9月場所が始まった。

大相撲9月場所が始まった。

コロナ禍で観客人数も制限されているし、世間的にもあまり賑わっているとは

言えない状況だけど、午後4時になるとNHKをつけてしまう。

 

そんなに真剣に見ているわけじゃなくて、

たいてい他ごとをしながらのながら見なのだけど

相撲実況の音声とか、行司さんの声とか、そういうのが耳に心地いいのだ。

 

あれー?わたしはいつの間にこんな相撲ファンになっていたんだ?と

自分で自分の行動がおかしくなるけれど、

ほかごとをしながらながら見しつつも、お気に入りの力士の取り組みになると

ついつい力が入って、見入ってしまう。

そして、お気に入り力士というのが意外と多いので(笑)

何度もテレビを見てしまう。

 

今場所は白鵬が出られないのがさみしい。(アンチも多いけどわたしは白鵬ファン)

白鵬が所属する宮城野部屋からコロナ感染者が出たために全員休場になったのだけど

そのニュースを見たときに、夫が一言

白鵬はラッキーと思ってんじゃね?」

とアンチ白鵬の夫が半笑いで言ったので無視した。

ちなみに夫は相撲に全く興味がない人。で、興味ないなら文句も言うなって

心の中でいつも思うわたし。

 

ブログでは何度も書いているように、わたしが相撲好きになっていったのは

完全に父からの影響で・・・・。

最初は父の相撲語りに付き合うために、自分も相撲を見て力士の顔と名前くらいは

覚えよう・・・という「義務感」みたいな感じだったけれど

徐々に真剣に興味がわいてきた。

たぶん、一番の転機は初めて父を国技館に連れて行ったとき。

土俵だけにスポットライトが当たった神聖な雰囲気、

歓声が波のように会場内に響き、あちらこちらから大きな声援が飛び交い

時に会場全体が揺れるんじゃないかと感じるどよめきが起きたり・・・。

テレビの画面から見えるそれとはまったく違う景色に本当に感動したのを覚えている。

 

でも、一番今自分が驚いているのは

やっぱりこうしていつまでも父の存在を感じながら、

大相撲が始まるたびに父のことを何度も思い出す自分かなと思う。

 

自分では無自覚だったけど、実は「お父さん子」の一面もあったんだろうか?

介護中は嫌なこともたくさんあったはずなのだけど、

思い出されるのは、父が喜んだりはしゃいだりする顔ばかり。

 

こういう思い出をたくさん抱えながら残りの人生を生きていけるのって

実はとても幸せなことかもしれない。

 

だって、世の中でどれくらいの人が「父親の手の感触」を覚えてるだろうか?

わたしは30年以上前に亡くなったおばあちゃんの手も覚えているし

20年以上前に亡くなった母の手の形や感触もしっかり覚えている。

そして、父の手の感触も。

 

それはたくさん手を握った証。たくさん一緒の時間を過ごした証。

 

・・・と考えていて気が付いた。

 

そういえば、息子の手がわからない(笑)

 

息子と手をつないだり手に触ったりしたのなんて、ギリギリ中学生くらいまでか?

全く思い出せないけど、

実家を出てもうなんだかんだと7年にもなるし・・・

はて・・・?今どんな手をしているんだっけ・・・?

 

今度帰ってきたときに、まじまじ観察してしまうかも。

 

 

コロナが収束したら、ひとりで国技館に行きたいなーと思ってる。

でもたぶん。。。行けないだろうなあ。

夫にバカにされること確実だから。(え?ひとりで相撲行くの?何が面白いの?って)

 

いやいやいや・・・夫に何か言われることを気にしていたら

わたしひとりでどこにも行けないわ、この先一生。

それはそれで悲しすぎるので、「もっと図太い妻」にならないとダメだよね。

 

今場所、誰が優勝するかなあ。