仲間は欲しい。友達は要らない。

先日、英検の二次試験を受験してきたことはチラっと書いたけれど、

わたしはかれこれ約4年くらい大手英会話スクールに通っている。

英会話レッスンと言えば、オンラインでしょー?という時代に逆行していると

自分でも思う。

別ブログではそのあたりについて触れているけれど、実際には対面スクールに通う前、

約1年間、毎日毎日オンラインレッスンを受けていたので、

自分的には「あえて」オンラインから通学式のスクールへと乗り換えたことになる。

 

理由はまあ、いろいろあるのだけど「英語学習的」な理由以外でいうと、

そもそも「電話が嫌い」なので、オンラインレッスンの

「画面上に講師が登場するまでの微妙な待ち時間&緊張感がすごくイヤ」

というのがあった。

1年やっていても、コレに慣れることは決してなかった。

あと、レッスン中に宅配便が来たらどうしよう?とか、

はたまたレッスン中に突然夫が帰ってきたらどうしよう?とか

(月に2~3度くらい突然仕事中に立ち寄ることがある)

なんかそうよけいなことがいろいろ頭をよぎるのもイヤだった。

 

けれど通学式であれば、家を出てしまえばもう何も気にしなくていい。

スクールの講師は担任制で曜日も時間も決まっているので、オンラインのように

毎度毎度自分で講師を選んで予約・・・という煩わしさもない。

とにかく学習効果以外の面で、自分の性格に合っているものがたくさんあったので

思い切ってオンライン→英会話スクールに替えた・・・というのが理由だった。

 

そして気が付けば4年!!!

最初のうちは、わたしもかしこまっていたけれど、

4年も経つと、スタッフさんたちやネイティブ講師達とずいぶん打ち解ける。

もちろん、スタッフは20~30代中心だから、全然若い。

わたしなんて母親みたいなものだ。

 

でも、話題に困ることがない。

だってそこは英会話スクールで、みんな英語学習が大好きな人だけが集まっていて

英語学習についてお互い話しだしたら止まらないからだ。

そこにはジェネレーションギャップもない。もちろん人種も。

 

あとね、何気にうれしいのが・・・これはスクールの方針だと思うけれど、

どの生徒のこともみんな下の名前で呼んでくれること。

名字で呼ぶ人は誰もいない。だからわたしは常に「NORAKOさん!」って

いつもいつも親しげに若いスタッフさんたちから呼ばれる。

もちろんわたしも、下の名前で先生やスタッフさんを呼ぶ。

50代になって、下の名前で呼ばれる機会なんてそうそうない。でもここにはある。

これもまた、自分の年齢を忘れることができる心地いいポイント。

 

そして、今回の英検、同じスクールの日本人講師さんもひとり一緒に受験したので

1次試験(筆記試験)の前から「どうやって対策してます?」と

毎週スクールに行くたびに、ふたりで情報交換しあっていた。

お互いに一次試験を突破した時は、一緒に喜びあって、もちろん周りにスタッフからも

おめでとうと言ってもらえ・・・

2次試験のときも、試験の数週間前から、「どうしよ~難しいですよね~」と

これも二人でキャーキャー言い合っていた。

 

もちろん、彼女は友達じゃない。でも「学習仲間」であることは間違いない。

わたしなんかは、ほかに英語学習について語れる相手がいないので、

ツイッターでつぶやく以外は、ここが唯一の「自分の楽しみを分かち合える場所」だ。

 

「英語の勉強?すごいね~?」なんて誰も言わない。

だって、英語の勉強するのが当たり前な人達だから。

他の場所で、英語の勉強をしているなんてうっかり口を滑らすと、

意識高い系をきどってるような勘違いをされるときもある。

暇な主婦が輪になってオホホと笑いながら、旅行英語を習っている・・・みたいな

典型的な初心者向け英会話レッスンをイメージされるのもちょっとイヤだなと思う。

(でもそれを訂正するのもめんどくさいからしないけど)

 

自分の家族やリアル友人と英語学習の話をするのはイヤなくせに、

頑張っている以上はやっぱりその思いを誰かと共有したい欲求にかられる。

今や、気軽に会える友達もいない自分にとっては(←コロナ関係なくすっかり疎遠)

英会話スクールが唯一、社会とつながってる場所であり、

「英語が好きな人達が集まる」場所でもあり、好きな英語学習について

素のままに、思ったことを語れる唯一の場所であり、唯一の「仲間」という感じ。

 

そして、わたしの日常はこれで十分だな・・・と感じてしまっている。

 

 

子供の学生時代に、ママ友との付き合いがそれなりにあったのは・・・

少し前までは「子供経由でつながってるから」と思っていた。

 

それは確かにそうなんだけど、でもただ単に子供同士が同級生・・・とかじゃなく、

本当は「子供同士&生活環境に大きな差がない」ことだったと思う。

実際、高校進学するあたりから、子供の進学先があまりに違いすぎて、

話がかみ合わなくなった友達もたくさんいた。

その後も、

お互いそれなりに幸せだったのに友達のご主人がうつ病になって会社をやめたり、

また別の友人は息子が就活目前にして大学を中退してしまったとか

そういう大きな出来事があるたびに、「なんか声かけにくくなったな」など

思ってしまったし、

一方で自分がいろいろ大変にな時期には、HAPPYな誰かと会うのはつらいので

会いたくないなーと、思い始める。

 

それもこれも、「子供」だけでつながっていたことに加えて

「お互いの生活に差がない」のが理由だったと思う。もともとのつながっている理由が

薄っぺらいものだったから、何か大きなことが起ると、気を遣って話しづらいとか

いろんなことを考え始めてしまう。

 

また、そういうことを察している自分の思考が、相手を上に見たり下に見たりしている

ってことになってて・・・それってすごく相手に失礼なんじゃないかと悩んだり。

とにかく、お互いの境遇に大きく差が生まれることによって、

すこしずつ気軽に声がかけずらくなったのは事実。

 

最近見た、海外ドラマのセリフで・・・

父親が息子に「(自分は)大人だから親友はいないんだよ」と言う言葉があって

それに「ああやっぱり」と思う自分がいた。

 

もちろん、長年ずーっと付き合いを続けてきて、つらいときは支え合って

何でも話し合える親友がいる…という、人も世の中にはたーくさんいると思う。

そういう関係を保ち続けることができた人達は素直にとってもうらやましいけれど

いろいろと考えすぎてしまう自分には、所詮無理だった。

 

けれど好きなことだけでつながる「仲間」なら、何にも考えなくていいので

本当にラクチンこのうえない。

 

だから、好きなことだけでつながっている仲間はたくさん欲しい。

でもプライベートのことを話し合う友達は要らないかなと思う。

 

 

そうやって割り切ってからは、毎日がものすごく気楽になった。

人のことで悩むことはなくなったから。