猫の首に鈴を付ける人。

10月22日。

父は鎮静剤の影響による一時的な認知症状態からも、ようやく抜けることができて

1日1日、カメの歩みくらいのスピードで回復し始めた。

この病院の看護師さんたちは、どの人も本当にいつもニコニコとして丁寧に患者に

接してくれる。

わたしが何よりうれしかったのは、父が人工呼吸器で眠っている状態の数日間も、

「〇〇さーん、ちょっと血圧測らせてくださいね~」

「ちょっと点滴の針見せてくださいね~」

「マスクを着けなおしますね~。」

「体の向き変えましょうね~。」

と、いちいち父の顔を覗き込んで、

笑顔で父に話しかけながら作業をしてくれたことだった。

それは看護師さんにとっては仕事をする上で当たり前のなのかもしれないけれど、

反応のない患者にも、そうやって普通に接してくれることは

家族にはとてもうれしかった。

そんな看護師さんたちが、日替わりで父の担当になっては

「〇〇さん、本当によかったですね~」と、気持ちを込めて言ってくれる。 

わたしにも視線を配り、「ね~」という感じで軽く頭を下げてくれる。

 

父一人だけがキョトンとしている。実は、父は自分が鎮静剤で眠らされ、

人工呼吸器を装着されて生死をさまよっていたとはまだ知らないのだ。

それはわたしがあえて伝えていないからなのだけど。

 

知らないほうが幸せなんじゃないかと思っている。

それは父の、「実はとても気が小さい」性格を考慮してのこと。

「肺炎によって自分が死にかけた」と知ることによって、次にまた

風邪をひいた時、熱が出た時、肺炎になったとき・・・・

自分はこのまま死ぬかもしれない、と必要以上にネガティブな状態になる可能性が

高いので、それを避けたかったからだ。

 

実は約10年前に心筋梗塞で救急搬送されたときにも父は死にかけている。

カテーテル手術により一命はとりとめたが

主治医からは「重症の心筋梗塞」と言われ、「3日間がヤマです」と言われた。

(父は2度も死の淵を経験をしたことになる。なんて強い生命力!)

 

父が晴れて退院した後になって、「今だから言えるけど、実は死にかけてたんだよ」

と、笑い話として初めて重症だったことを話したら、

なんと父はその話が原因でウツになってしまったのだ。

あとから恐怖感が襲ってきたようで、元気がすっかりなくなってしまったのだ。

軽く話したその事実によって、父は心療内科に一時期通うハメに・・・。

 

そういう苦い経験もあるので、「今回の出来事の詳細」は父にはハッキリ言わずに

ぼんやりさせたままでいる。

こうやって看護師さんたちが病室へやってくるたびに「本当によかったですねぇ」と

声をかけてくれるものだから、父は「おおげさだなぁ」と思っているかもしれない。

 

さて、父の体が退院にむけた回復に向かい始めたということは、

「退院後の生活をどうする?」と考えなければいけない時期に来たということだった。

 

地域包括支援センターのSさんとも話した結果、

施設入所は父には到底無理なので(本人が固辞するにきまっているため)

極力、現在ひとり暮らしを維持できる方法を考える以外選択肢はなかった。

・・・となると、介護サービスを利用して生活援助を受けたほうがいいのでは?

ということになった。

 

 

父が果たして介護認定を受けられるのかどうか?ということは気がかりだったが、

それはまだもっと先の問題で、目下の問題は

 

「誰がいつ、それを父に告げるか?」

 

だった。

人一倍、気位が高い人だ。「介護」という言葉を出すだけでも、

「人をバカにするな」とキレる可能性は高かった。一方で

先にも書いたように「気が小さくクヨクヨしやすい人」でもあるため、

「自分は介護が必要なほど老いてしまったのか」と、ひどく落ち込んでしまうのでは

ないか?というパターンも考えられ、どちらの展開も気が重くなること必至だった。

 

それでも、断念してうやむやにしたり先延ばしはせずに、

今、このタイミングで介護申請することはものすごく重要だと思っていた。

 

それはやはり、いったん病院の外へ出て、日常生活に戻ってしまうと

「介護申請をしよう」というきっかけを失ってしまうと思ったからだ。

 

病院に入院し、主治医とも連日密に接して、こうして院内の地域包括支援センター

気軽に相談できる環境にいる、今のこの流れの中のほうが、

「行動を起こす」という意味での申請のハードルは、間違いなく低くなる。

 

また、内情はわからないが、こういう重症の病気の直後の申請のほうが

期待する介護認定が出やすいのでは・・・?とも感じたし。

(主治医の意見書に直近の病歴が記されることを考えた場合)

 

何より、体が弱っている父にとっても

入院中にこういう話をするほうが、「介護申請」を受け入れやすいだろうと感じた。

 

このころ、すでに兄弟LINEに父の現状を投下することにあまり意味を感じられなく

なっていたが(結局、何をやるにも動くのはわたしだから)

 

「介護申請をすることにしたが、父にどうやって切り出していいか悩む」と

投下したところ、

弟から思わぬ反応が来た。

 

「それ、ボクが代わりにお父さんに言ってあげようか?」

 

どうした?弟よ。いつになくやる気を出して。

とびっくりしていると、続けてこんなメッセージが。

 

「だって、お姉ちゃんがそれを言うと、”オレの面倒を見るのがイヤなのか?!”

って逆ギレするんじゃない?だからお姉ちゃんじゃないほうがいいんじゃ?」

 

と、とんでもなく飛躍した想像力を働かせていた。

これを読んで、「ああ、弟は本当に父親のことをまるでわかってないんだな」と

苦笑した。

父はそんなことは絶対に言わない。

わたしに迷惑をかけていることに気づいていないパターンはかなり多いけれど、

だからといって、わたしに対して「父親のために何でもやれ」なんて

傲慢な考えを持っている人ではない。

上記にも書いたように、予想される父の反応は

「誰の世話にもならん。ひとりで暮らせる」と意地を張るか

「ワシもいよいよ介護か・・・」と激しく落ち込むかのどちらかなのだ。

「俺の世話ができないのか!」と逆ギレするなんてパターンは2000%ない。

 

ところが、それがわかっていない弟は、もっと過激なことを言い出した。

 

「”お姉ちゃんは、お父さんの世話のせいで、もう自分の時間が全然ないんだよ?”

って、僕から言えばよくない?お姉ちゃんでは言いにくいだろうから。」

 

 

 

頼むからやめてくれ。

 

父を追い詰めてどうするんだ?

まさにそれは、「北風と太陽」の北風のほうだよ。父に言いにくいことを言うときは

必ず「太陽」にならなければいけないのに。

 

弟が、ここまで父を理解していなくて、人の気持ちを察することができない人だとは

この歳になるまで、気づかなかった。

しかもこんなことを言われたら、まるでわたし自身が「お父さんのせいで」と

思っているかのような誤解を生むだろうが。

 

もちろん、弟の申し出は丁重にお断りした。(気持ちはうれしいが・・・と)

結局、鈴をつけるのはわたししかいないのだ。

そして、正攻法で行くしかない。

 あとはタイミング。

 

”ネコ”が、ご機嫌でおとなしいときを狙わねば。