おひとり様を隠したくなる心理。

実家の父のもとへは、何もなければ隔週末に行くことにしています。

しかし、毎回毎回とっても足取りが重いです。

大きな声ではないけれど、完全に「義務」になっているので

カレンダーを見て「あ、今週行かなくちゃいけないんだ」と気が付くと

どよ~んとした気分に。

精いっぱい自分のテンションをあげて、いい娘を演じなければいけないから。

そんな中、困っているのが、

最近またしても父との会話に話題がないこと。(定期的にやってくる問題)

普段、大抵は父の大好きな相撲のことや海外旅行の話でなんとかなるのですが

 

今はちょうど本場所も始まっていない。

9月場所は観戦に行く予定も立てなかったし。

「9月場所はどうなるだろうねぇ」という予想するにとどまって話が広がりません。

 

旅行は・・・というと、これまた最近父は全然旅行に行かないし、

また行く予定もないので過去の海外旅行のエピソードをほじくり返すくらいしか

できなくて、困る状態。

 

それじゃあと思って「旅行の予定はないの?」と話を振ってみても、

どうも煮え切らない返事。

 

体調はすこぶるいいと思うのです。

まあ、持病があるので健康と同じようにはいかないけれど

主治医の言葉を借りると「低空飛行で安定してますね(笑)」という感じ。

(体調不良を黙っていられない人なので、不調なときは全力で訴えてくるし)

 

これはわたしの想像なのですが

定年してからこれまで、国内外あちこち行ってきた父のフットワークが

ここへきてなぜか重くなってきたのには、ある理由があるとうっすら感じています。

 

それは

「体調はいいし、旅行にも行きたいのだけど、ひとりで行きたくない病」

を発症しているんだと。

 

普段の会話の中に、そういった感情が見え隠れしているのです。

 

たとえば、つい最近。

父がスーパーに買い物に行った話をしてくれたのですが

 

「おいしそうなコロッケが売っていたので、ひとつ食べたいと思って

それを手に取ってレジに並んでいた。けれど、こんなじーさんがコロッケひとつ

もってレジに並んでいるなんて、淋しいひとり暮らしの老人と思われるんじゃないかと

恥ずかしくなったので、カゴをもってきてそんなに欲しかったわけでもない野菜や果物

も入れてレジに並びなおした。」

 

とか

 

「たまにうまいものが食いたいと思って外食を考えるのだけど、

年寄りが一人で外で食事していても、周りから哀れに思われそうで行けない。」

 

とかね。

 

人によって、「ひとりで外食とかできない~」ってタイプは世の中には多いので

一見普通なことに見えるかもしれないのですが、

父の場合、どこへでもひとりで行く人だったので

「へ?今更そんなこと言うの?」

な話なのです。

 

もうひとつには、これもブログに書いたとおりですが

去年から今年にかけて、「相撲観戦」を目的にしてわたしと2人で4度も

泊りがけの旅行に行っています。

もちろん、こんなことはいまだかつてなかったことで・・・・。

たぶん、「誰かと一緒に旅行に行くことの楽しさ」と

「旅行の時の食事がひとりじゃない」ことの充実感を知ってしまったために

なんとなく「この歳でじーさんがひとりで旅行なんて淋しい老人と見られるんじゃ?」

という自意識が、必要以上に大きくなってしまったんじゃないかと思います。

 

もちろん、周りの人はそこまで他人に注目してないに違いないんですけどね。

自意識っていうのはやっかいなもので、

「そうかもしれない」って思い始めたら、これは周りから何と言われても

なかなか意識は変えられないと思います。

 

さらに、去年の海外旅行で一緒になった60代姉妹と、

今年になってから2度一緒のツアーで旅行をしている父。

(もちろん、申し込みは別々ですが連絡とりあって同じツアーに参加しているので

ツアー中は一緒に行動していた)

norako-hideaway.hatenablog.com

 

 ここでも同様に、それまで一人で当たり前に参加していた海外旅行ツアーで

「気の合う人と一緒に行動する楽しさ」を知ってしまったために

なんとなく、自分ひとりで次のツアーを申し込むことに

淋しさだったり、心細さだったり・・・を

感じるようになってしまったのではないかなあと思っています。

 

その証拠に、8月にその姉妹に「年始あたりにでもまたどこかへ行きませんか」

と連絡を入れたら、すでに別の旅行の予定を立ててしまったのでごめんなさい

という返事が来たと言っていましたから。

 

それまで何も考えずに、当たり前におひとり様で行動していたのになぁ・・・

一定年齢にくると、そんな自分を妙に客観的に見てしまい

「年齢」と「おひとり様」であることが

そんなにも気になるようになってしまうのでしょうか?

 

それは、後期高齢者で一人暮らしをしている人にしか

わからない心理なのかもしれません。

たとえ周りから

「自分が思ってるほど、周りは他人を見てないよ」

なんて言われたとしても、

それは「家に帰れば家族がいるけれど、あえて一人で来ている」人と

「家に帰ってもひとり」という高齢者とでは、

同じではないのかもしれないし・・・。

なんだかそう思うと、いろいろ神経をすり減らす父との付き合いですが

父のことがかわいそうな気持ちに。

 

が、

 

このことを兄弟にLINEで相談すると

二人そろって

 

 

「単なるわがままだから気にするな。」

 

との、冷静かつ厳しい返事が・・・(笑)

その言葉の真意は・・・

それまでさんざんわがままに生きてきた父に対する思いあってこそなのですが

父は甘えた性格なので、わたしがかわいそうに思ってあれこれ面倒をみてしまうと

(楽しみを作ってあげるために無理に旅行を企画するなど)

もっともっと・・・と、要求が大きくなるだけで満足しない→わたしが疲弊する

なので、今のままそうやって話し相手になってやるだけで十分だ、無理するな、と

そういうことらしいです。

 

いやー・・・・

兄弟ってやっぱりすごいですね。すべて見抜かれている・・・(汗)

 

まあ、兄弟が心配するような「おでかけプラン」を立てる予定はないから

いいのですが・・・

 

父から「老人の一人暮らし」とか「さみしい独居老人」というワードが漏れるたびに

なんとなく、一人にさせている自分を責められているような気分になり

つい、自分が何かしなくてはいけないのかな?と考えてしまいます。

 

こればっかりは、たぶんこの先もずっと答えの出ない問題なのかもしれません。