認知症の足音。

父が退院した翌日。

 

退院したからお役御免!!!とは行かない。

今日は今日で、まだやるべきことが残っていた。

 

医療保険の請求手続き

父は県民共済と保険会社の医療保険に加入している。

まだまだ父が若かった(おそらく50代くらい?)に父が自分で入っていたものだが

当然、今となっては本人は「入院保険に入ってる」という事実以外、保険の中身すら

理解していない。もちろん、手続きなんてわかるわけがない。

なので、入院のたびにわたしがカスタマーセンターへ電話をかけるところから

すべて手続きを行う。

書類一式をもらったら、「ここにサインして」と、署名する場所をひとつひとつ

指差しして父に自分で名前を書かせたら、送りかえすところまですべてわたしの役目。

 

②新しい配食サービスの申し込み

前日に、電話で問い合わせをしたところ、そちらの施設へ出向いて書類の手続きを

する必要があると言われたので退院の翌日に早速向かった。

父はきっと、ここの配食サービスのお弁当にも文句をつけると思う。

でももう耳をふさいで聞かないふりをすると決めている。

どんなにがんばっても「お弁当」なのだから、

「肉や魚の質がどうのこうの」「野菜の素材のうま味を生かした調理がどうのこうの」

などという、父の食へのこだわりや高望みにはつきあっていられない。

 

障害者手帳の申請

退院時に、主治医からの「診断書」をもらうことができたので、書類がすべて

そろったということで早速、市役所へ。

もちろん父本人ではなく、わたしが代理で行った。

介護申請に必要となる「主治医の意見書」は役所へ直接提出されるので、

わたしたちの目に触れることはない。ところがこの障害者申請のための診断書は

わたしが市役所へ持っていくので、中身が閲覧できてしまう。

(別に封印されているものでもないので、見ても問題ないのだと思う)

医師の所見では父の状態は呼吸器障害の重症度5段階あるうちの

「悪いほうから2番目」で、「障害者3級に相当」とされていた。

しかし、この障害度合いというのは、これを審査する機関の判断で

「3級という申請でしたが4級ですね」とされてしまう場合もあるという。

(つまり主治医が3級と言ったから3級となるとは限らない)

3級以上になると医療費や在宅酸素の自己負担分が無料になるため

3級と4級では大きな差ができる。どうかこのまま3級で通りますように・・・。

 

 

ここまでやって、ようやく父のための「手続き関係」は一段落した。

この1か月、わたしひとりでどれだけ各種手続きのために奔走したことか。

 

一時期、わたしも疲労のせいでイライラして兄弟に対する不満を募らせてしまったが

実は父の入院中に、わたしが一度兄弟に対して大爆発をしたことがあった(笑)

それ以来、彼らはかなりわたしに気遣いをしてくれるようになったし、

やたらと「ありがとう」「お姉ちゃんのおかげ」など気持ち悪いくらいに

言ってくれるようになった(笑)

(正直、”わざとらしいよ”と思わなくもないが、彼らなりの気持ちなので

「ありがとう」の連発も素直に受け止めるようにしている)

 

おかげでこのごろはまた関係がよくなっているし、ひとりで何もかもやる状況に対して

兄弟に不満を募らせるということはない。

 

ただし・・・当事者である父がねぇ。

本人は自分のために稼働する、多くのサービスや制度の中身をあまり理解していない

うえに、そのためにわたしがたくさん動いていることもわかっていないため、

本当に自分の気分だけで、わがままばかり言いたい放題である。

 

 

 

しかし、ここ数日

この「難しいことはわからない」ということを、あまり軽く考えてはいけないのでは

ないだろうか?と思えてきた。

 

それは退院の日に感じたことだ。

前記事に詳しく書いた退院の日の流れの中で、こんなことがあった。

 

この日、わたしは約束の時間の1時間前には病室についた。

すると、病室にはSさんの姿が。Sさんは早めに来て、

父のために今後の在宅ケアについてを丁寧に説明してくれていたのだ。

 

しかし、Sさんがせっかくわかりやすいように付箋をつけるなどして父のための

資料を用意してきてくれたにも関わらず、

父はというと・・・・完全に無表情で、お地蔵さんのように固まり、

資料を見ようともしないし、相槌すら打たない。

 

それは「話し手に対して失礼な態度」というよりは

パソコンがスリープ状態に入ったかのよう。

 

「完全に思考停止している」といった状態だった。

 

今回の入院中・・・・意識回復後からこれまで、

 

介護保険の申請

*在宅酸素の利用

訪問看護の利用

障害者手帳の申請

 

・・・と、一度にこれだけの新しい変化が父に起こっている。

新しいことが始まるときは、当然新しい情報をたくさん頭の中に入れることになる。

 

父はどう見ても、それらの「大量の情報」の処理に頭がついていかない状態だった。

もちろん、それらの手続きはすべてわたしが代行しているし、わたしが理解しておけば

特に問題のないことばかりだが、

父の「思考停止」の表情を見ると別の不安な気持ちが湧き上がってくる。

 

父は日常会話には支障がなく、会話がかみ合わないこともほとんどない。

ところが、少し複雑な話になるととたんに頭が働かなくなる。

 

