孫が生まれてわかったこと。

自分が義母になって、おばあちゃんになって、

初めて知ったり経験する気持ちがこの1か月でたくさんあって

自分で「面白い発見だな~」と思っているので

並べてみようと思う。

でもあくまでこれは、個人的な感覚なので当てはまらない人もいると思う。

 

①義母はさみしい

以前のブログ記事でも書いた通り、生まれてすぐは義母の出る幕はなく、

お嫁さんの実家だけで育児が回るので義母は完全に蚊帳の外。

もともとの関係がドライであれば、なんてことない状況だと思うけれど

うちは仲が良かったので、すごーくボッチ感があった。

お嫁さんの実家で、お母様+お嫁さん+息子で赤子にメロメロしながら

みんなでご飯食べてるのに、わたしはひとりで昼ご飯とかわびしすぎる・・・って

退院直後はよく思った(笑)

そして自分の出産時も義母に寂しい思いをさせていたんなあと猛省するのだ。

 

②母は自分の経験を語りがち

これはお嫁さんが妊娠中のときからだけど、出産後もちょいちょい「息子の時はね~」

って言ってしまっていた。最近は「さすがにこれウザいな」と思って

意識的に昔の話はしないように自重しているけれど。

ここで先輩面して「こういうふうにすればいいのよ~」とか言ったらアウトだと思う。

それは絶対にしないようにしていて、ただ単に「こんな時代でね~」な感じで

昔話のように話してしまう。

たぶん、世間一般のお嫁さん(新米ママ)からすると

これだけで十分うざいと思うのだけど、なぜ義母&実母が自分の出産&育児の話を

するのか…っていう心理はよくわかった。

それは、単に「昨日のことのように鮮明に覚えているから」なのだ。

お嫁さんや息子にとってみたら、28年前といったら大昔の話だけど

母親に取ってみたら「ついこの間の話」くらい近くて鮮明なのよね。

だから母親は語りがちなのだ。

 

③祖母は孫にいろいろ買いがち

笑っちゃうくらい、何でも買ってあげたくなる。なんならベビー服なんて

お願いされるままに全部買ってあげてもいいよ。おもちゃも、絵本も全部。

でも、「両親が自分たちで選びたい楽しみ」を奪ってはいけないので耐えてる(笑)

孫やお嫁さんがかわいいから・・・っていう、感情的なものはあるけれど

もうひとつリアルなところで、ジジババは「ほかにお金を使うところがない」のだ。

わたしが仕事をしていたころよりも夫は大幅に昇給しているのに

夫婦ふたりの生活費なんて知れているし、住宅ローンはとっくに終わってるし

贅沢な買い物はしないし。

ちなみに息子が大学生のころは、学費と仕送りで年200万支出していたわたし。

もちろん余裕で払っていたわけじゃなく、あの当時は自分も働かなきゃ賄えなかったし

毎月家計簿と格闘していた。(このブログはもともと家計ブログだったし!)

「あの頃あなたに毎年200万円払っていたことを思えば、ベビー服やおもちゃなんて

出費のうちにも入らない!!!」

と息子に言ったら、「比較対象がおかしいよ、それは」と笑われたけど

いやでも本当にそうなのよ。

昔はなかった経済的な余裕も、

「買ってあげたい」の大きな原動力になることを改めて知った。

 

帝王切開に劣等感を感じる。

自分でも不思議なのだけど、息子を帝王切開で出産して28年・・・

今まで一度たりとも、帝王切開に引け目を感じたことがなかった。

けれど、お嫁さんが出産したその日に会って、

息子とお嫁さんが笑いながら分娩エピソードを話してくれているのを聞きながら、

そのすべてが「自分が全く知らない世界」の話だったので

いきなり、なんかすごーく劣等感を感じてしまったのだ。

その会話に「そうそう!わかるわかる!」って入って行けなかった。知らないから。

 

わたしの中では、やっぱり自然分娩で出産した人に対する尊敬がすごくあるのよね。

お嫁さんに対しても、もちろんそうで「すごい・・・」ってなって

同じ経験をしていない自分がなんだか急に恥ずかしくなってきたのだ。

でもそれって、彼女の妊娠中に心のどこかで

「わたしは育児の先輩」「わからないことは聞いてね」みたいな

隠れた自負があったのかもしれないなあと思う。そのときはわからなかったけど。

帝王切開の自分が肩身狭く感じたのってこれまで一度もなかったので

たぶんそういうことだと思う。

今思えば、これも「義母メンタル」を増長していた気がするけれど

陣痛を経験していない・・・以外に、自分は夜間に帝王切開をして、

そのまま高熱を出して意識朦朧状態だったので、

息子に対面したのは12時間もあとだったし、

その時も熱と傷口と後産痛のダブルパンチで

身体が一ミリも動かせない状態だったのが辛くて

翌朝、看護師さんが連れてきてくれた息子を見ても

感動するどころではなかった・・・(←自分の辛さで精いっぱいで)

という、自然分娩でお産した人たちが経験する「出産直後の感動」を

全く経験していないことへの寂しさみたいなものが

お嫁さんの出産によって、今頃どば~っと自分の中であふれてしまった。

 

⑤孫は想像以上に人生に彩を与えてくれる存在

以前は、孫はいてもいなくても、どっちでも・・・と、本当に心の底から思っていた。

けれど、生まれたての姿の神々しさを目の当たりにして、

その価値観のすべてが吹っ飛んでしまった。

それは言葉では説明できない気持ちの変化。

でも、もっと驚いたのは夫のこと。

夫は孫には無関心と思っていたけれど、生まれてから1週間以上経ってから

「俺にも〇〇の写真送ってくれよ」と言ってきて驚いた。

(そもそも、夫に写真をシェアしてないことに気づいてなかった私も私)

さらに驚いたのは送った翌日には、孫娘の画像をスマホの待ち受けにしていたこと!

これにはわたしだけでなく、息子も驚きの声を上げた。

「お父さんが、孫の写真を待ち受けにしてるなんて!!!」と。

そういう人ではないと思っていたから。そして・・・

なんだ、実はそんなに孫がかわいかったのか・・・ということで

例の「写真シェアアプリ」を、夫のスマホにもインストールして、

息子やお嫁さんがUPしてくれる孫の最新画像を、

夫も毎日見られるようにしてあげた笑。

すると・・・・

「ほらほら、今日のこの写真かわいかったから、新しい待ち受けにしたよ」

など、夫がニマニマしながら報告してくるようになった。

 

50代中年夫婦。

もうお互いを見つめ合う・・・なんてことはなく笑

分かち合える楽しみも趣味もないなかで、

とりあえずなんとなく同じ方向を向いて

この先枯れていく一方の人生を

なんとなく並んで一緒に歩いていくだけのようになっていたのが

この小さな孫の誕生によって

「成長を一緒に楽しむ」

という新たな”共通の楽しみ”が生まれた気がする。

少なくとも、確実に夫のスマホには彩りがついた。

今まで、孫ワッショイとばかりにテンションをあげる世間のジジババを

少し冷めた目で見ることもあった自分だけれど、ごめんなさいである。

孫という存在は、目の前にいてもいなくても、

その事実だけで、枯れはじめた親世代の生活に、

瑞々しい空気と色を与えてくれる存在だと知りました。

 

 

というわけで、わたしの「孫が生まれてわかったこと」でした。

自分の人生、たいていのことはもう経験したと思っていたけれど

まだまだたくさんあった。

おばあちゃんになったからこそ、初めてわかったことたくさんある。