生命線。

ちょっとブログの更新ができませんでしたが、

単純に忙しかったことと、自分の気持ちや今考えていることを整理して

書ける状態になかったから・・・が理由であって

とりあえず父に大きな変化はないまま日々過ごしていますので

どうかご心配なく!

では、その後のことを書きますので、よければ読んでください。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

前記事までに経緯を簡単にもう一度説明すると・・・

毎日夕方16~21時までの付き添いと、

土日祝日の朝7~9時までの付き添いは

看護師さんからお願いされて始まった「通い介護」だった。

 

緩和ケア病棟に入ったとたんに

まさかの「徘徊」が始まった父に看護師さんが対処するのに、

その時間帯だけは人が少なくて対応しきれないから・・・というのがもともとの理由。

 

けれどその直後(三連休前)に

父が病室内で転倒するという予期せぬ事故が起こり・・・

結果、父の身体は驚くほどに弱ってしまい、

身体的なケガはなかったのだけど、そこは高齢者だからか

自力では立つことができなくなった。

 

そして皮肉なことに、父には「徘徊」の危険はほぼなくなり、

わたしにはもう、当初看護師さんからお願いされたような理由で

父に付き添う必要はなくなったことになる。

 

が、実は連休が終わった今も、毎日付き添いに行っている。

しかも、(平日だけど)夜だけでなく朝も・・・・

つまり1日2回、病院に通っている。

片道35~40分を2往復。

 

もう徘徊の心配はなくなったのに、なぜ1日2回通っているのか・・・?というと

これはもう、看護師さんからお願いされたからではなく自分の判断で決めた。

なぜかというと・・・

父の食事介助のため。

もちろん、食事介助は看護師さんにお願いすればやってもらえることである。

 

けれど、今の父は「イヤイヤ期」の幼児と同じで・・・

事務的に食事をセッティングしてもらっても、食事はしない。

いろいろ話しかけて、おだてながら、楽しい雰囲気をつくり

一緒に病室のテレビを見ながら、

父のよくわからない妄想の話にも、ウンウンと頷いてやりながら

少しだましだまし(まさに幼児に食べさせる要領で)

スプーンを父の口に運ぶと、ちゃんと食べてくれるのだ。

 

しかし、忙しい看護師さんにそこまでの「演出」は頼めるわけがない。

これは家族がやるべきことだな・・・と思うので

朝夕の食事だけは、この先もわたしでなければ無理だろう・・・と判断した。

 

父は今もずっとせん妄状態にあるので、自分の状況を理解していない。

だから妄想の話をしたり、幻覚もよく見ている。

(もうすっかり慣れたので父が幻覚の中にいても、それに合わせて話ができるわたし)

しかし、なぜかテレビを見ることに関しては、

ちゃんと自分の目に映るものを認識するので、

大相撲や大リーグ中継、世界の街並みを紹介する番組など・・・

元気だったころの父が好きだった番組を見せていると

それを見ながらいろいろ解説など、しゃべってくれる。

 

正直、父は食事のことも、もうあまりよくわからないのだと思う。

だって、あれだけ食にうるさかった父が、

毎食毎食・・・味のないおかゆと、

原形が分からなくなっているペースト食ばかり食べさせられているのに

文句ひとつ言わないのだから。

「おいしい」とも「まずい」とも言わない。

ただ「おなかいっぱい」は言うので、父に満腹がきたらそこで食事はおしまい。

幼児用のお茶碗程度のおかゆと、わずかなおかずを食べるのみなので、

1食200キロカロリーにも満たない食事量じゃないかと思う。

全く食べないよりはマシ、主食だけでも完食してくれたらバンバンザイ、

そういう気持ちで食べさせている。

 

そして、わたしが必ず「こうしよう」と決めていることがあって

それは、食事の時には必ず車椅子に座らせること。

転倒した直後は、ベッドから車椅子への移乗も、一時極めて困難になった。

看護師さん達から「いっそ寝たきりでよくない?」と思われてないかと

申し訳なくなったほどに。

(もちろん看護師さんたちは嫌な顔せず移乗させてくれる)

 

トイレも車椅子で行くようになったけれど、

排泄コントロールがうまくいかなくなったのか?尿意便意がわからなくなり、

実はリハビリパンツからついに完全におむつにもなった。

 

わたしが朝夕、父に付き添わないでいたら、

たぶん父はそのまま寝たきりまっしぐらだろうと思う。

けれど、わたしはなぜかそれは避けたいと考えた。

だから、食事の時には必ず看護師さんにお願いして車椅子に移乗させてもらい、

寝たきりにならないように頑張っている。

食事のあともすぐにベッドには戻らず、そのまま1時間くらい、

車椅子に座ったままテレビを見て、

父が車椅子でウトウトし始めたら、

また看護師さんにお願いしてベッドに戻してもらい

父を寝かせる・・・という感じ。

 

正直、連休中からずっとずっと、毎回父のところへ行くたびに

看護師さんに車椅子への移乗をお願いするたびに

何度も自問自答を続けていた。

 

「こんなことして何になるんだろう?」って。

 

だって、父は確実に終末に向かっているのだ。

ここから元気になることは絶対ないのだ。

緩和ケア病棟の制度上、一時的に退院しなければならないことはあっても

元気になって退院することは絶対にないし、

おそらく自宅に戻っても(また環境が変わることになり)

もう父は自宅を認識できないだろう。

 

それがわかっていながら・・・・

わたしが朝夕通い、父を車椅子に座らせることにこだわり、

食事をスプーンで口へ運び、わずかな栄養を維持してやること・・・

 

そのことにどんな意味があるのだろう?と。

退院させて、家へ連れて帰れるわけでもないのに?