入院前までは、「難しい話」といってもせいぜい”何かのやり方がわからない”という

たわいもない問題ばかりだったので、

「まあお父さんに言ってもわかんないよね~」と軽く受け流してきた。

 

しかし、今回は次から次へと「新しい話」が入ってくるせいか、

父の頭はオーバーヒートを起こして動かなくなってしまうように。

まず、人が普通に話すスピードに頭の理解力が全く追い付かない。

  

「歳だから」と思っていたが、認知症について書かれているサイトを見ると

こういった「理解力の低下」「話のスピードについていけない」というのも

実は認知症の症状のひとつであるケースもあると知り

わたしは少し((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル・・・・となっているのである。

 

介護認定調査のときに「物忘れはありますけど~」などと能天気に言ってしまったが

実際には理解力がかなり低下していることをもっときちんと伝えるべきだったと

今頃後悔している。

 

 

ほかにも、昨日の記事に書いた、長袖Tシャツの上にグンゼの肌着を着る・・・という

ヘンテコリンな服装もそうだったし、

最後にちらりとかいた「スーパーでの買い物」でも気になることがあった。

 

父の配食サービスは退院の翌日はまだ手配が整わないため、

「1日分」だけは、食事が配達されない状況だった。

まあ、1日分だったらインスタントのものや簡単な惣菜でもいいんじゃないかと

思ってスーパーへ連れて行き、

父にも、

「お弁当が来ないのは明日1日だけだから、たくさん買わなくていいんだよ。

明日、簡単に食べられるものだけ買うんだよ。」

と、説明したのだが

真っ先に父が手に取ったのは、

 

 

春菊だった。

 

もちろん、一束である。(春菊一束って、結構な量よ)

 

わたしは反射的に、父から春菊を取り上げ

 

「ちょっ、ちょっと待って!春菊だよ?これ?どうするつもり?」

と慌てて聞くと

 

「いや、うどんを作ろうと思って。うどんに入れようかと・・・」と、父。

 

なるほど。うどんね。

うどんが食べたいのね。

それはわかった。でも、この大量の春菊、1回のうどんでこんなには要らないよね?

そして、あさってからはお弁当が来るから残った春菊、食べないよね?

明日1日、食べる分だけ買えばいいのよ?

これはやめようね。どうせ余るから。

 

と、やんわり説得して春菊をその場にもどし、

いわゆる「ひとり用少量野菜パック」のコーナーで

春菊の代わりに一掴み分くらいの「白菜のざく切り」の入った袋を手に取り

「これにしようか?これならちょうどいいよ」と、それで手を打たせた。

 

しかし、そんなやり取りをしたすぐあとで今度は「だいこん」を1本手にしている。

 

「だ、だいこん?」と驚いて聞くわたし。

「うん。大根を煮て食べようかと。」と、父。

「ああそうなのね。でもこんなに大きい大根1本買っても食べきれないよね?

あさってからはお弁当が来るから、大根使わないよね?」

と父の神経を逆なでしないように気を使いながら話すと

「ああ・・・そうか・・・。」とそこでも気が付いて、大根はあきらめてくれた。

  

「うどん」も、鍋にお湯を沸騰させてゆでる「生うどん」を

選ぼうとするので、申し訳ないがここでも制止した。

 

「アルミホイルの鍋に入った、簡単に食べれるやつにしない?

まだ退院したばかりだから、たぶんそんなにあれこれできないと思うよ。

うどん作るとか、無理じゃない?」

と、言うと

「ああそうか」と、言ってここも譲歩してくれた。

 

しかし、その後もなぜかおでんに入れる「はんぺん」を手に取ったり、

塩鮭を手に取ったりする父。

正直、「体力だってまだないから自分で思っているほど台所に立てないだろうし

そんなもの買っても食べないだろうに」とわたしにはわかっていたのだが、

あまりに手に取るものすべてを却下してしまうと父の機嫌が悪くなりそうだったので、

良くないことだとわかっていたが、

「廃棄するとしても少量で済むものは好きに買わせてやろう」と割り切ることにした。

 

どうもパっと思い付きで買い物しているようにしか見えなかった。

 

些細なことと言えば些細なことだけれど、目の前のものしか見えず、

1歩2歩先のことを考えられない様子なのは

あきらかだった。それらは普段だったら「まったくお父さんはもう~~」と

軽く笑って見過ごすこともできるたわいもないことだったかもしれないが

今のこの流れでいくと、どうしても頭の隅に「認知症」の言葉がチラついてしまう。 

 

このあと、「朝食に食べるパン」を買いにパン売り場へ移動したわたしたち。

父は「前に食べたクルミの入ったパンがおいしかった」というので、

「くるみ入り」のパンを探してやり、「これ?」と聞くと

「ああ、これだったかなぁ・・・?思い出せないけど」といいつつも、

それを買うと言ったので、そのくるみパンをカゴに入れた。

 

 

しかし、家に帰ってパンを袋から出すと

「あれ?レーズンのパンじゃないのか?」と言った・・・・。

 

ほんの30分後の出来事である・・・(;一_一)