遠のく我が家。

 

トイレの失敗が続くようになり、意気消沈する父。

ちなみに、「大」のほうについては何も聞いていないので(←ある意味怖くて聞けぬ)

おそらくこの問題は、あくまでも排尿だけの問題だと思われる。

 

この日、父と話した後、さりげなく病室を抜け出すと、

担当看護師となっていた方が廊下にいたので、

思い切って、このことを話してみた。

 

1度目の失敗は父が全面的に悪く、本当にご迷惑おかけしましたとまずは謝った上で

2度目もまた失敗して、自分の意識とは裏腹に漏らしてしまったことに

かなり落ち込んでいるということ、

入院前まで自分でトイレに行けていただけに、

本人の戸惑いも大きく、相当ショックを受けていて

そしてまた次に同じことがあったらどうしよう?と不安がっていることを

こっそり伝えたくて。

 

わたしとしては、

「だからまた失敗するかもしれませんがどうか温かい目でみてやってください」

と言う気持ちを込めて一言伝えたいだけのつもりだったのだが

 

看護師さんは、父のその戸惑う気持ちに十分理解を示してくれた上で、

「そうなんですよね・・・。夜中も何度か交換しているようなので、もしも本人がイヤでないのなら尿カテーテルを入れることも考えたほうがいいのかな・・・と思っていたところです。」

と提案してくれた。

 

父の話の中には出てこなかったけれど、「夜中にも何度か(紙パンツを?)交換」

ということは、つまり、ほとんど毎回失敗しているということか・・・?

 

カテーテルについては、本人の自尊心や羞恥心の問題もあるので、

無理強いするつもりはなく、本人の意思に反してまではやりません、

と看護師さんは前置きしつつも、

「一度娘さんのほうからそれとなく聞いてみてもらえますか?」

と言われた。

 

父は今のところかろうじて認知能力を保っているので、

自分が排尿コントロールできなくなったことに非常にショックを受けている。

そして、次にまた同じ失敗をしたらどうしようと、尿意が来ることが不安らしい。

 

 

 

とりあえず、父がもよおすたびに憂鬱な気持ちになるというのなら、

もう少し身体が動けるようになるまで・・・という「一時的措置」の意味で

カテーテルという方法もありかもしれない・・・。

 

看護師さんの提案を前向きに受け止めて

とりあえず、わたしのほうからやさし~~く、うま~~く、導尿について

父に勧めてみることに決めた。

  

ところで、看護師さんとのこの会話の中でショックを受けた言葉がある。

それは、尿道カテーテルを入れる提案をされたときに

 

「退院後に施設に行かれる場合、尿道カテーテルは受け入れ不可の施設もあるので

そのあたりはまた相談員Sさんに相談してもらって・・・」

 

と、看護師さんがサラ~~~~っと言ったことだった。

 

もちろん、看護師さんの言葉に何の悪意もないことは明らかで

看護師さんのことをどうのこうの思ったわけではない。(むしろとても感じのいい人)

ただ、「退院後に施設に行く」という言葉があまりにもサラリと出てきたこと、

そしてカテーテル状態のままに、この病院を出ていく前提の話をされたことに

 

ああそうか・・・今の父って、客観的に見て誰の目にも

「ひとり暮らしが出来る状態」とは映らないってことだよなあ・・・と

厳しい現実を突きつけられた気分になったのだ。

 

 

そんな空気の中・・・とっても言いづらかったけれど、

 

一応「今後の状態次第ですが、今のところは自宅に帰るつもりで本人頑張りたいようなので、カテーテルはとりあえず一時的に・・・というつもりで・・・」

 

と、その看護師さんにはこちらの意向を伝えた。

 

この「自宅に帰るつもりで」という言葉を

これほど言いにくいと思ったのは初めてのことだった。

 

このあと、病室に戻って父に尿カテーテルの話をした。

本人を傷つけないよう、怒らせなように。

父は落ち込んでいることもあってか、意外と素直にこの話を聞いて

 

「もうちょっと考えてみるよ。
でも次にまた同じ失敗をしたらそのときはカテーテルにするよ」

 

と言ったので、父の判断に任せることにした。

 

