あんなことこんなこと。

前記事で、「夫はアスペルガーだと思う」と書いてしまったときに、

本当はちょっとドキドキしていた。

なんというか発達障害を責めているように見えないだろうか?って。

でも共感コメントをもらったりして、すごくホっとしている。

うまく言えないけれど、わたしにとっては夫の宇宙人的言動が「性格」であるほうが

つらいのだと思う。だってあれが性格だったらどれだけ嫌な奴なの?ってなるもの。

でも発達障害だったら、本人の努力で変えられるものじゃないから

じゃあわたしが頑張るしかないか・・・と、思える。

(この「頑張る」は、ストレス回避する方法を模索して頑張るという意味)

 

わたしが「夫はアスペルガーなんだろうな」と思う点を挙げてみる。

(結構ぎっしり書いてしまったので、読むのがめんどくさい方はどうぞスルーで。)

 

■共感能力の著しい欠如

ブログでも折に触れて書いてきたけれど、夫は本当に共感能力がない。広いところでは、災害や残酷な犯罪のニュースを一緒に見ていても、「ふーん」という感じで何も感じない。たとえば土砂災害で家が流される映像を見て、わたしが「自分の家が目の前で流されるなんてつらいよね」と言えば、「あんなところに家を建てる方が悪いんだ」と鼻で笑う。あと、有名人の訃報が続いたときなんかは「なにコイツ死んだの?なんか最近、有名人死ぬの流行ってんの?」などと耳を疑うことを平気で言う。

 

■人の話を聞きとれない・記憶できない

これは日常茶飯事でなかなかつらい(避けようがない)ことなのだけど、本当に夫は人の話を聞けない。リスニング力がないというか人の話を聞く気がない(聞けない)ので、夫の特性として、人が話す内容の単語だけをひろって記憶するので自分で勝手に別の話を作ってしまう。・・・という傾向がものすごく強い。
だから、話が正しく伝わらない。つい最近でいえば・・・こんなことがあった。

 

「外壁の塗装工事、木曜日からやってくれるって。足場組むらしいよ。あ、工事するのに庭のテラス屋根が邪魔になるから、その前日の水曜日にテラスの屋根だけ先に外しに来るって。」

 

・・・たったこれだけの予定の話を、夫は理解しないので3回くらい説明した。

ひとつの会話の中に情報が多いと、全部インプットできないのだと思う。

ところが、3回も話したのに、水曜日の夜、仕事から帰ってきたときに

「足場まだ組んでないじゃないか。話違うじゃん」と夫からブーブー言われることに。

「足場は木曜日だってば。今日はテラス屋根を外しに来ただけ。」と私が言えば

「いや、お前は水曜日って言った。」と絶対にひかない。

わたしが正しく伝えなかったのが悪い・・・ってことにされた。3回も説明したのに。

 

■些細なことに異常にしつこくこだわる。

この塗装工事の話の中で、わたしが
「木曜日からやってくれるって。足場組むらしいよ。」と言ったこの部分。

夫はこの部分に異様に反応してきた。

「足場?塗装屋が足場まで組むの?普通は違うだろ。足場は足場屋に頼むはずだ。塗装屋が足場組むなんてありえんだろ。塗装屋が組む足場なんて大丈夫か?確認したほうがいいんじゃないのか?」

と。

しかもこれを、2度3度と、しつこくわたしに同じことを言い続けるのだ。

 

わたしにとっては、そこはどーでもいいことだし、塗装工事を頼むのに、

いちいち「足場は足場屋さんに頼むのですか?」なんて聞いたりもしない。

でも夫はそこが気になって気になって気になって仕方がない。

で、こういうことももまた日常茶飯時で、そのすべては「そこどうでもよくない?」

ということに異様に執着してしつこく話す傾向にある。

ちなみにこれは、わたしひとりが思っていることではなく、

息子からも「お父さんのめんどくさいところ」と認知されていて

息子が実家にいるときには

「そこどうでもいいから。飛ばして。話進まないから」と夫にバッサリ言ってくれる。

 

■返事をしない。
わたしが何かについて「ああでね、こうでね」と少し長い話をするとき、夫は能面みたいになり、一切、相槌(ふんふん、それで?とか)というものを打たない。
だから少し長い話になると必ず途中で「聞いてる?」と確認が必要になる。
あと、一緒にテレビを見ていたりして、「これ〇〇だと思わない?」などと話を振っても、夫のリアクションの9割は「フン」(鼻で笑う)で終わり。
いつも、ほぼ何も言葉が返ってこない。だから「話してもしょうがないな」と
思ってしまう。

 

■家庭生活のすべてが受け身。

今更語るまでもないけれど何もしない。
家事をしないのは発達障害とは直接関係ないと思うけれど、なんというかそれとは別に、すべてにおいて夫には「自分の意思」というものが一切ない。
だから基本「お前が決めて」「なんでもいいよ」な感じ。

「夫婦で一緒に考える」という概念が存在しない。難しいことを考えられないのと、責任を負いたくない本能なのだと思う。けれど人の決めたことに対する文句だけは大量に言う。「お前に任せた」と言葉で丸投げにして責任は放棄するけれど、決めたことに対して文句を言い(それをやってくれた人の苦労をまず察することができない)
あげく「お前の責任だろ。おれは知らん」とまで言う。

 

