支えてくれる人々。

急きょ退院が決まって焦る私。

ありがたいことに、

いつも忙しそうにしている地域包括支援センターのSさんには

この日はすぐに会うことができた。

 

「明日退院することになっちゃったんです」と、言うわたしに

 

「あ、明日ぁ?明日?!」と、二度見する勢いで聞き返すSさん。

 

「どうしてそんな急展開に・・・」と驚くSさんに、話の流れを説明し

主治医のGOサインが出てしまった以上、介護計画のすり合わせのためだけに

家に帰りたい父を留められない空気になってしまった旨を伝える。

 

介護認定が出るのは早くても11月末だろう。

サービス利用初心者のわたしにとって一番の不安材料は

「認定が出るまでの数週間、自分ひとりでは到底父のサポートをする自信がない」

ということだった。

プロであるSさんは、そのあたりのことを彼女なりにきちんと考えていてくれた様子

だったが、まさかこんなに早くなるとは思っていなかったようで(当然)

彼女の予定も大きく狂わせてしまい、本当に申し訳ない思いだった。

 

わたし自身も、家族としてただオロオロしているだけではダメなわけで、

こはちゃんと頭の中を整理して、きちんと何が不安なのかを伝えなければならないと

深呼吸した。

 

「掃除や洗濯などは、毎日やる必要はないので、とりあえずは

わたしが通うことでなんとかできると思います。

今、一番不安なのは(入院中まだ入ったことのない)お風呂

外出もままならない父の食事をどうするか?なんです。」

 

と、Sさんに伝えると、Sさんはヨシわかった!とばかりに慌ただしくファイルから

いろいろ書類を取り出して、必要だと思われるものをコピーしてくれた。

 

「まず食事は市内で使える配食サービスがこれだけあるから、

ここからどこか選びましょう。」

 

父は入院前にもこういった配食サービスは利用していたのだが、いかんせん本当に

美食家で(←※あくまでも父基準)配食サービスはどれもこれも口に合わないと言って

実はこれまでに3つも渡り歩いている(恥)

 

そして、これまでは

「夕食のみ」を提供しているサービスしか利用したことがなかった。

父がまだそれなりに動いたり出かけたりすることができたため、父自身が

昼食まで、不味い(※父の味覚)お弁当に縛られるのことをイヤがったためである。

 

しかし今は病み上がりで満足に動けないし、まだ操作に不慣れな携帯酸素を連れて

今までのようにフラっと出かけることは当面は困難であるため

「昼食」をどうするか?は、わたしの中で頭の痛い問題だった。

 

それが、Sさんがくれたリストには、「昼食、夕食」の弁当を提供して

くれている会社もいくつか載っており、

それらはわたしがネットで検索しても出てこなかった地元密着の団体だった。

こういう”ネットで探しきれない”情報を持っていることが、

専門機関の強みなんだなぁ・・・と実感した。

 

そこから「昼食」も「夕食」も配達してもらえる新たな配食サービスを選び、

父にももう文句言うんじゃないよとクギを刺しつつ了承をとって、依頼をすることに。

 

「あとはお風呂の問題ね。とりあえず最初の2週間は訪問看護のほうで

入浴介助をしてもらったほうがいいと思うのよ。

訪問看護は、医療保険でも介護保険でもどちらでもいけるから大丈夫。

まさかこんなに早い退院になるとは思っていなくて・・・(汗)とりあえず

すぐに訪問看護師さんと、いずれ介護サービスを使うことになるだろうから

居宅介護サービスのケアマネさんにも連絡して来て、

お父さんに挨拶させてもらうから。ちょっと待っててね。」

 

と、Sさんはテキパキと今後についての説明を済ませ、慌ただしく戻っていった。

 

以前の記事で、わたしは「父には医療機関との連携が大事だと思う」ので

この病院のケアマネさんにお願いすることに決めた・・・と書いたが、

早速その利便性とありがたみを感じることになった。

これだけ短時間で体制づくりの話が進むのも、同じ院内に事務所を構えていて、

管轄の違うスタッフのみなさん同士も普段から連携が取れているおかげだ。

 

norako-hideaway.hatenablog.com

 

 

そして、ここでも自分の無知を晒すことになるのだが、

わたしはこれまで「訪問介護」と「訪問看護」を厳密に区別できていなかった。

Sさんに説明されたことを自分なりに解釈すると、

 

訪問介護というのは、いわゆるヘルパーさんがやってきて身の回りの手伝いを

してくれること。しかし看護師の資格はもっていないので”医療行為”はできない。

そして「訪問介護」は介護保険の領域なので、介護認定を受けた者しか利用できない。

 

訪問看護は看護師の資格を持っている人がやってきて、

患者の健康管理をしてくれることが主な目的。

入院中に看護師さんにやってもらえることの範囲といったほうがわかりやすいかも?