その後、カテーテルには結局至っていない。

父の言うには、「失敗してもいい」と開き直って、

尿意をもよおしても慌てて起きようとせず、ゆっくりゆっくり動くようにしたら、

漏れが少量で済むようになったんだそう。

だから当分カテーテルはやめるよ・・・・と。

 

 

あ~~それならよかったね~~~うんうん。

 

・・・・というのは、これまた表向きの反応であって・・・

内心はやっぱりそれどころではない。

 

なぜなら、紙パンツで生活していることに変わりはないわけで・・・

しかもあの「トイレ水浸し事件」以降、

立ちあがると漏らしてしまう危険が増したために、ベッドに腰掛けた状態で

尿瓶を使って用を足しているというからだ。

(もちろん片付けるのは看護師さん、紙パンツを濡らせばそれも替えてもらっている)

 

つまり、人の手を借りなければトイレができない状態にあるわけだ。

 

これが入院して間もない時期の話であれば別だけどもう10日目。

普通であればだんだん身体が動くようになる時期に、

相変わらず呼吸状態は悪く、トイレも自分ひとりでは無理な現実。

 

きっと、今、介護認定の区分変更申請をしたら、

要介護2~3・・・・要介護2は確実に余裕で出るだろうと思う。

 

ところが父本人は当然そんなことは考えていなくて

あと1週間もしたら、退院許可が出ると信じ切っていて

自宅に戻れると思っている。

 

でも、現実的には到底無理だろう・・・。

 

介護認定の再審査をお願いして、要介護の認定をもらい

ヘルパーさんと訪問看護師さんに来てもらう回数を増やし、

紙パンツを使うか?ベッド脇にポータブルトイレでもセットして

排泄の後片付けなど頼む・・・ということで、父のトイレ問題に対処することは

一応、やってできないことではないと思う。

(※訪問看護師さんに聞いたところ、尿瓶生活だけど一人暮らしを継続しているというお年寄りもいるらしい。ただし頭はめちゃくちゃシャキっとしていてしっかり服薬管理もできて、記憶力バッチリちゃんと会話が通る人らしい)

 

 

けれど、そんな思うように動けない状況であれば、

当然わたしもまた手を貸さずにいられなくなるわけで・・・

 

毎日父のところへ通わなくてはならなくなること必至、

そして、目の前に未処理の排泄物があれば

それを見て見ぬふりはできないわけで、片付けもしないわけにはいかなくなる。

さらに、わたしがいる前で父がもよおせば、

その排泄の手助けしないわけにはいかなくなり・・・

体調はますます悪化するだろうし、

今まで以上に心配や不安も増して、四六時中父の心配をして過ごすことになる

という、そんな生活しか想像ができない。 

 

結局のところ、わたしがどれだけ最初に心の中で、

「わたしはここまでのことしかできない」と一線を引いたつもりになっていようが、

父が今の状態で一人暮らし継続することを認めてしまえば、

いつのまにかずるずるとなし崩し的に、

わたしがやらなくてはいけないことは増えていくことになる。

楽観的に「なんとかなる」などと見切り発車してしまった場合、

介護サービスで何とかならない部分を補うのは結局自分なわけで

そして、いつしかそれが父にとっても当たり前になる。

 

そういう生活になることが一番怖い。

自分の時間のすべてが父の介護にじわじわ侵食されていくことが怖い。

それによって、自分が壊れてしまう気がして怖い。

 

だから

満足に動けないでいる父を「かわいそう」と思う一時の気持ちに流されて

今のままの状態で父を自宅に戻してやろうと思うべきじゃないのだ。

自分を犠牲にする覚悟がない以上は・・・。

 

 

そして、いったん家に戻してしまったら、

「やっぱり一人暮らしは無理でしょう?」などと、

自宅から父を引きはがすことはさらに難しくなるし。

 

とにかく・・・・父には残酷なことかもしれないけれど

 

 トイレに一人で行けないのであれば、ひとり暮らしはもう無理だ。

 

 

退院許可が出ることを、自宅に帰れる日のことを、

当たり前のことに思って、毎日指折り数えて待っている父を見ながら

 

その横でわたしは・・・

 

「肺炎が治癒したあとの行き先」について

真剣に、そして具体的に考えはじめている。