ついにダスキンを辞めた!

ダスキンをついにやめた。長かった。

この家を建てた年に、友達からの紹介で始めたダスキンだから

かれこれ20年以上のお付き合いだったと思う。

ここ2~3年はずっと「やめたいやめたい」だった。

 

一番の理由は、モップ自体がそんなに必要ではなくなったこと。

3~4年前に、当時の愛犬の足元を守るために

リビングダイニングをタイルカーペットにしたため、

モップ自体の使用頻度が激減した。

使うのは廊下と寝るためだけに存在する二階の部屋くらい。

LDKの掃除は毎日必ずするけれど、

廊下や二階は3日に1度くらいしかしないから、

まあ、あれば使うけれどなくても全然OK・・・になった。

そこでもう「いらないな」と思ったけれど、

ダスキンさんとの付き合いが無駄に長い分、なんだか申し訳なくて「やめます」が

ずーっと言えなかったのよね。

 

やめたかったもうひとつの理由は、ダスキンさんのおしゃべりが無駄に長いこと。

これは付き合いが長くなるにつれてだんだん長くなり・・・

だいたい毎回30~40分くらい玄関先で話していた。

月にたった1度のことではあるものの、

自分には全く興味のない話を延々聞かされるのは「時間泥棒」でしかなく

こちらは、話を長引かせたくないのでなるべく話題を振らないように

「聞き手」に徹するようにしていたけれど、

それでもあまりにそっけない態度はとれないので適当に自分の話をすると

「ああ、〇〇といえば・・・!」と、

今度は会話泥棒が始まっておしゃべりがエンドレス。

 

「NORAKOさんのところに来るのがたのしみで!」とウキウキして

言ってくれるのはとてもうれしかったけれど、

わたしにはだんだん苦痛な時間になった。

 

それに、彼女の話の半分くらいは、

「自分のお客さんにもこんな方がいてね」という全く知らない人の話。

「私の友達の友達がね、」くらい興味が持てないどうでもいい話。

個人情報うんぬんをうるさくいうつもりはなく、

ただたんに「そんな知らない人の話を聞かされてもリアクションに困る」

程度の迷惑ごとではあったのだけど

それが最近さらにエスカレートして、自分が見ている民放ドラマの話を始めたりとか

(わたしは民放ドラマに興味がないので聞いてもフーンでしかない)

本当にとどまるところを知らず・・・・。

 

そして先月交換にやってきたときに、

彼女の娘さんがもうすぐ出産を迎える・・・・と言う話を聞かされたのだけど、

その報告を受けた時に「今度は毎回その話になるのか」とゾっとしてしまった自分。

(おめでたいことなのに失礼な・・・)

そこで、もうこのお付き合いはやめにしよう、と固く心に誓い

今月ようやく、勇気を振り絞って「やめようと思います」と伝えることができた。

 

彼女は決して人を不愉快にするようなイヤな感じの人ではない。

むしろ明るくていい人だ。

とにかく一方的なおしゃべりに辟易させるだけ・・・。

なので、「やめます」と言ったときも

「全然気にしないでください!」と、

こちらの罪悪感を軽くしてくれる笑顔で言ってくれたのでホッ・・・・。

 

こんなことなら、もっと早く言えばよかったなーーー。

 

毎月、そんなに汚れないモップを、

交換日の前日に必死にほこりをもとめていろんなところに使って

無理矢理汚そうとしていた努力はなんだったのか・・・。

 

なるべく自由で何かに縛られない生活をしたいし、

これでひとつスッキリした。

 

もしかしたら、将来的にまたダスキン使いたいと思うようになるかもしれないけれど

そのときは、別のダスキンショップに頼むと思う。

ビジネスライクなお付き合いにしておかないとね。

距離感大事。

 

さて、ダスキンモップのかわりにクイックルワイパー買ってこようかな。

 

 

ともだち。その2。

昨日、お嫁さんと孫娘と花見ランチに行ってきた。

花見と言ってもまだようやく3分咲きくらいだったので、花のついている枝を探して

歩くようなものだったけれど、

1歳になった孫娘は今、その小さな頭で、目から耳から入る情報を

めまぐるしく吸収して、言葉通り「日に日に」多くのことを覚えている。

 

 

うちの息子が1歳になったばかりのころって、もっとチャランポラン

言葉自体ものすごく遅かったし、

なんか本当に本能だけで生きてる感じで(笑)

まったく知恵らしい知恵は感じた瞬間がなかったのだけど

孫娘は脳の成長がものすごい。

 

お嫁さんいわく「どうやらモノには名前があるということがわかってきたらしい」

とのことで

幼児向けの学習ずかんを開いて、「トマトは?にんじんは?」と聞くと、

ちゃんと正解の写真を指さすのだ。

おかあさんといっしょ」とか「いないいないばあ」に出てくる

キャラクターの名前も覚えたし、ぬいぐるみの名前も覚えたので言えば取ってくる。

まだついこの間1歳になったばかりなのに。

 

「ちょっと、この子は天才なんじゃない?」

 

とわたし。するとお嫁さんがすかさずわたしに

 

「ですよね!天才ですよね?わたしもこの子は天才だと思います!」

 

