気が付けばいつも渦の中。

UPした記事を再度読み返してみたら、

なんだかとってもヘビーな記事に思えてきたので、いったん引っ込めようかな?と

思ったけれど・・・・

 

前向きな自分だけを書いて、

今日もいいことありますように~°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

・・・とかキラキラしたブログを書くことはずっと前から「自分じゃない」と

思っていたし、たぶんそういう人が身近にいたら眩しすぎてわたしは近寄れない(笑)

自分がダメダメな人間にみえそうだから友達になりたいともたぶん思わない。

 

だから、笑える話や、ドロドロした話、ヘビーになったり、優しい気持ちになったり

たぶんコロコロ変わると思うけれど、

大抵の人は普段の生活を、いろんな感情の引き出しを開けたり閉めたりしながら

生きていると思うので、

わたしは引き出しから出したものを

みっともなくてもいいから、いつもありのままにブログに書いていたいなと思う。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

 

昨日は、整形外科でもう一度痛み止めの注射と、点滴まで追加してもらい、

「夜痛くて眠れない」と訴えた父に対して、

夕食後の薬を増やすことで対応してくれた整形外科の先生。

 

点滴に時間がかかったので、結局父を自宅に送り届けたときには11時を回っていて

すっかり半日つぶれてしまった。

 

前記事で書いた通り、わたしの頭の中は

「あの痛みはガンのせいじゃないのか?」という考えでいっぱいになっていて

 

「整形外科に来るのは的外れなんじゃないか?

かといって・・・ほかの病気のことなら可能性として何でも言えるけど

痛みの原因を”ガンのせいでは?”だなんて、父に言えるわけがない。

そもそもわたしの憶測であって、そうだと決まったわけでもないし・・・

じゃあ来週の定期検診で、呼吸器の主治医にもう一度言うべき?

いや、一度否定されたものをもう一度言うのは前の10倍くらい勇気が要るよ・・・

しかも、父親本人目の前にして、そんな話題出せるわけがない。

だけどちょっと待って!

わたしはこの痛みを”ガンのせい”だと主治医に認定してほしいの?

いや、そんなことになったらホっとするどころか、父のメンタルを崩壊させるぞ?

じゃあわたしはいったいどうしたいの?

どうしたらいいの?どうするべきなの?

 

・・・と、頭の中でグルグルと自問自答をつづけ、思考が渦巻いて止まらなくなった。 

 

 

とりあえず、背中の痛みはかなりの激痛に見えたので、

兄弟LINEにその旨を投下し、「もしかしたら旅行は無理かも」と

キャンセルする必要が出てくるかも・・・な話をした。

 

それから・・・・

兄弟にはまだ打ち明けていない、ガンが大きくなっていることと、

この背中の痛みはガンのせいじゃないかと疑っていること

(でも先生には否定されていること)

などなど、自分の落ち着かない気持ちも、この際ついでに打ち明けようと思った。

 

 

 

 

・・・・・。

 

 

 

思ったけど結局やめた。

兄弟には申し訳ないけれど、

やはり二人には「言ってもどうにもならない」ことだと思ったから。

 

たぶん、兄弟はきっと

「じゃあ来週の検診でもう一度先生に聞けばよくない?」

「まあ、医者がそう言うんなら筋肉痛なんじゃないの?」

「考えたってしょうがなくない?」

 

と、言うだけだと軽く想像できた。

決して、

 

じゃあ僕らが代わりに定期検診付き添って、お前の代わりに先生に聞いてやるから。

 

という、現実的なところで助けてくれることは絶対にない。

友達など・・・・家族以外であれば、

耳を傾けてくれるその気持ちだけで

「聞いてくれてありがとう!」と感謝しかないけれど

 

これが兄弟・・・となると、肝心な「行動」はこちらに丸投げ前提なアドバイス

もらっても全くうれしくないものなのだ。

だから、返ってくる反応や言葉に「イラッ」と来なくて済む「言わない」の選択が

一番心が平和でいられるって・・・・皮肉すぎる。

 

(つくづく・・・わたしはどれだけ兄弟をアテにしてないんだろうと思い知る)

 

とにかく、この日は寝るまでずーっと

 

どうすればいいんだろう?

 

と考えて1日が終わった。

 

そして翌朝(昨日の朝)目が覚めてベッドの中ですぐにまたこのことを思い出し

 

再び、

どうすればいいんだろう?