■なんでも否定から入る。

基本的にわたしの言うことを何も信用してくれない。
だから、わたしが何かを話しても「そんなわけない」「それはおかしい」「お前の勘違いだろ」と、まず100%否定されるところから始まる。
わたしがネットに書いてあった、ニュースでそう言ってた、〇〇さんが言ってた、など
情報源を話しても、「それは絶対に違う」と頑として受け入れない。否定されるって結構メンタルに来るので、これも夫に余計な話をしたくなくなるひとつの理由。

 

■話を最後まで聞けない

本当に聞けない。人の話を途中で遮って否定したり文句を言ってくるので
「お願いだから最後までまずわたしの話を聞いて!」ということが何度も何度もある。時に強く言うこともある。上記でも書いた通り、自分で勝手に単語をつなげて話を解釈して創り上げてしまうので(たいていは誤った理解)最後まで聞く前に自分の意見を言い出すのでどんどんややこしいことになる。私の話が正しく伝わらない理由はここにもあるかも・・・。

 

■価値観が頑固にアップデートされない

夫は自分の知っていること・自分の経験則がすべて・・・と思っている。わたしの話を「なんでも否定する」のも、たぶんこういう思考回路からきているのだと思う。
価値観って時代に合わせて変化するもので、年齢問わずたいていの人は「〇〇も変わったよね」と、受け入れていくものだけど夫は絶対に認めない。自分が知らないこと・自分自身が経験していないことは脳内アップデートされないので「そんなはずはない」という否定につながっていく。「今は昔と違うんだよ」とハッキリ指摘しても、
「そんなことは知らない。オレの中では”こう”なんだからそれは変えられない」と
全拒否する。
こんなこと情けないので言いたくないけれど、夫は「差別主義者」でもある。具体的例は伏せるけれど、いわゆる「多様性」を真っ向から全否定して蔑む傾向にある。

 

■人の気持ちがわからない・寄り添えない・人に興味がない

前記事の中でわたしがやたらと「病院に行くことを言えない」事実を書いたけれど、それは夫に心配をかけたくないという理由ではなく、痛みを理解できない人だから。


昔、息子が小1のときに家族で行ったピクニックでわたしが派手に転んで足を捻挫したことがある。みるみる足首がソフトボール大に腫れあがって激痛で立つことはおろか、足を動かすことすらできなくなる・・・という状況になった。
が、立てないわたしに向かって夫が言った言葉は
「こんなところで転ぶなよ、恥ずかしいやつだな、お前。」だった。(一生忘れない)
上記の「自分が経験していないことは認めない」に通じる話だけど、
わたしの腫れあがった足を見ても「ただの捻挫だろ。くじいたくらいで骨折なんかするわけない。(痛がり方が)絶対骨折じゃない。大げさなんだよお前は」と言って
一切心配してくれなかった。帰宅後も、床を四つん這いになってトイレに行くわたしを見ても(←立てないから)夫はバカにして笑うだけだった。そんな夫に頼みごとをしたくないと思ったので、小1の息子にメモとお金を渡して「あそこの薬局でシップと包帯を買ってきて」と頼んで、小さな息子におつかいにいってもらった(一生忘れないw)
翌日、「たかが捻挫で整形外科なんて。大げさだな」とブツブツ言う夫に
無理に頼んで、整形外科に連れていってもらう。
が、診断結果は「靱帯損傷」で、ギプス+松葉づえの全治1か月診断だった。
でも、靱帯損傷と言う言葉を聞いて夫が最初に言った言葉は
「ほらみろ、骨折じゃなかっただろ。オレの言った通りじゃん。」だった。
いや、そこじゃなくない?(一生忘れない・3回目)妻がギプス+松葉づえで病院から
出てきたのに、気になるのはそこ?と、もう本当にやるせなかった。

これが、今でも執念深く覚えているくらい結構なトラウマ体験のようになったので、
以後、夫には「体調不良の話は絶対に言うもんか」とわたしの中でのNG事項になったのだ。そして実際言っていない。言ってもつらさが伝わらない人なのだ。

ちなみに、数年前に腰椎の手術をしたけれど、あのときも手術を決めるまでに半年以上夫には何の報告もせずに通院していた。手術を決めてからの事後報告だった(笑)
(さすがに手術は黙って受けられないし・・・)

 

 

・・・・とまあ、こんなところ。もちろんこれでも氷山の一角。

印象的な出来事だけ並べてみた感じ。

でも、昨日の記事でも書いたけれど、それもこれも発達障害のせい、とすることで

自分がいろんなことを避けて暮らそうとすることを正当化できるから。

夫の理解できない言動も「これもうしょうがないな」って思えてくるし、

「変わることができないこと」自体がもう発達障害の特性だし、とあきらめられる。

だから夫のことをアスペルガーを信じることは

自分の中で結構大事なことなのだ。

それだけで胸が軽くなる。変な感覚だけど。

 

でも、これでも夫とは喧嘩したことがないってすごいよね、わたし。

家庭内が不穏になるのがイヤなので、ほかで憂さ晴らししたり

(こうしてブログ書いたりとか)

飲み込んだりしてきたわけだけど、一番はやっぱり「回避」なので

夫に言ってもしょうがないことは話さない、

夫に期待しない、求めない、

表面的に平和ならそれでいいわ・・・と期待値を下げる。

 

そういう回避術を経験の中から学んで、無意識にできるようになったのだと思う。

 

長々最後まで読んでくださった方ありがとうございました。