と熱く同意。そして二人で「天才だ、神童だ」とはしゃいで笑った。

(※大丈夫です。他人には聞かせられない会話だとお互いわかってやってますw)

 

ともだちみたいな嫁姑なんてありえないと思っていたわたしだけれど、

ふと、彼女を見て思い出したことがある。

 

わたしが結婚する前のこと、わたしには25歳年上の「友達」がいたじゃないかと。

仕事の後に毎晩通っていた市民プールで仲良くなった泳ぎ仲間。

気さくで明るくて、かっこよくて、大好きだった。

何か月もお互いの名前も知らないままに一緒に泳いでいたけれど、

ある時お互いの自己紹介をしたところ、

なんと私の中学時代の同級生男子の母親だったことがわかった。

とても珍しい苗字だったので、「え?もしや?」と尋ねたらそうだった。

名前を教え合ったあとに、さらに仲良くなり

泳いだ後に一緒にご飯を食べに行ったり、

夜、彼女の自宅へ遊びに行って一緒に飲んだりするほどに。

(当時ご主人が単身赴任、子供2人も家を出ていたので彼女は一人暮らしだった)

 

彼女はわたしの母親より年上だった。

それもあって、自分の母親にはこの歳の差友達の関係が

奇妙に映るんじゃないか?と思えたので

細かい説明はせずに「友達とご飯食べてくる」とごまかしていたっけ。

 

一体何を話していたのか今ではさっぱり思い出せないけれど

でも大好きだった。楽しかった。歳の差なんて全然気にせず遊んでいた。

イメージ的には野際陽子さんみたいな人。

とにかくポジティブなエネルギーがたくさんあふれている人だった。

そして付き合い続けるうちに、ついには中学時代はほとんど話したこともなかった

彼女の息子(同級生)と3人でカラオケに行ったりするほどに。

 

当時はすでに今の夫と婚約していたけれど

短絡的にも、

「もしも、この同級生と結婚したら、彼女が義母になるんでしょ?彼女がお姑さんになってくれるなら彼と結婚してもいいかもw」

と思わず考えてしまったっけ。

 

わたしが結婚して県外に引っ越した後も、

しばらくは帰省してくるtたびに連絡を取って、彼女とご飯を食べたりしていた。

さすがに息子が生まれた後はなかなかそうもいかず・・・

そこからいつしか自然消滅してしまったけれど

でも、それだけの年の差があってもほんの2~3年の間ではあったけれど

友達…という関係は確かにあった。

 

お嫁さんはわたしのことを「一緒にいて居心地がいい」と言ってくれる。

ずーーーっと忘れていたけれど、

わたしの25歳年上の友達も確かにそんな人だったなと思い出した。

だから、もしかしたら当時の私と同じ感覚なのかもしれない。

 

今、節子さん(実名)はどうしているだろうなあ。

 

単純計算で81歳か・・・。

 

まだ元気でハツラツと暮らしていてくれますように。

 

 

経験と思い出は宝物。

本当にすごいタイミングだなと思ったけれど、

ツイッター(X)のタイムラインに流れてきたツイートに目を奪われた。

(投稿者さんの名前は消してるけれどそのまま貼っちゃいます)

 

タレントの小倉智昭さんのコラム。

 

まさに、わたしが「通信制大学入るぞ!今がベストなタイミングだ!」と

思った直後にこれを目にしたので

ひときわ心に響いた文章。

 

↓以下、引用貼り付け。

 

 

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わたしは母が52歳で他界していて、自分は今56歳だから

本当に、

「母はまだこんなに若かったのに子育て仕事と介護だけで人生を終わっちゃったのか」

と、早くに亡くなった母を思いだし、なんとも言えない気持ちになる。

 

それは自分の人生だけじゃない。

伴侶であった父のその後の人生設計だって大きく狂わせていた。

「定年後、夫婦であちこち旅行でも」

と思っていたはずなのに、その相手がいない。

父はそれでもひとりで世界中旅行に行ったけれど

夫婦でツアーに参加している人を見れば、うらやましかったに違いない。

 

今わたしの夫は58歳で、父がひとりになったのと同じ年齢だから

こんなに若くして残りの人生ひとりになるのか・・・?!と考えると

どれほど寂しい毎日だったろう・・・と思うし。

 

だから本当に、

「落ち着いたら」

「子供が独立したら」

「定年後は」

なんて、後回しにしていたらダメだと思う。

特に50歳をすぎれば、1年先なんて健康でいられるかもわからないし。

 

 

わたしはこれまであまり贅沢もせずに暮らしてきたつもりなので

夫婦二人暮らし、老後に困らない程度の資産はつくることができた。

 

でも、自分のやりたい勉強のため、

息子家族との思い出作りのために、惜しみなく使おうと思っている。

物欲はないので、贅沢な「モノ」はいらない。

 

ひたすら、「経験」と「思い出」のために

時間とお金を使おうと思っている。

 

自分にとっても大事な宝物になるし、

また自分と夫が空へ旅立ったあとに

息子家族が「あんなところ、こんなところたくさん行ったね」って

思い出話をしてくれるといいなと思っている。

 

さしあたってはディズニーランド旅行だ!

 

楽しみだなー。