 

・・・と、寝起き早々、また答えの出ない渦の中に落ちていくところで・・・

ふと、突然冷静なもう一人の自分の声がした。

 

今、あなたにできることなんて何もないんじゃないの?

自分にどうすることもできないことで、悩むのはやめなさい。

何でもかんでも自分がなんとかしなくちゃ!と思いすぎてない?

それはあなたの悪い癖だよ。

その思考が間違ってると、そろそろ気がついて!

物事は、なるようにしかならないんだよ。

自分でどうにかできることと、そうでないことがあるのよ。

父親の病気に関しては、あなたにはどうすることもできない。

現状をそのままストンと素直に受け止めるだけ。

主治医が「ガンは関係ない」と言ってるのなら、よけいなことは考えず

それをそのまま受け入れたらいいのよ。

ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、と

起きてもいない悪い想像を膨らませて

あなたは自分でわざわざ悩み事を増やしていない?

父親の痛みが悪化したとしても、あなたに治せるわけじゃないでしょ?

父親の介護はあなたの仕事でも、

父親の病気はあなたの問題じゃないのよ。

 

本当に、すぅーーーーっとこういう考えが頭に浮かんできた。

もしかしたら、わたしのオタオタぶりを見かねた母が天から降りてきて

耳元でささやいたのかもしれない。

ほんとに。

ああそうだ、そうなんだ、とベッドの中で急に視界が明るくなり、

ガバっと飛び起きた。

 

老親の・・・常に一番近いところにいて、

家族の中でその世話をする責任者のような立場に追いやられると、

どんどん視野が狭くなる。

親の状況変化に応じて、その場その場で「最善の選択」を判断していくことが

必然的に自分の役割になっていくせいだと思う。

ほかの家族からそうやって「やってくれるだろう」と、頼りにされて、アテにされ

そういう、常に「臨機応変に」「何かあったら対処しなければ」という

立場と状況の中に長く晒されると

 

たぶんいつの間にか「親に起こる問題は全部自分がなんとかしなくては」

という思考に陥りがちなのだろうなと思う。

 

本当はその中には、

「対処できること」と「対処できないこと」が必ずあるはずなのに

頭の中でその振り分けが冷静にできなくなり

自分で気が付かないうちに、いつも何か起きるたびに「なんとかしなくては」

という思考の渦の中にはまり込んでいってしまう。

そういうのが、介護者の心理的ストレスを蓄積させることにもなるのだろうなあ。

 

ああ・・・でもこういう「思考の癖」って、子育てでも起こりがちかも。

「老親」のところを「わが子」に入れ替えて考えると・・・

たぶん、わたしは子育てでもこういう側面が多々あったな・・・と今頃思い知る。

わたしのように、子育てを頑張りすぎた人ほど
(※↑これは決していい母親だったという意味ではなく、子供のために・・・と、
本来やらなくてもいいことまでやりすぎた人のこと)

親の介護の段階になったら、こういう悪循環に陥るのかもしれない。

 

 

その後・・・・昨日の朝、心配だったので父に電話をした。

 

「痛みはどう?」と。

 

「薬が効いたのか、ゆうべはよく眠れたよ。」と安堵の声が帰って来た。

 

よかった。

注射と点滴と飲み薬のおかげか?

でも対処療法でしかないから、たぶん薬で抑えられているだけ。

 

ただ・・・・

 

それならそれでいいじゃないか。

とりあえず、短期間でも現状の痛みを抑える方法があるってことだから!

 

痛みの原因がガンなのかどうかは、わたしにはわからない。

わからないことは悩んでもしょうがないので悩まない。

医者の言うことを信じるだけだし、

もしガンの痛みだったとしても・・・・わたしが治療できるわけじゃない。

だから「どうしよう」はやめる。

 

痛みの原因をさぐるのはわたしの仕事じゃない。

原因が「ガン」だったとしても、それはわたしの口から父に言えない以上、

痛みの原因を考えるのは意味のないことなのだ。

 

とりあえず、整形外科の治療も一定の効果はあるのだから(持続しないだけで)

また痛くなったら、注射に連れていく。

 

それでいい。

 

まさか2日前の「父、死んだのか?」な騒動が、

こんな気づきに発展するとは自分でも思わなかった(笑) 

 

 

これから先に父に起きるであろう変化は

むしろわたしにはどうにもならないことのほうが多いということを

ちゃんと見極めて、肩の力をぬいていこう。

 

そうしよう。