信頼関係のあるところ。

台風21号に北海道の地震という大きな災害が

立て続けに起こったことで、世間の注目も薄くなってきた感のある、

女子体操選手のパワハラ・暴力問題。

わたしはなぜだかこのニュースには、最初の段階から妙に興味を惹かれて

Twitterやネットニュースで続報を追うなどしていました。

 

たぶん、それは自分の息子がある競技の選手だったころのことに

重ねていたからだと思います。

もちろん、あちらは世界で闘うレベル、こちらは地方大会どまりの選手なので

比べるのもおこがましい話ですが、

何度見ていても思うのが、

ああ・・・息子の選手生活はパワハラに満ちていたなぁ・・・ということ。

このニュースについて、世間一般の人の多くは

あのコーチが選手に対してやったことを「ひどい暴力だ!」となじるけれど

わたしは「じゃあ、暴力ふるわなかったらいいコーチってことになるんだろうか?」

とものすごくモヤモヤしたものを感じました。

 

もちろん、暴力を容認しているわけではありません。

 

ただ、息子が選手だったときのことを思い返すと

張り手はなかったと思うけれど、

中身の入ったペットボトルを投げつけられる、

後頭部をはたかれる、

足を蹴られる、

肩をどつかれる、

程度のことは日常的にありました。

もちろん、うちの息子だけでなくほかの選手たちにも同様に。

でも、保護者仲間でその行為を問題にしたり不満を言う親は

ひとりもいなかったんですね。

言い切ってしまうと語弊があるかもしれないけれど、そういった行為は

問題ではなかったのです。

かといって、ニュースになっている女子選手(そのご家族も)が

「このコーチでなければ!」と訴えたように、

私たちや選手たちがそのコーチに心酔していたかと言われれはNOです。

わたしも含めて、親たちも、一部の選手たちも、そのコーチを嫌っていました。

 

どうして保護者達や一部の選手たちがそのコーチを信頼していなかったか?

理由は簡単で、

「コーチから愛されていないとわかっていたから」です。

そのコーチは、才能ある、結果を出せる選手だけに力を入れていました。

自分が有能な選手を育てられるコーチである、ということが最優先のようでした。

大会で、自己ベストを更新できなかったときには

「お前の努力が足らない」

と罵り、

自己ベストを更新できたときには

「俺の練習メニューをこなしてたら当たり前」

「こんな(どうでもいい)大会で結果出しても意味ねーし」

と言い放つだけで、がんばりを讃えてくれたり、

一緒に喜んでくれるようなことは一切なし。

自分の達成感以外にがんばり甲斐を見出すことが難しい状況で、

一方的にコーチに対する信頼感やリスペクトする気持ちが生まれるわけがありません。

 

もちろん、スポーツってだいたいそういうものかもしれませんが

まだ精神的に成長過程の小中学生にとっては、

親やコーチが喜怒哀楽を共にしてくれることはものすごく重要なことだったはず。

どんなに練習がきつくても、どんなに罵倒されて体罰のようなことをされたとしても

それ以外の大半を占める部分で、

コーチが自分のためだけに一生懸命練習メニューを考えてくれたり、

できなかったことができるようになるまでじっくり付き合ってくれたり、

そして最大の成果を得られたときには自分以上に喜んでくれたり・・・。

生活の多くの時間を、選手を伸ばすことに尽力してくれているんだと感じられる

コーチだったら、その信頼感は時に手を上げられるくらいのことで

簡単にはゆるがないものなんじゃないかなと思います。

 

 

本当にいい指導者というのは、

選手の手柄を自分の手柄にしない人。

選手が伸びないことを自分の責任だと思える人。

厳しくつらい練習やコーチのヒステリックな言動のことも

「ほんの一部」と思えるくらいの、コーチの愛情を感じられるかどうかだと

わたしは息子の競技生活を通じてずーっと思ってきました。

息子のコーチはそこが完全にひっくり返っていましたから。

 

 

息子は競技を8年間続けていましたが

最初の5年間と、残りの3年間は別のコーチのもとで指導を受けていました。

ここに書いた息子のコーチは残り3年間のほう。

レベル別にクラスが5段階くらいに分かれていて、

最初の5年間で、レベル1~4をすごし、

残りの3年間で、最上級のクラスに属すことになったために指導者が変わったのです。

この、最初の5年間のコーチというのも相当厳しいコーチで

罵倒され続けていたのですが・・・

でも、こちらのコーチの場合は、練習中はひたすら鬼だったのに対し、

大会になるといい意味でガラリと変わり、

レース前に緊張しているのに気が付くと、笑顔で声をかけて緊張をほぐしてくれたり

いい結果が出ると、バシバシ叩いて(もちろんふざけてるだけです)

からだいっぱいに喜びを表現して讃えてくれたり・・・

ダメだったときには、くよくよするな!と励ましてくれたり・・・。

 

同じように厳しい練習メニューを課し、練習には一切の甘えを許さない

2人のコーチでしたが、

息子や同期の選手たちが今も愛情を感じているのは前半5年間のコーチのみ。

いまだに年末年始など、仲間がそろうときには

この前半期のコーチに連絡を取って、当時の選手仲間で同窓会をしているほどです。

つまり、練習では同じように厳しくしごかれたにもかかわらず、

息子たちは、いつもこのコーチを心から信頼していたということ。

こちらのコーチのことだけは、今も大好きだということ。

 

選手とコーチの間にある信頼関係は、

三者には絶対にわからないものだし、ほんの一部を切り取ったものを

見たり聞いたりして、批判したり決めつけたりするのは

よくない風潮だなと思います。

 

だから、お互いが「あれは暴力でした」と認めている上で

「それでもずっと指導を受けたいです!」と言うのは、世間には見えない

積み重ねてきた強い信頼関係と愛情があってのこと・・・だと思うので、

外野はごちゃごちゃと騒ぎ立てたり批判せず、

見守ってあげたらいいのになと強く思います。

 

何度も言いますが、決して暴力を容認しているわけではありません。