さまざまな気付き。

わずか1か月間の間に、あまりにも多くのことがありすぎた。

 

父の入院から、明日にも死ぬかもしれないという状況、

奇跡的な回復で喜んだのもつかの間。そこからの介護申請や在宅酸素問題。

目まぐるしく状況が変わりすぎて、自分の考えるべきこともやるべきことも

完全にキャパを超えていた。

 

あまりに毎日が忙しすぎて、考えるために立ち止まる暇がなかったし、

不安で胸がいっぱいになって誰かに打ち明けるとしても、ブログに書くにしても

聞く人にとってあまりにヘビーにならないようにと言葉を選ぶから、

自分の思いをありのままを吐き出すことも難しかった。

  

そんな中で前記事に書いたような出来事がおこり

わたしは言葉に表せないくらいの虚無感を覚えてしまい

もうすべてを放棄したい気持ちになってしまった。

 

本来であれば「もう勝手にすれば?わたしは知らない!」と父の家に寄り付かない

くらいの態度をとりたいけれど、実際はそんなことはできっこない。

「ああ明日は訪問看護だからその前に入浴時の着替えを用意しなきゃ」

「ペットボトルのお茶がなくなるはず。追加で買わなくちゃ」

「朝食に食べるパンも買って行かないと・・・」

と、ひとりで外出もできない状態の父を放置するわけにはいけない現実的な状況

が”知らん顔”を許してくれないのだ。

  

けれどある意味今回のことは、自分がこの先どんな距離感で父親と向き合っていくか?

を考えるいいきっかけになったのも事実だった。

 

ひとつ大きな気づきとなったのは、兄の言葉だった。

あの日のことを兄弟に対して盛大に愚痴ってみたところ

兄からバッサリと一言。

 

「もう放っておけ」

 

と言われたのだ。

兄は、離れて住んでいるから・・・というよりは、どちらかというともともとが

父に対して辛辣で、割り切ったドライな考え方のできる人である。

わたしのように感情に流されるということがほとんどない。

その兄に言わせると、

 

現在の父の生活はお前が頑張ってくれたおかげで、

食事・お風呂・掃除・洗濯、訪問看護、何一つ不自由していない。

しかもお前は十分に父を世話しているし、話し相手にもなっている。

そこから先の、努力もなしに元気に歩けるようになりたいとか、

在宅酸素は恥ずかしいなどというグズグズした感情は父自身の問題。

リハビリしなくて、好きな旅行へも行けなくなって困るのは自分。

お前はそんな父親を哀れに思って、

あの状態の父親をどうにかしなければと考えているだろうが

お前がそこまで気にする必要はない、

人目を気にして散歩にも行かない、でもデイサービスもイヤだ、

でも体力を付けたい、なんていうのはただのわがままだ。

からしばらく放っておけ・・・本当に困ったら自分でなんとかするはずだと。

 

多少父に対して厳しすぎる物言いだけれど、どれもこれも正論すぎた。

 

そして、胸にズキンときた言葉。

 

 

「お前はお父さんの期待に応えられなかったら

ダメだと思いすぎている。

それはすごく危険な思考で、

オレはお前がそうやって思いつめることが心配だ。」

 

 

と言われたこと・・・。

言われるまで気が付かなかったが、確かにいつの間にか

「父のために」「父のために」という思いにとらわれすぎて、

父の機嫌を損ねないこと、父の機嫌をよくする方法を考えることばかりに

捉われていた気がする。

そして、父がご機嫌ならホっと安堵し、父が不満げだったり、無表情だったりすると

「どうやって父の機嫌を直そうか?どうやったら父を前向きな気持ちさせられるか?」

と、「自分がなんとかしなければ」という思いで、

いつの間にか父に近づきすぎ、深みに足を取られて、

抜け出せなくなっていたのかもしれない。

 

これは、もしかしたら介護者によくある心理状態かもしれないと思った。

たとえば他の家族と同居していて、普段から「聞いてよ~またお父さんがね~」なんて

軽い段階で愚痴を吐きだせる相手がいつも身近にいる場合、

そういう危険な思考には陥りにくいかもしれない。

でも、わたしのように、(別居しているとはいえ)常に1対1の関係だと

すぐ近くで「そこまでしなくていいよ」とストップをかけてくれる家族もいないわけで

ついつい、どんどん危険水域へと思考がいってしまいがちだ。

 

