシー代を払って出かけようと思うだろうか?

だんだんと「まあそこまでするのも・・・」と億劫になって

最終的には「気軽なお出かけ」はあきらめることになってしまうと思う。

ちょっとふら~っと喫茶店に行きたいだけのことを、

子供に頼むのも悪いと遠慮して、頼まないだろう。

 

高齢者から車から取り上げてしまうということは

安全だけど、楽しみの少ない家の中に

親を閉じ込めてしまうということにつながると思った。

わずかな出かける楽しみを奪ってしまうことで、

それは高齢者の引きこもりを作ってしまうに等しいことだと感じた。

 

高齢親の運転をやめさせるには、車の「鍵」ひとつ隠してしまえばいいわけで

それは実は簡単なこと。

けれど、わたしには在宅酸素で不自由さが増した父から

車のキーを取り上げることはできなかったし、

その父に強く「運転はもうやめて」とは言えなかった。

 

決して、「だから親の運転は容認してもいい」と言いたいのではない。

あくまでも、

「そこが親の運転をやめさせる上で、子が一番葛藤するところ」

と言いたいだけなのでどうか誤解のないように。

 

ケアマネさんや訪問看護師さんが遠慮がちに、

「運転は無理しないでくださいね」と、遠回しに言っても

父は、絵にかいたような傲慢な高齢者の口癖そのままに

 

「ワシが何年運転していると思ってるんだ?キャリア60年だぞ?」

 

自分の運転歴を誇らしげに語る、痛い老人と化していた。

 

 

そんな父の運転問題・・・・子としては、さまざまな苦労や不安があったけれど

6月のある日、いともあっさりと父は車を運転することをやめた。

それは、主治医からのどうということのない言葉だった。

 

痛み止めとして、医療用麻薬を使いはじめたときに主治医から言われたのだ。

 

「この薬は強い眠気を引き起こす可能性があるので、

服用中は車の運転はやめたほうがいいですよ。」

 

たったこれだけの言葉だった。

決して、主治医は父に車の運転を辞めさせるためにこれを言ったのではなく、

麻薬を使用しながらの車の運転は危険という、副作用の注意喚起をしたに過ぎない。

 

わたしとしては、このチャンスを生かさない手はなかった。

麻薬を処方された日、主治医の言葉を前面に押し出しつつ

様々な言葉で父を説得しようとした。

 

私「薬による眠気で判断能力が落ちるかもしれないし」
=決して年齢を理由にせず、あくまで薬のためにやめるのだと思わせる

 

私「お父さんが事故をすることはないと思うけど、相手からぶつかって来たときでも
今どきは必ず高齢者の運転のほうが悪者にされる時代だから。お父さんが悪くなくても悪く言われることになるよ。」
=父が事故を起こす前提の話はNG&運転能力は絶対に否定しないのがポイント

 

私「今は高齢者が事故を起こすと、家族も責められて土下座しなければならない時代だからねえ。そうなったら〇〇さん(←私の夫)にまで迷惑がかかるかも・・・」
=家族の連帯責任をアピール。夫に対しては遠慮がある父なので名前をチラつかせると効果的

 

気を付けたのは「父のプライド」を絶対に傷つけないこと。

 

 

そして、見事にこれらの説得で父は思いのほか素直に「運転卒業」を受け入れた。

あの、傲慢な父が・・・・だ。

 

一番の決め手はやはり

「信頼する主治医が辞めたほうがいいと言った」ということだったとと、

大きな事故を起こした場合、

麻薬鎮痛剤を服用していたことが何らかの形で分かれば

たとえ相手に非が合っても、周囲はそう思わず、必ずこちらが責められるから

それはとても不本意な思いをすることになる・・・と、言う点を強調したことだった。

 

このタイミングは、

父にとって「決して自分の年齢や能力のせいでやめるのではない」

というプライドが保たれる形での「卒業」になったので、

父には不満はなかったように見えた。

 

 

その後は、父がなるべく窮屈や不満を感じないよう・・・

「〇〇へ行きたい」というときには

必ず二つ返事で快く運転手役を引き受けるように心がけた。

 

親の運転を辞めさせる以上は、

100%とはいかないまでも、ある程度・・・できる限りは

子供も頑張ってその不便さを補ってやらなければいけないと思う。

自分の負担が増えることに対する覚悟が必要なので、

それがちょっと面倒でつい見て見ぬふりをしたり

なんとなく問題を先送りにしてしまっている人も少なくないと思う。

 

わたしは自分も同じ思いをしてきたので、

そういう立場の人達の葛藤する気持ちが痛いほどわかる。

だから、まだ高齢の親の運転をやめさせることが出来ずにいる人たちを

責める気持は全くない。

 

そのくらい、親の運転をやめさせるって簡単なことではないと思っている。

 

親子の距離感や、どのくらい公共交通機関が使えるか?の地域性など

さまざまな条件によって問題は変わってくるので、

本当に難しい問題だけれど、

 

なんとか、親も子も、そこそこ妥協点を模索しあって

いずれ円満に親御さんを「運転卒業」まで

誘導してあげることができるといいなと願っている。

 

今困っているみなさん、あの父ですら説得できましたから(笑)

きっと大丈夫。

どうかがんばって!