着地点。

今月、息子は会社の同期6人で温泉旅行に行ってきたらしい。

今どきの若者は、職場とプライベートの人間関係を分けたい、

会社の人と会社外で付き合いたくない・・・というのが一般的かと思っていたけれど

息子の周囲は全然そんなことないらしい。

入社と同時に同じ独身寮に入ったというのが大きかったらしいが、

寮生活中にもみんなで週末キャンプにいったり、寮で飲み会をやったり

ひとり、またひとり・・・と寮を出た後もオンライン飲み会で繋がりつつけ

もちろん、息子の結婚式にもみなさん出席してくれたり・・・と

すごく仲良くしているそうで、いい関係だなーーーとホッコリする。

 

仲良し同期6人のうち、院卒なのは息子を含めた2人だけで

あとの4人は学部卒とのこと。部署はみんな違うけど全員各種エンジニア。

「理系だからといってみんなが大学院行くわけじゃないし、会社も院卒ばっかり取るわけじゃない」らしい。

会社にもよるだろうけれど、息子の会社では理系卒エンジニアの半数は学部卒だそう。

へーーーそんなに多いのかとびっくり。

 

大学院は、目的意識がない人がモラトリアム的に進学しても「地獄」になるので

そういう人はいかないほうがいいらしい。

つまり大学院行く・行かないは本人の適性次第だから、どっちでもいい・・・

また「研究室ガチャ」があるので、いい研究室に入れなかったら地獄だし

そういうのが嫌であえて学部卒で就職した大学の友達も何人もいる・・・と息子談。

 

・・・と、そんなふうに大学と就職、仕事の話をいろいろしていくうちに

ふと頭に浮かんだ、一度聞いてみたかったことを思い切って聞いてみた。

 

高専に行ってよかったと思う?」

 

と。

 

息子は高校ではなく、国立高専へ進学して卒業後に大学→大学院→就職・・・という

世間的には少数派なルートを通って社会人になっている。

時々やっぱり思うのだ。普通高校に進学して普通の大学受験をしていたら

全然違う将来が待っていたのかなあ???とか、

シンプルに(女の子がたくさんいる笑)普通の高校生活への憧れとか

あったのかなあ・・・、など、そんなこと。

 

一言では説明出来ないけれど、高専の生活は進学校とはまた違ったハードさがある。

高専は一般的な塾では対応できない特殊なカリキュラムの学校だ。

すべての勉強が学校内で完結する、しかも1授業が90分と長いので、一気に進む。

だから「休んだらついていけなくなる」・・・と

息子は少々熱があっても学校には行きたがり、体調が悪くても休むのを嫌がった。

 

研究や実験やレポートの量も膨大で、部活もやっていたので

帰宅はだいたい毎晩9時。そこから夕飯を食べてお風呂に入って

実験レポートにとりかかり、やっと寝るのが夜中1~2時、

学校まで片道90分かかる遠距離だったので慢性的に睡眠不足の状態のまま

翌朝6時にまた起きて7時には家を出ていく・・・という生活が5年間。

 

そのうえ、単位制で赤点は60点なので、留年する学生もゴロゴロいる環境だったし、

とにかくすべてが大変だったと思う。少なくとも親目線ではそう見えた。

本人は、学校大好きマンだったので、たぶんそれでも楽しんでいただろうけど。

でも愚痴ひとつこぼさずよくまあ頑張ったなあと親バカながら思う。

 

そういう苦労を思い出すと・・・何もわざわざ高専→大学に行かなくても

普通に高校に行って大学受験していても大差なかったんじゃ・・・?という思いが

ふっとよぎることがあった。

 

けれど、わたしの質問に対する息子の答えは、即答で

 

「いや、それはもう絶対行ってよかったと思ってる。」

 

だった。

 

なんだかものすごくホっとした。

しかもそれは、就職した今、高校→大学ルートで就職してきた仲間や後輩と一緒に

仕事をすることによって、「違い」を感じるようになったらしい。

 

やはり、(あくまで息子の会社では)高専経由ということ自体で

高く評価してもらっていると感じるらしい。

また自分が尊敬する先輩も、たまたまかもしれないが高専経由らしい。

ただ息子に言わせると、「高専卒だから優秀」っていうことではなく、

15歳から工学をやっていると、大学卒業までに同じ学習に何度も出会うことになり

必然的に何度も何度も反復して学ぶことになるので(つまり嫌でも叩き込まれる笑)

そういう点で習熟度とか定着度が違うと感じるのだそう。なるほど~。

 

我が家の場合、わたしが中学生だった息子にわざわざ

「こんな学校があるよ」と高専を勧めた・・・

という経緯もある。(たぶん時々不安になったのはそのせい)

あのころの息子を見ていて「進学校より高専のほうが向いてるんじゃないか」と

親としての直感的なもので、高専の存在を教えて、勧めてしまった。

で、15歳当時の息子も「行きたい行きたい」と飛びついた結果こうなった。

 

その点で、「親がそそのかしてしまった責任」みたいなものもうっすらあって

機会があれば、一度息子の本音を聞いてみたかった。

 

「私服通学でラクチンだったし、まあ勉強はきついけど校則ゆるかったし、

大学受験考えなくていいからラクだったし、部活楽しかったし、

高校行ってたら・・・とか考えたことはなかったよ~」

 

と笑いながら言ってくれた息子。

 

たら・ればを想像してもしょうがないけれど、

今の仕事にやりがいを感じている姿を見ると、

やはりどんなルートを通ったとしても、きっと彼が行きつく先・・・「着地点」は

はこの仕事だったわけで

そういう意味で、選択は正しかったのかな…と

 

今更ながら安堵の気持ちになった瞬間だった。

 

そして、15歳で夢中になれるものがあったことは、本当に幸せだったと思う。