その先には何も待っていないのに?

わたしはなんのためにこのルーティンを繰り返しているのだろう?と。

 

けれど、

「看護師さんに頼めばいいじゃん、

それで食べないんだとしてもそれはもうしょうがないし」

 

・・・とは、わたしにはどうやっても割り切れなかった。

その感情が、いったいどこからやってくるものなのか?自分でもよくわからない。

 

 

数日間、ずっとずっとこのことを考えていた。

 

けれど、転倒から5日経った昨日のこと・・・・

 

なんと、父が再び自分から尿意を訴えて、

完全おむつ→リハビリパンツに突然復活したのだ。

そして、転倒した日からずっと

わたしがスプーンを口に運んでやり食べさせてやっていた食事も

昨日の夜、ついに数日ぶりに父が自分でスプーンをつかんで食べた。

お茶を飲むだけでもむせるほどに嚥下能力が落ちていたのも、むせなくなった。

口をうがいさせようとしても、毎回水を飲み込んでしまっていたのが

ちゃんと吐き出せるようになった。

 

もちろん、相変わらず自力で立つことはできないので

車椅子でトイレに行っているけれど・・・

しかし、それでも父は確実にわずかながらに最低限のADLを取り戻した。

 

本当に自己満足でしかないのだけれど、

これは自分があきらめずに頑張ったからではないか・・・?と心の中で思ったし

シンプルにうれしかった。

たとえそれが、客観的に見て意味のない進歩のように映るとしても。

 

 

昨夜、そんなささやかな達成感に浸っているところへ、

夜勤の看護師さんがやってきた。

 

「実は付き添いについてお話が・・・・・」と、改まって。

 

わたしは何か付き添いに問題でもあるのかと思い、ちょっとドキドキしながら

看護師さんの話を聞いた。

すると

 

「今、娘さんに朝晩来ていただいてますが・・・

あの・・・この付き添いを、今後も続けていただくことは可能ですか?

実はお父様は、娘さんがいるとき(朝夕)といないとき(昼)とでは、

食事の量が全く違うんです。

昼食は毎回「要らない」と言って、ほとんど食べてくれません。

けれど娘さんが付き添って下さる朝晩は驚くほど食べることができているんですよね。

今のお父様にとって、娘さんの存在と言うのが本当に大きいみたいで・・・

娘さんがいらっしゃるときは精神的にもとても安定しているんです。

(※わたしのいない昼間は看護師さんに反抗的な態度が多いらしい)

朝晩2回も通っていただくことは、もちろん娘さんには相当なご負担だと思うので、

決して無理はしていただかなくて結構なのですが

お父様の今の状態は、娘さんに支えられているといっても過言ではないので

可能な範囲で結構なので、来ていただけると助かります。」

 

という、驚きの言葉だった。

 

看護師さんにちゃんと確認したことはなかったが・・・

やはり、父は(わたしのいない)昼食は

一切食べていないということをそのとき知った。

朝夕も、おそらくわたしが行かなければ食べずに過ぎて行ってしまうだろう。

ベッドから起き上がって車椅子で過ごす時間もなくなるから

ただひたすらに、ベッドの上で朽ち果てるのを待つだけになると思う。

その状態が続けば、

決して誇張ではなく、父はどんどん衰弱して数週間で尽きるに違いない。

 

自分が父の命を繋いでいるということを思い知らされた瞬間だった。

 

 

看護師さんからそうやって言われる前にもう自分の中で

「もうここまできたら、とことん付き合うんだ」と答えを出していたわたしは

彼女からの朝晩の付き添いの打診を受けても全く動揺はなかった。

(※言うまでもなく、看護師さんは付き添いを無理強いしているわけではなく、決して無理はしないでくれと、そして無理な時にはちゃんとフォローするので困ったときにはいつでも言ってくださいと言ってくれている)

 

 

わたしが寄り添うことで、

食べたくないものを食べることができて、

寝たきりにならない時間も作ることができて、

それが父にとってささやかでも心の平穏につながるのであれば

それが父の、父であり続けるための最後に残った尊厳につながるのであれば

1日2回通い続ける理由はそれだけで十分なのかなと思う。

 

そうやっていても、

いずれは食事を受け付けなくなるし動けなくなる時はくる。

けれど、今こうして寄り添って、介助してやるからこそ、

いずれひとつずつできないことが増えていったときには

きっとわたしは

「わたしが頑張っても無理なのだからもうこれが父の限界なんだな」

と穏やかに納得できると思う。

 

 

自分のしていることに意味があるかないかは、

もう考えないことにした。

 

そのときそのとき、自分の気持ちに素直に従うだけ。