息子の卒業を前に思うこと。

もうすぐ息子が大学院を卒業します。

今週月曜日から今日まで、一旦実家へ帰省していました。

アパートから実家への引越し(社員寮へ持って行かない荷物)は自家用車を使って

運ぶことになっているので、不用品を少し持ち帰ったりなどこちらに保管している

スーツをアパートへ持って行くなどなど・・・・。

 

この4年間、いつもいつも息子が帰省してくるときには、

お米や飲み物、お菓子に保存食などいろいろ買い込んでは、

またアパートへ帰っていく日に大量に持たせて送り出していましたが

もはやそんな買い物も必要なし。。。。

 

たったそれだけのことにでも

「ああそうか。もう本当に終わりなんだなー」とちょっとしんみりします。

 

子供がこんなふうに独立していくときに、「淋しい」と感じる人も多いと思うのですが

わたしの場合、強がりでも何でもなく「淋しい」という気持ちはあまりないです。

 

たぶんその「淋しい」は4年前に家から出て行ったときにもう経験済みで

今回は息子の居場所が変わるというだけで、わたしの生活は何も変わらないからかも。

 

かといって、ぜーんぜん平常心!というわけではなく、

うっすらと自分の気持ちをざわつかせている、

自分で想像していなかった思いがけない感情に包まれているかも。

 

なんというか・・・

「もっと長く、彼を手の届くところで守っていてあげたかったな」

という思い。

それは「ひとり暮らし」という物理的な距離の意味ではなく、立場的な意味でね。

 

すでに成人して4年も経つので、世間的には十分に大人とみなされるけれど、

学生だったし、経済的にも当然のように扶養下にあったわけで・・・・

もしも何か、対処しきれない問題が起きた時には「親が盾となる」ということが

まだ許される立場だったように思うのです。

 

しかし社会人になって、自分で仕事をして経済的に自立するということは

ここから本当の意味で「大人になる」ということなんだなぁ・・・と。

 

 

大げさなことを言ってるかのように聞こえるかもですが、

社会の大きな渦の中に飛び込んでいくということは、

何もかもがここからが本当の意味で自己責任になるということ。

仕事やプライベートで問題を抱えても、トラブルが起こったとしても、そこには

親が出ていって対処してあげるような、サポートしてやれるような隙間は

親がが立場をわきまえず、無理にでもこじ開けない限りもう存在しないわけで・・・。

 

社会人になってくれて、これで親の務めも終わりであーラクができる~!という

はしゃいだ気持ちが湧いて来る一方で、

こんなふうに・・・

何かあれば親が手を貸してあげられる、代わりに対処してあげられる、

足らないお金は当たり前に親が援助してあげられて

子供は何も心配しなくてもいい、苦労をしなくてもいい

そんなぬくぬくとした居心地のいい、安全な場所に

もっともっと置いてあげたかったなあ・・・・・・

などと、矛盾した気持ちがふわっと湧いて来る瞬間があるのです。

大人になるってそういうことなのでしょうね。

親が守ってくれる安全な空間からひとりの力で旅立っていくこと。

本当の意味での「巣立ち」。

 

息子の進む先がどうか困難なものではありませんように・・・と、祈ってやみませんが

当の本人はというと、

本音は違うかもしれませんが、

「仕事から帰ってきたらいつでもお風呂が沸いてて(←大浴場)食事もできてて

しかも洗い物しなくていいなんて最高すぎる」

と、

1週間後には入ることになっている独身寮を比較的好意的にとらえているようです・笑

 

不安を吐露されると心配でたまらなくなってしまうので、このくらいあっけらかんと

されるのは本当にホっとしますが、でも内心はきっと不安もあるはず。

母親が心配性なのを知っているので、平気な顔をしているだけかもしれません。

 

どうかいつまでもそのままでサラリと軽く・・・

さわやかな外面(そとづら)だけはそのままで(←家の中ではだらしなくともいいから)

わたしのように物事難しく考えない、心配しすぎない、悩みすぎない

ほどよくバランス感覚を持った社会人になって、

学生時代同様に、先輩方にかわいがってもらえるいいキャラクターのままでいてね。

 

 

母はいつも応援しています。 

 

そしてあなたならきっと大丈夫。

 

それでも、もしも・・・・もしも

どうしても乗り越えられそうにない困難に心が押しつぶされそうになったときには

 

 

あなたにはいつでも帰れる温かい場所があることも、忘れないで。