なので排せつや身体拭きなどの介助などは、お願いできるということだと思う。

(わたしはてっきり入浴介助はヘルパーさんの仕事だと思っていたが

入浴介助も入院中にやってもらえることなので、考えてみればそうだな、と

あとから納得した。)

だから、ヘルパーさんと違って生活そのもののサポートをしてくれるわけではない。

 

訪問看護ってどうやったら使えるの?というところも素朴な

疑問だったのだが、これは基本的には患者側が「訪問看護を利用したい」と依頼し、

それに対して主治医もそれを必要だと認めてくれると訪問看護がスタートする・・・

というものらしい。

(父の場合はSさんがすべて進めてくれて、訪問看護を受けられる運びになった)

父のように、在宅で医療器具を使う場合は訪問看護で定期的に管理してもらうのが

望ましいらしい。(もちろんわたしも安心なのでそうしてもらいたい)

 

利用料については、病院に支払うのではなく、

患者と訪問看護センターと直接契約を結ぶ形になり、支払いもそちらへ

することになるらしい。

その場合でも「介護保険」か「公的医療保険」のどちらかが適用になるので、

病院で払う医療費と同様に、その人の年齢や収入によって1~3割負担の医療費を

払うことになる。

ただし、通院治療では発生しない「訪問料」も加わるし、

今回のように入浴介助をお願いすると、こちらも「入浴介護に1回いくら」と、

単価が可算されていくので、若干割高になるのは仕方がないこと。

 

・・・と、概要はそういうことらしい。(説明がヘタで申し訳ないです)

 

父の場合も、もしも介護認定されれば「介護保険」で、されなければ「医療保険」で

利用することになるという話らしい。

 

Sさんが素早く動いてくれたおかげで、30分後には

訪問看護師のYさん、そして父のケアマネージャーとなる予定のTさん、

そしてSさん、3人が集まってくれた。

お二人とも、Sさん同様に明るくニコニコと、そしてテキパキとわかりやすく

今後について説明をしてくれた。

 

目下、父の問題となっている「入浴介助」については、

単純に入浴の手助け(体を支えるとか)などであればヘルパーさんでもOKである。

なのだが

 

「お父様の場合は慣れない在宅酸素を吸いながら・・・になるので、

入浴中の体調変化や酸素の吸入状態をチェックすることが望ましく、

それらは「看護師」の領域になるため、訪問看護で入浴介助しようと思いますけど

いいですか?」

 

と3人のプロフェッショナルのみなさんから提案された。

もちろん、わたしは「おまかせします!」である。

 

父にとってベストなサポート体制をいろいろ考えてくれるので、

わたしは「いい意味で」もう何もすることがなかった。

 

 

これまで、何度も父の入院に付き合ってサポートをしてきた自分だが、

どの瞬間を思い出してみても、いつもいつも自分ひとりだった。

 

病院通いはもちろんのこと、退院後のすぐには動けない父のサポートすべて。

もちろん、今回ほど父の状態が大きく変化した入院を経験しなかったことが

一番の大きな理由だが、

父本人だけでなく、自分自身も

「わたしの父親は頭もしっかりしているし、介護なんてまだ先の話」

と、介護問題を現実のものとしてとらえていなかったせいだと思う。

 

父は、要介護でいえばまだほんの入り口に立っただけで・・・・

世間一般の介護をされている方に比べたら、わたしなんて何の苦労もしてないと思う。

そんな状態ですら、この1か月弱の期間は長くてつらい時期がたくさんあった。

 

まずなんといってもSさんとの縁がなかったら、わたしは不安に押しつぶされて

精神を保てなかったかもしれない。

Sさんとは、残念ながら退院をしたら縁が一旦切れてしまうが、

Sさんから訪問看護のYさん、ケアマネージャーTさんへと橋渡しをしてもらった

おかげで、不安はない。

 

今、こうして父のことに関わってくれる人がたくさんいることに

涙が出そうな思いである。

 

わたしたちは、介護問題になると「使えるサービスは使わなきゃ」みたいに

ついつい軽く言ってしまうが、わたしたちが「使う」のはあくまでも「制度」。

 

でもその制度を根っこから支えて、動かしてくれているのは

医療や介護の仕事に携わり、患者やその家族を温かく真摯な気持ちをもって

支えてくれる人達である

 

ということを忘れてはいけないんだと強く心に思いながら

 

彼女たちが無駄のない素晴らしいパスワークで、どんどん話を詰めていく様子を

わたしは深い安堵の気持ちとともに聞き入っていた。