わたしはこの1か月の間に、兄弟に対して

「なんて冷たいんだ。自分たちは近くにいないからそんなことが言えるのだ」

と反発する気持ちを持ったことが何度かあった。

しかし、本当はわたしのほうが前のめりになりすぎだったのかもしれない。

 

今回ばかりは兄の言うことがいちいちストンと心に入って来た。

 

父が命の危機から生還したとき、生きている限りは父が幸せだと感じてくれるように

自分は支えていかなければいけないと思った。

でも正直なところ、まだやっと介護のスタート地点に立ったところだというのに

もう心が折れてかかっている・・・。

それは自分に到底できそうにないことまで背負い込んでなんとかしなければ、

と思いすぎたからかもしれない・・・と、兄から言われてハっとした。

 

わたしがそうやって「自分が父のことをなんとかしなければ」と思いすぎることは

悪い形で父にも伝わってしまっているのだろう。

「娘ならなんとかしてくれる」・・・と。

だからこそ、メンタル面など、最後は自分で物の見方や考え方を変えて

乗り越えなければいけない部分の問題まで

わたしを頼って甘えてきてしまうのだ。

 

その父をヨシヨシと慰めるように腫れ物に触るかのように扱えば

父の「依存心」はどんどん増幅して、支えきれない重い感情を

今以上にわたしにぶつけてくることになってしまうかもしれない。

そうなるともうわたしの頭の中は常に父のことで支配されてしまって

がんじがらめになってしまう。

 

(実際すでにそんな感じになってしまっているのだが)

 

そんな自分をダメだと思ったり、もっと頑張らないといけないと責めたり

いろんな思いが常に頭の中を駆け巡っていたけれど

「自分がなんとかしなければ」なんて考え方は捨てなければいけないのかも。

 

もうひとつの気づきは、

介護がスタートするということは、そこから先の将来は

以前のように戻るという希望は少なくて、「よくて現状維持」という厳しい現実しか

待っていないということを覚悟すること。

だから、自分が今感じている苦労が様々な形で「報われてほしい」と思うとか

過度の期待を持ちすぎてはいけないということ。

「報われて」というのは、誰かから感謝されるとかそんな単純な話ではなく、

自分がどんなに頑張っても、親は確実に心身の不自由さを増していってしまうという

近い将来に対する心の準備をしておくということだと思う。

避けようのない残酷な老いの中で、わずかに苦痛や困ることを減らしてあげるだけの

ことしかできない・・・それが「介護」だということ。

  

わたし自身、かなり考えが甘かったと思う。

酸素のことは仕方ないにしても、父の足腰については

「もっと歩けば、リハビリすれば入院前の状態にきっと戻るはず」と

どこかで決めつけていたけれど、もしかしたらそうはならないかもしれない。

そういうことも「避けられない現実」として、

覚悟しておかないといけないだろうなと思った。

  

もちろん、そのうえで父をリハビリに通わせることはまだあきらめていない(笑)

むしろ「行ってくれないかなぁ」ではなく「暴言を吐かれようが絶対に説得する」

くらいの強い決意に変わっている。

「以前のように」とはいかないかもしれないけれど、

やはり「現状維持」は目指さないといけないと思うから・・・。

 

昨日1日は父のところへも行かず、

じっくりと自分の頭を整理する時間にあててみた。

 

また、時間の経過とともに、状況の変化とともに、わたしの気持ちや考えも

変わっていくと思う。

そうなったら、そのときそのときいったん立ち止まって、自分はどうしたいのか?

どうするべきなのか?を見つめなおして軌道修正していこうと思う。

 

こうあるべき、こうするべき、わたしがしっかりするべき、

・・・という考えに捉われることだけはやめて、

できないことはできないんだ、と開き直る気持ちも時には必要だということを

いつも頭の隅に置いておこう。

 

 

さて、今日は父のところへ行かなくては。