検査の難しさ。

約2年前・・・PET検査を受けたときの所見。

かなり時間が経っているので、(身バレ的に)別に載せても問題ないかな・・・?と。

 

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原発性肺がんの可能性が考慮されます」の一文。

この所見に出てくる専門用語が素人には難解なので

まるで英単語の意味を調べるようにひとつひとつネットで調べたなあ・・・。

もっとも、調べたところで結局医学用語だから

「ああ、なんとなくこういうことを言ってるんだな」という雰囲気でしか

わからないのだけど(笑)

今は時間が経ったので、こんなに冷静でいられるわたし。

でも、さすがにこのときは相当な衝撃だった。

 

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こちらがその時の画像。

わかりづらいけれど赤丸の中に丸い物が腫瘍(と思われる異物)。

この当時の主治医は呼吸器科の部長だった人。

(本当にいい先生だった・・・。この方にずっと診てもらいたかった)

当時で「だいたい1センチくらい」と言われていて

「各検査結果と私の経験上での推測でという前提の話になりますが、

限りなくガンの可能性が高いです。」

という見解とともに

「いわゆる早期がんですが、一切治療をしなければ余命は2年」

と告げられていた。

選択肢は「抗がん剤」だけだったけれど、父が「絶対に抗がん剤はやりません」

と固辞したので、「治療は一切しない」の選択になった。

 

ところがその後は主治医が「経験上あまり見たことがない」と驚いたほど、

このガンは想定通りには成長せず、半年たってもサイズが変わらなくて

「どうやらおとなしいガンですね(笑)」という認定になった。

 

父は「本当はガンじゃなかったんだろう」と都合よく納得していた。

 

そして2年経った今。

この「おとなしいガン」は、わたしたちがその存在を空気のように思い始めていた

おそらく去年あたりからじわじわと、

気づかぬうちに大きくなり始めていたのだと思う。

ただし、当然今の主治医は知っていたに違いないけど。

(おそらく、こちらに治療をする意思がないと知ってるから言及しなかっただけ)

 

3月に久しぶりに撮ったCT画像には、

素人でもハッキリわかる・・・卵大サイズのソレが映っていた。

(※画面上なので実際の何センチくらいなのかはわからない)

 

1センチの腫瘍で「余命2年」と言われたくらいなのだから、

もう父の余命は2年はないのだろうなあ・・・と思う。

 

こんなことを今書いているのは、決して感傷的な話をしたいわけじゃなくて、

ものすごく冷静に・・・

 

「もう検査は一切しないのか?」

 

という素朴な疑問があるから。

 

 

今の主治医になってからは、この肺がんの現状を知るための検査は何もしてない。

 

以前、今の主治医から

「これについては積極的な検査や治療はしないってことでよかったですよね?」

・・・と、言われて、父もわたしも「はい」と答えたけれど

それは、わたし的には「細胞診(確定診断)まではしません」という

ニュアンスのつもりだった。

 

でも、もしかすると

「今後はこちらがお願いしない限り、一切のガンの検査をしてもらえない」

ということなのかも?!

  

先日の検診での、例の「痛み」の話題のところでは

「肺自体は痛みを感じる神経がないので痛みが出ることはありませんが、

まあ腫瘍が肺を覆っている外側の胸膜に浸潤していれば痛みは出ますよ?」

と、主治医は結構シビアな話をさらりと父に説明していたけれど・・・。

 

だからといって「もう一度PET検査してみましょうか」などの打診はなかったし。

 

 

もちろん、検査してほしいのなら、

こちらから先生にそう言えばよくない?と言うシンプルな話ことなのだけど

話はそんなに単純じゃない。

 

自分のことであれば判断は簡単だけれど、

ここはやっぱり、父の気持ちを大事にするべきところだと思うから。

 

父の美学と性格を考えると、

おそらく父は現状なんて知りたくないと思っているはずなのだ。

  

たびたび書いているけれど、父は傲慢だけど、一方でものすごく気が小さい。

もし1か所でも転移が確認されたら、元のガンの大きさに関わらず

その時点で「ステージⅣ」という診断になると聞く。

 

万が一、現状がそんな最悪なステージだったりしたら

父のメンタルは保てる気がしないし、わたしも支えらえるか自信がない。

 

 

 

ちなみに、2年前のPET検査のときは、父はもっと「知る」に対して積極的だった。

「先生、わたしはあとどのくらい生きられますか?」

自分の口から聞いていたほどだから。

 

当時の先生が「あと2年」と答えたのも、父本人がハッキリと尋ねたからだ。

診察室を出た後も、「びっくりしたなあ」とおどけて話したり、

「もう1回くらい海外旅行に行きたいなあ」とわたしに話すなど・・・

口にすることで、気を紛らわせようとしているところがあった。

 

あれほど率直に話せた父が、今は何も言わない。

それは「知りたくない」「知らなくていい」という気持ちの裏返しなんだなと思う。

 

だから、わたし個人の気持ちとしては

「治療が出来なくても現状を知りたいから、もう一度PET検査をしてほしい」 

という考えを持っているけれど

 

ここは父本人の気持ちを優先にするべきだと思うので

 

今後、進行具合を知るための「検査」を受けるかどうかについては、

父がしたいようにさせよう

 

・・・と決めた。

 

父が知りたいと思えば、自分で定期検診のときに先生に尋ねるはずだもの。

 

 

「推定余命2年」から、まさに2年経った。

ここからさらに「あと2年」はないだろうな~と思う。

ほかの肺の病気も悪化しているからなおのこと。

でも、今なお一人暮らしを続けていられる程度には元気なのだから 、

 

それでよし。