ツイッターを日常的に使っているわたし。
もともと「趣味」でつながっている関係なので、
結構幅広い年齢層のフォロワーさんと仲良く交流しているのだけど
その中で何人か、「いつも不平不満ばかり言ってる」と思う人達がいる。
怒りや不満の許容範囲っていうのは、
人それぞれ自分の中にもっている「器」の大きさが違うので、
ある人にとってものすごく不満なことも、別の人にとってはそうでもなかったりする。
なので、一概に「良い・悪い」を決められるものではないけれど
そういうツイートに同調して反応するのは、
その人たちの不平不満を助長するだけなので、そっとスルーしている。
でも、たいていの場合、不平不満ツイートを見ては
「なぜその程度のことがそれほど不満なんだろう?」と不思議に思うことが多い。
で、ある人のツイートを見ていて気が付いたことがある。
それは社会人2年目の男性なのだけど、
実家でテレワーク、家のことは何もしなくていい環境にありながら
疲れた疲れた、仕事が、上司が、同僚が・・・働きたくない、と不満たらたら。
わたしからするとものすごく環境に恵まれているように見えるし
その内容も「そんなことで怒っていてこの先大丈夫なのかな?」と思うようなこと。
わたしの考え方が昭和的というか・・・厳しいのかなと思って、
週末帰省していた息子にもチラっと意見を聞いてみた。
実は息子と同じ研究開発職についている人なので、わかる部分が多いと思って。
まさか自分のフォロワーさんの話だとは言えないので(笑)
「知り合いの息子さんなんだけど、どう思う?」と前置きして。
すると息子、「それは甘えだろ」と一喝。(意外と厳しかったw)
「そんなんで会社でやっていけるのか?その人。その程度のことでいちいち腹立てたり心折れてたらこの先ヤバイよ。まあよくそれで(大学の)研究室乗り切れたなあと思うわ。」
と。
やっぱりそうだよね。
・・・と、納得したところで・・・その若者に限らず、
わたしからするとなぜ?と思うくらい些細なことに執着して
不平不満を言い続けている人が少なからずいるのは確かで・・・
一方で、あきらかに家庭内にものすごく大変な問題を抱えながらも、
不満をこぼすことなく、常に明るくあろうとする人もいて
この違いはなんだろう?と改めて考えてみた。
気が付いたのは思考が「減点方式」か「加点方式」かの違い。
無意識に思考が減点方式になってしまっている人は、
自分の理想、満足度、周囲への期待度が常に100%の状態からスタートしているので
その自分の理想や満足度を邪魔するものに対して必要以上に過敏になり
「自分の満足度を下げられた」と憤慨し、ストレスに感じ、
それがとたんに不平不満の垂れ流しにつながるんじゃないかなと。
一方で、加点式の思考回路になっている人は
そもそもが100%から始まっていないし、たぶん求めてもいない。
それまでのさまざまな人生経験を通して、
自分の思い通りにならないこともある・・・ということは、
初めから織り込み済みだから些細なことに腹を立てることもない。
その一方で、周囲の環境だったり人だったり・・・
少しでも「自分のためになる」と思えるものに対して敏感なので、
どんどん加点されて幸福度が高まっていく。
だから自身の深刻な病気や親の介護など、
明らかに大変そうな問題を抱えていても前向きな人達に共通していることは
些細な物事に対して「感謝」の気持ちを表していることがとても多いということ。
(※あくまで自分のフォロワーさんたち・・・という狭い範囲の話)
自分は・・・というとそれこそ、あまり意識したことがないけれど
「不安の種」を作ることは日々多いのだけど、「不満の種」は作ってないと思う。
なのでストレスは作りやすいけれど、不平不満はあまり言わない・・・はず。
いや、でも人からはどう思われているかわからないけど(笑)
自分の場合は、やはり父の介護&看護経験が一番、大きかったと思う。
あのときは本当に、会う人、会う人すべての人が自分を支えてくれたので
周囲の優しさや親切に敏感になって毎日感謝ばかりの日々だった。
それまでの人生ではあまり考えたことのなかった、
「人と環境に感謝して生きる」ことの大切さを教えてもらったのもあの経験。
だから、人のふり見て・・・・じゃないけれど
わたしも何人かの素敵なフォロワーさんたちの思考をまねして
これからはもっと意識して毎日「加点」しながら暮らしていきたいなと思う。
環境や周囲の人々に対してわざわざ減点ポイントを探して言葉にして
「満たされない」と自ら幸福度を下げていくよりも、
いいところに目を向けてプラスしていくほうが、きっと明るく暮らせるよね。